じじぃの「歴史・思想_681_半島の地政学・イベリア半島」

イベリア半島ってどんな地域?

2022.12.17 ダイヤモンド・オンライン
イベリア半島は、ヨーロッパ大陸の南西端、握り拳の形をした地域です。
北はフランスとの国境沿いにピレネー山脈が、南にはネバダ山脈があり、幅14kmのジブラルタル海峡を隔ててアフリカ大陸と向き合います。
半島の面積はおよそ日本の1.5倍で、この5分の4をスペインが占め、残りがポルトガルです。ピレネー山脈の中にはアンドラ、半島の南東端にはイギリスの直轄領ジブラルタルがあります。
半島の大部分は、全体に西南西に緩やかに傾いた平均標高600~750mの広大なメセタ(スペイン語で卓状地の意)と呼ばれる高原状の地形で、その周囲を2000~3000mを超える山脈が取り囲んでいます。
https://diamond.jp/articles/-/312873

「半島」の地政学――クリミア半島朝鮮半島バルカン半島…なぜ世界の火薬庫なのか?

内藤博文(著)
【目次】
序章 半島はなぜ、いつも衝突の舞台となるのか?
1章 バルカン半島に見る大国衰亡の地政学
2章 朝鮮半島に見る内部分裂の地政学
3章 クリミア半島に見る国家威信の地政学
4章 国際社会を揺らす火薬庫と化した4つの半島

5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島

6章 見えない火種がくすぶる4つの半島

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『「半島」の地政学

内藤博文/著 KAWADE夢新書 2023年発行

5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島 より

なぜ、「多言語・他民族が共存する地」となったのか? イベリア半島

イベリア半島に多様な言語が残されているのは、古代より多くの地域から異なる民族がイベリア半島に移住してきたからであるだろう。移住してきた民族は、イベリア半島の地域に住み着き、独自の文化を持つ独立地帯をつくっていったのだ。

イベリア半島流入していった者たちは、陸からよりも海を渡ってのケースが多いように思われる。その代表が北アフリカカルタゴであり、つづいては古代ローマであった。いずれも船団を組んで上陸し、平地に植民都市を築いていったが、彼らとてイベリア半島の征服は無理であった。山の多いイベリア半島の中央から北側には、進出できないままだったのだ。

また、イベリア半島の北側には、ブリテン島(イギリス本島)からやってきたケルト系の住人が住み着いている。彼らは、ブリテン島に襲来したアングロ=サクソン系に追われるようにして、イベリア半島に渡っている。その末裔(まつえい)と思われるのが、いまのガリシア語を話すガリシアの住人だ。

イベリア半島の様相を変えたのは、8世紀に侵攻してきたイスラム勢力である。中東世界で、イスラム帝国であるウマイヤ朝がアッパース朝に滅ぼされたときだ。ウマイヤ朝の残党がイベリア半島に渡り、後ウマイヤ朝を築く。彼らは、内陸のコルドバに都を置いた。

以後、数世紀にわたって、イベリア半島イスラム勢力の下に置かれるが、彼らとてもイベリア半島中南部までを勢力圏としたにすぎない。しかも、後ウマイヤ朝滅亡ののち、イベリア半島には20余りのイスラム王国が点在していたというから、イベリア半島の統治不能ぶりが表れている。

また、イベリア半島に渡ったイスラム勢力は、その勢いでピレネー山脈を越えて、フランスの平原になだれこんでいる。イベリア半島からフランスへの唯一の侵攻であったが、その侵攻はフランク王国によって撃退されている。

勝利したフランク王国だが、彼らはピレネー山脈を無理に超えようとはしなかった。ピレネー山脈は大きな壁に映り、フランス王国イベリア半島に本格的に介入することを避けていた。西のピレネー山脈を大きな壁と見たフランク王国は、東へと拡大を進めていく。

スペインとポルトガルが海洋国家になった理由とは イベリア半島

15世紀後半、スペインとポルトガルは、ヨーロッパでもっとも野心的な地域になっている。もともとイスラムの高度な文化土壌があるうえ、それまで半島内のイスラム教徒との戦いに向けられてきたパワーはまとまって、半島の外に投入されはじめたからだ。

スペインとポルトガルが、イベリア半島を基盤に目指したのは海洋進出である。ポルトガルはアフリカ大陸の西岸を南下し、喜望峰を発見史、インドに向かう。一方、スペインは大西洋を横断し、アメリカ大陸の存在を知る。以後、スペインとポルトガルは海外の富をヨーロッパに持ち込み、繁栄を遂げる。

スペインとポルトガルが海洋進出に出たのは、それ以外にパワーを注ぎこめる地がなかったからだ。ヨーロッパに進出しようにも、進出先がさほどなかったのだ。

たしかに、強国となったスペインの場合、地中海に面していることもあって、イタリア半島における勢力争いに参戦し、イタリア半島にも勢力圏を築いた。けれども、小国のポルトガルは、地中海に面していないこともあり、イタリア半島の勢力争いに加われない。
大西洋に向き合うポルトガルは、この大海の活用を考え、やむなくアフリカ沿岸に進出した。これが吉と出たのである。

スペインもまた、ヨーロッパ半島のもっとも西に位置する国家のひとつとして、未知の大西洋に賭けに出た。これも吉と出て、イベリア半島は海洋国家となったのである。