じじぃの「カオス・地球_236_関眞興・ドイツ史・フランク王国の建国」

フランク王国をわかりやすく解説

2022年7月31日 やさしい世界史
フランク王国を強大化
ピピンの子、カール大帝の時代にフランク王国はより強大化し、国土を広げました。
カール大帝はイタリアのランゴバルド王国を征服し、さらに東のモンゴル系民族アヴァール人も撃退しました。
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一冊でわかるドイツ史

【目次】
プロローグ

1 始まりはフランク王国

2 オーストリアプロイセン
3 動乱のドイツ連邦
4 近代ドイツ帝国
5 ワイマール共和国からナチスドイツへ
6 連邦共和国と民主共和国

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『一冊でわかるドイツ史』

関眞興/著 河出書房新社 2019年発行

ドイツとはどういう国か。その歴史を図やイラストを使いながらわかりやすく、ていねいに描く。コラム「そのころ、日本では?」「知れば知るほどおもしろいドイツの偉人」も役に立つ。

1 始まりはフランク王国 より

キリスト教とドイツ
では、ゲルマン人の立場からキリスト教を見てみましょう。

古くは50あまりの集団で構成されていたゲルマン人の社会は、4世紀ころに10あまりの集団にまとまります。それぞれの集団に国王や首長がいて、大移動を指導しました。

ライン川下流域、現在のオランダやベルギーのあたりにいたフランク人は、北部フランス方面へと動いて領土を広げていきました。そのなかで最大勢力であったメロヴィング家のクローヴィスが、フランス王国を建設し、クローヴィス1世となりました。フランク王国は戦争によって領土を拡大していきます。

7~8世紀に、ドイツの東部地域で熱心にキリスト教を広げたのが、のちにドイツ人の使徒と称えられるボニファティウスです。現在のドイツ人の信仰心は、この人物によって基礎がつくられました。

カール大帝がつくったヨーロッパ
ゲルマン人が移動し、その領域が拡大していた7世紀、アラビア半島預言者(神の声を伝える人)とされるムハンマドが、イスラム教を興(おこ)します。

アラブ人は、もともと農業や商業に従事していましたが、イスラム教を信仰するようになって大きく変わります。団結を強めるために、周辺地域を攻めるようになりました。

イスラム教徒は、1世紀足らずの間に、西はイベリア半島、東はペルシャ(現在のイラン)までを支配します。イベリア半島に存在したゲルマン人国家の西ゴート王国は、滅ぼされてしまいました。

イスラム勢力に地中海を制圧されるなか、フランク王国を強大化させたのが、ピピン3世の息子のカールです。カールはイベリア半島イスラム勢力と戦いつつ、ゲルマンの領土を制圧。8世紀後半にフランク族の王になり、現在のフランス・ドイツ・北イタリア一帯を統一しました。

そのころローマ教皇レオ3世は、教皇領をめぐってイタリア半島の有力貴族たちと対立していました。貴族たちを抑えるため、カールに支援を要請します。

カールに助けられたレオ3世は、800年のクリスマスに5世紀以来絶えていた西ローマ皇帝の冠をカールに授けました。こうして、フランク王国は東ローマ皇帝の支配から脱したのです。そしてカールは「大帝(たいてい)」と呼ばれるようになりました。
西ローマ皇帝の誕生で、ゲルマン人ローマ帝国の伝統(ラテン語など)、そしてキリスト教の3つが一体化した地域が登場しました。この地域が「ヨーロッパ」です。

ドイツの起源・東フランク王国
カール大帝が814年に死亡し、その孫の代になるとフランク王国で権力争いが起こります。843年、西・中部・東に3分割されました。

やがて、中部フランク王国の領域は現在のイタリア半島の北部のみに縮小されます。「西ローマ皇帝」の地位は、東フランク王国が引き継いでいきました。

のちに東フランク王国が「ドイツ王国」となり、中部フランク王国南部では有力な貴族がたがいに王を名乗って小さな王国が乱立します。

西ローマ皇帝は、10世紀ごろからドイツ国王とイタリア国王を兼任するようになりました。