じじぃの「歴史・思想_680_半島の地政学・ヨーロッパ半島」

Could the EU military conquer the UK?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hWhFZJmm0_Q

Euroscepticism and engagement has a long history


Opinion: Britain and Europe: a long history of conflict and cooperation

Britain’s referendum on the EU marks another step in the country’s long and troubled history with its European neighbours.
Divorce or not, Europe will continue to have a huge influence over British politics and society - history has a few lessons for us here.
https://www.cam.ac.uk/research/discussion/opinion-britain-and-europe-a-long-history-of-conflict-and-cooperation

「半島」の地政学――クリミア半島朝鮮半島バルカン半島…なぜ世界の火薬庫なのか?

内藤博文(著)
【目次】
序章 半島はなぜ、いつも衝突の舞台となるのか?
1章 バルカン半島に見る大国衰亡の地政学
2章 朝鮮半島に見る内部分裂の地政学
3章 クリミア半島に見る国家威信の地政学
4章 国際社会を揺らす火薬庫と化した4つの半島

5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島

6章 見えない火種がくすぶる4つの半島

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『「半島」の地政学

内藤博文/著 KAWADE夢新書 2023年発行

5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島 より

ウクライナを起点とする「ヨーロッパ半島の大回廊」とは ヨーロッパ半島③

ヨーロッパ半島がウクライナに神経質なのは、ウクライナがヨーロッパ半島の危機の起点になりやすいからでもあるだろう。ウクライナは、ヨーロッパ半島の東西に広がる大平原の起点になっているのだ。

半島は古代の造山運動によって山がちの地形を残していて、ヨーロッパ半島もそうなっている。東西にはアルプスが連(つら)なり、ヨーロッパ半島の北と南を分断している。ヨーロッパ半島の南側には、バルカン半島イタリア半島と、これまた山がちな地形の半島があり、陸路による東西の電撃的な進軍はむずかしくなっている。一方、ヨーロッパ半島の北側には平原が広がっていて、陸上移動の障害となるものは河川くらいだ。

具体的には、東からウクライナベラルーシの平原があり、ポーランドの平原、北ドイツの平原とつづく。北ドイツからオランダ、ベルギーの平原地帯を抜けると、フランスの大平原が広がっている。モスクワからパリまでは、河川以外に何の障害もなく、平原を電撃的に横断できる「大回廊」となっているのだ。

この「大回廊」こそは、ヨーロッパを形成し、ヨーロッパの脅威となってきた歴史を持つ。ユーラシア大陸方面からヨーロッパ半島へ民族移動や侵攻があれば、大平原の広がるヨーロッパ半島北部の「大回廊」が絶好の通り道となっていた。

「大回廊」を突き進めば、モスクワからワルシャワ、ベルリンへの侵攻はたやすく、パリにでも容易に到達できる。モスクワからの侵攻を止めようと思ったら、強力な国家という防壁を何重にも平原内に置くしかないのだ。

それが、NATOEUの東方拡大にもつながっている。ヨーロッパ勢力はウクライナをルートとした大陸勢力のヨーロッパ半島進出を恐れ、半島の東側に強い防壁を何枚もつくりたかった。それが、NATOEUの東方拡大であったが、NATOの東方拡大はロシアを不安に陥(おちい)らせ、ウクライナ侵略戦争の地となったのである。

イギリスはなぜ、「ヨーロッパの統合」を嫌うのか? ヨーロッパ半島⑤

ヨーロッパ半島がひとつの共同体になれないのは、その山がちな地勢にもよるが、もうひとつ、半島の沖にブリテン島があるからだ。ブリテン島にあるイギリスは、ヨーロッパ半島に強力な統合勢力が生まれることを嫌い、つねに邪魔をしてきたのだ。

イギリスがヨーロッパ半島に神経質なのは、海峡を挟んだブリテン島とヨーロッパ半島の距離が近いからだ。その距離は日本の九州と朝鮮半島よりもはるかに近い。そのため、ブリテン島はヨーロッパ半島からたびたび侵攻を受けてきた。古くはローマ帝国の侵攻、ヘルマン人の一派であるアングロ=サクソン人の襲来、ノルマン人(ヴァイキング)による強奪、ノルマン人の末裔(まつえい)ノルマンディー公ウィリアムによる征服などだ。

ノルマンディー公ウィリアムの征服と建国から、いまのイギリスははじまるのだが、イギリスの歴史はヨーロッパ半島との戦いの歴史である。ここが、日本との違いだろう。
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17~18世紀、ルイ14世のフランスが領土拡張に動いたとき、イギリスはルイ14世紀の野心を挫(くじ)くために、同盟国とともにファルツ戦争(アウグスブルク同盟戦争)やスペイン継承戦争などを戦ってきた。

18世紀末のフランスに、ナポレオンが登場したときも同じである。イギリスはヨーロッパ諸国と対仏大同盟を結んで、ナポレオンに対抗、ついにはナポレオンを没落させてきた。20世紀のふたつの世界大戦では、巨大化を狙うドイツを挫くために、フランスと結んで戦っている。

半島と島国はそうは戦わないし、島国が半島に干渉することもめったにない。その意味で、イギリスとヨーロッパ半島の関係は特異であり、ヨーロッパ半島はしばしばイギリスの干渉を受けてきた。

近年、イギリスはEUから離脱したが、それはヨーロッパ半島の統合に巻きこまれのを嫌がったからだろう。イギリスがヨーロッパ半島の勢力圏に入ったままなら、イギリスは島嶼(とうしょ)国家としての自由を失う。イギリスは自由を確保するために、ヨーロッパ半島から距離を置くべく、ブレグジットを選んだのだろう。