じじぃの「人の死にざま_884_ディオクレティアヌス」

ディオクレティアヌス - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9/3272/
Gaius Aurelius Valerius Diocletianus Jovius Split Croatia 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-7R3XH6PUtU
Roman amphitheatar in Salona (Croatia) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VoFDlnSj5WU
ディオクレティアヌス ウィキペディアWikipedia)より
ガイウス・アウレリウス・ウァレリウス・ディオクレティアヌスラテン語: Gaius Aurelius Valerius Diocletianus、 244年12月22日 - 311年12月3日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:284年 - 305年)である。軍人皇帝時代を収拾し、ドミナートゥス(専制君主制)を創始し、テトラルキア(四分割統治、四分治制)を導入した。
【生涯】
292年、それぞれの皇帝が「正帝」(アウグストゥス)として「副帝」(カエサル)を任命し、彼らにライン川ドナウ川の防衛線の維持に当たらせた。この制度はテトラルキア(四分割統治、四分治制)と呼ばれ、帝国は事実上4人の皇帝によって統治されるようになった。だがこの制度は、ディオクレティアヌスの巧みな政治手腕に依るところが大きかったため、彼が引退するとその均衡は崩れ、帝国は再び混乱した。
298年ペルシアと講和、メソポタミア地方、ティグリス河彼岸一帯をペルシアからローマの統治下へ繰り入れ、イベリア地方を影響下に置く。
ディオクレティアヌス治世期は政府・軍内部のキリスト教徒が増加、治世を通じて融和的政策を採っていた皇帝も、その狂信性や軍務放棄、官吏・国教等統治への反抗に警戒感を抱き、303年キリスト教徒に対する令を発した。強制的な改宗を迫る等々キリスト教徒への抑圧が行われ、概ね寛容な処置に留まったものの、国家に対し公然と反抗した一部急進派が処刑された。その数はローマ全土で数千人を数えたという。また、2度キリスト教徒による宮殿放火が企てられている。キリスト教史を編纂する側は「大迫害」と呼ぶ。
ディオクレティアヌス宮殿305年、彼は健康を崩したこともあって退位し、アドリア海に臨むサロナ近郊(現在のスプリト)にディオクレティアヌス宮殿を作って隠棲し、数年後にそこで亡くなった。古代の歴代ローマ皇帝の中で、引退した例は彼のほかにはほとんど存在しない。
カッパドキア ウィキペディアWikipedia)より
284年に皇帝となったディオクレティアヌスは東方属州の再編を行い、カッパドキア属州は元々の属州面積に戻された。330年、カッパドキア属州の東半分がアルメニアに新たに設置された属州へ合併させるため分離された。371年、ウァレンス帝はさらにカッパドキア属州の南西部をカッパドキア・セクンダとして分離させ、残った北東部はカッパドキア・プリマと名付けられた。
カッパドキアはいくつかの地下都市を有しており、主として初期キリスト教徒によって、隠れ場所として使用された。4世紀のカッパドキアの神父たちは、初期キリスト教哲学の多くに対して不可欠な存在であった。

                                  • -

『「天使」と「悪魔」の謎を楽しむ本』 グループSKIT/編集 2010年発行
ローマ皇帝の血を引く悪魔がいるというのは本当か? (一部抜粋しています)
人間の血を引いているという珍しい悪魔がいる。しかも、その人間が、ローマ皇帝だというから驚きだ。
イギリスに残る伝説によれば、かってゴグとマゴクという悪魔がいた。そして、その2体の悪魔は、起元3世紀のローマ皇帝ディオクレティアヌスの血を引いているのだ。皇帝には娘がいたのだが、その娘が夫を殺した罪により海に流されてしまう。そして、ブリテン島に流れ着き、そこで悪魔の妻となって、多くの子どもを生んだ。こうして生まれた子どもたちは巨人の悪魔であり、その多くは、のちに戦いなどによってほとんどが滅んでしまったが、ゴグとマゴクという兄弟だけは生き残ったというのだ。
やがて、悪魔の兄弟はロンドンの宮廷に赴き、そこで衛兵として働き、生涯を終えたと言い伝えられている。ちなみに、『旧約聖書』にも、ゴグとマゴグという名前が登場するが、このイギリスの悪魔巨人とは直接の関係はないという説が有力だ。
さて、悪魔が宮殿で働いたというのは、少々不思議な感じもするが、この伝説は、ある程度は歴史的な裏づけがあるらしい。ゴグとマゴクの死後、彼らの彫像が宮殿に建てられたという記録が、古い文献のなかに残されているのだ。
      ・
もっとも、オリジナルの彫像は17世紀のロンドン大火で消失。その後、再建されたが、それも第二次世界大戦のドイツの空襲によって失われ、いまあるものはそのレプリカであるという。
最後に余談だが、ディオクレティアヌスは、キリスト教を弾圧した人物として知られている。キリスト教徒たちは、彼の治世下を「大迫害」と呼んだ。そのような経緯があったために、後世、彼の血筋を引いた者が悪魔と見なされのかもしれない。

                                  • -

ディオクレティアヌス Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&aq=f&oq=%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E5%B8%9D++%E7%94%BB%E5%83%8F&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&gs_upl=0l0l1l162898lllllllllll0&oi=image_result_group&sa=X&q=%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E5%B8%9D%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch