じじぃの「カオス・地球_235_関眞興・ドイツ史・プロローグ」

【ゆっくり歴史解説】大移動したことは知っている!でも実際ゲルマン人って何?「西欧」のイメージをつくった民族

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wMY-P4QEVzw


ゲルマン人の大移動


帝政ローマゲルマン人の大移動と西ローマ帝国の滅亡

世界史・現代史まとめ より
●375年、ゲルマン人ローマ帝国内に大量に押し寄せてきます。
・東からフン族が攻めてきて、押し出されるように南下してローマ帝国に移動した。
・寒冷化により農作物が育ちにくくなったため、農業ができる土地を求めてローマ帝国に移動した。
https://sekaishi-gendaishi.com/archives/623

一冊でわかるドイツ史

【目次】

プロローグ

1 始まりはフランク王国
2 オーストリアプロイセン
3 動乱のドイツ連邦
4 近代ドイツ帝国
5 ワイマール共和国からナチスドイツへ
6 連邦共和国と民主共和国

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『一冊でわかるドイツ史』

関眞興/著 河出書房新社 2019年発行

ドイツとはどういう国か。その歴史を図やイラストを使いながらわかりやすく、ていねいに描く。コラム「そのころ、日本では?」「知れば知るほどおもしろいドイツの偉人」も役に立つ。

プロローグ より

ゲルマン人は森の人
みなさんがドイツと聞いて、まず浮かんでくるものといえば、工業国というイメージで、次に浮かんでくるのは、ビールやソーセージではないでしょうか。

工業国であり、ヨーロッパ経済のリーダーでもあるのに、なぜか農畜産物が名産として知られます。現在のドイツ西部を流れるライン川中流域から下流域にかけては、工業地帯が並んでいます。そのライン川の東には、森林地帯が広がっています。この森林こそがドイツ人の故郷なのです。

深い森を切り開いて畑をつくるところから、ドイツの歴史は始まります。ドイツの人々はその畑でビールの原料である大麦を育て、森に無数に落ちているドングリが豚を育てたのです。

ドイツという言葉を使ってしまいましたが、ドイツ人やドイツという国が歴史に登場するのは、ずっと後のこと。ドイツ人の祖先がまず最初に接するのは、今から2000年以上も昔に繁栄した古代ローマ帝国の人々でした。

今日、ローマといえばイタリアの首都です。しかし、2000年ほど前のローマといえば、地中海周辺地域をすべて支配する大帝国でした。現在のフランスやイギリスも、その領土に含まれていたのです。

そんなローマ帝国にとって、ヨーロッパの2大河川であるライン川ドナウ川は、ローマとローマ以外を分ける境界でした。ローマ人から見ると、川の向こうは異境であり、その異境の住民こそが、現在のドイツ人の祖先であるゲルマン人だったのです。

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4世紀の末、ローマ帝国イタリア半島バルカン半島の間で、東と西に分割されました。西ローマ帝国ローマを、東ローマ帝国はコンスタンティノーブルをそれぞれ首都としました。

そのころゲルマン人は、人口が増えたことのより食料不足に悩まされていました。さらに病気が流行したり、東方から侵入してきたフン族に住む地域を奪われたりしたことから、ダナウ川やライン川を越えてローマ帝国内に侵入するようになりました。これをゲルマン人の大移動」といいます。

大移動の以前から、農民や傭兵(ようへい)としてローマ領内に入っていたゲルマン人もいました。そのなかには出世していた者もおり、その1人であるオドアケルが、476年に武力で西ローマ皇帝を脅(おど)して退位に追い込みます。こうして、西ローマ帝国は滅亡しました。

このころ、ゲルマン人北アフリカヴァンダル王国を、現在のスペインのあたりに西ゴート王国を建設します。かつてのローマ帝国の領域に国家がつくられていったのです。

その1つに、フランク王国がありました。西ヨーロッパの中央部(ライン川の周辺)につくられたこの国は、8世紀末に現在のフランス、イタリア中部、ドイツにいたる地域を統一します。

ところが9世紀になると、フランク王国は一族の内紛などで3つに分裂しました。そのうちの1つ東フランク王国が、やがてドイツになるのです。

ドイツをふくむヨーロッパの歴史は、キリスト教会との関係を無視して語ることはできません。

とくに5世紀から15世紀ころまでのヨーロッパは、教会を中心に動いたと言っても過言ではありません。

この本では、まずゲルマン人と教会の関係から、ドイツの歴史をひもといていきます。