じじぃの「歴史・思想_682_半島の地政学・スカンディナヴィア半島」

デンマーク:シェラン地域

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シェラン地域(Region Zealand)は、デンマークにある5つの地域(レギオーン、最上位の地方行政区画)の一つで、デンマーク東部のシェラン島(Sjalland)とファルスター島(Falster)とロラン島(Lolland)およびメン島(Mon)などに跨る地域です。
https://www.travel-zentech.jp/world/map/Denmark/Region_Zealand.htm

「半島」の地政学――クリミア半島朝鮮半島バルカン半島…なぜ世界の火薬庫なのか?

内藤博文(著)
【目次】
序章 半島はなぜ、いつも衝突の舞台となるのか?
1章 バルカン半島に見る大国衰亡の地政学
2章 朝鮮半島に見る内部分裂の地政学
3章 クリミア半島に見る国家威信の地政学
4章 国際社会を揺らす火薬庫と化した4つの半島

5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島

6章 見えない火種がくすぶる4つの半島

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『「半島」の地政学

内藤博文/著 KAWADE夢新書 2023年発行

5章 世界を激震させる起爆点となった4つの半島 より

北欧における「デンマークの力の根源」となった海峡とは スカンディナヴィア半島②

スカンディナヴィア半島の北にはバレンツ海、西にはノルウェー海が広がり、南には北海とバルト海がある。バルト海はスカンディナヴィア半島の内海のようなものであり、スカンディナヴィア半島からは海上勢力が出やすい。

スカンディナヴィア半島のもうひとつの特徴は、南の先端にシェラン島が存在するところだ。シェラン島の西にはユラン(ユトランド)半島があり、スカンディナヴィア半島は、シェラン島、ユラン半島とは三者で狭い海峡を形成していて、つながった格好になっている。この海峡が、バルト海と北海の通路になっている。
このバルト海と北海の通路にあたる海峡周辺で、シェラン島、ユラン半島を領有するのはデンマークである。

デンマークの首都コペンハーゲンシェラン島にあり、シェラン島はエーレ(エーアソン)海峡を挟んで、スカンディナヴィア半島に対面している。エーレ海峡のもっとも狭いところは、わずか4キロ程度とされる。かつて冬になると凍結し、スカンディナヴィア半島からシェラン島へは徒歩で渡ることもできたほどだ。デンマークが、スカンディナヴィア半島の勢力ともいえる理由がここにもある。

デンマークは17世紀後半まで、スカンディナヴィア半島のスコーネ地方も領有していたから、その時代、デンマークはエーレ海峡を独占できた。また、シェラン島、ユラン半島のあいだにあるストア海峡も独占できたから、デンマークは北海とバルト海を結ぶチョークポイントを押さえられた。これがデンマークの強みとなっていた。

スカンディナヴィア半島の勢力争いにあって、中世まで主導権を握ってきたのは、デンマークである。デンマークが優位に立てたのも、バルト海と北海を結ぶチョークポイントにあり、海上交易の中枢でいられたからだろう。

デンマークは19世紀半ばまで、周辺海峡を航行する船に「海峡税」を課していた。海峡性がデンマークを潤(うるお)し、デンマークの力の根源にもなっていたのだ。

第2次大戦後、中立を選んだ2国の事情とは スカンディナヴィア半島⑦

スカンディナヴィア半島は、17世紀まではユーラシア大陸に攻撃的な半島であったが、18世紀以降、ユーラシア大陸に対して守勢に回っている。ユーラシア大陸内でロシアが大国化しはじめ、ドイツが統一へと向かっていったからだ。

それまで、スカンディナヴィア半島周辺には大きな脅威はなかった。バルト海に面したロシアも存在していなかったし、ドイツは分裂していた。だから、スカンディナヴィア半島内ではスウェーデンデンマークがしょっちゅう戦争していてもゆるされたし、スウェーデン大陸国家としての夢を見ることもできた。

けれども、ロシアが巨大化し、ヨーロッパ半島にも勢いのある勢力が出る時代になると、スカンディナヴィア半島は個別に撃破されていく。スウェーデンはロシアに押しこまれ、ナポレオン戦争の時代、フィンランドをロシアに奪われている。デンマークはといえば、同じナポレオン戦争の時代にフランス寄りの姿勢を見せたことで、イギリスにコペンハーゲンを焼き討ちされている。

20世紀、第1次世界大戦後にフィンランドは独立を果たす。スカンディナヴィア半島の4ヵ国は中立維持に動こうとするが、ソ連ナチス・ドイツには通じなかった。第2次世界大戦がはじまると、1939年、ソ連軍はフィンランドのカレリア地方に侵攻し、「冬戦争」となる。

これは、ソ連による明らかな侵略なのだが、イギリス、フランスからの救援はなかった。近未来にありうる対ドイツ戦に備えて、ソ連を頼みとしていた英仏が、ソ連との敵対を避けたからだ。フィンランドは、ナチス・ドイツを頼りとするしかなかった。

1940年、ナチス・ドイツデンマークノルウェーを急襲、電撃的に占領を果たした。ドイツにとって、ノルウェーデンマークの占領はイギリスに対する側面攻撃となる。と同時に、ドイツはバルト海をドイツの内海にしようとしていた。

ドイツの圧力に屈したスウェーデンは、中立の体裁を保ちつつ、フィンランドに向かうドイツ兵の自国通過を認めている。フィンランドを支援しているのはドイツのみであり、フィンランド支援という目的もあった。

第2次世界大戦ののち、スカンディナヴィアの4ヵ国は独立を回復するが、志向する方向は違った。デンマークノルウェーNATOに加盟し、安全保障を強化した一方で、スウェーデンフィンランドは中立を選んだ。

とくにソ連と国境を接するフィンランドには、ソ連への忖度(そんたく)を迫られ、外交的な自由はなかった。フィンランドが中立を捨ててNATOに加盟すれば、ソ連をあまりに刺激し、ソ連に戦争の口実を与えかねなかった。スウェーデンフィンランドソ連の戦争に巻きこまれのを恐れ、中立を選ばざるをえなかった。

ただ、そのフィンランドスウェーデンも、ウクライナ侵攻によってロシアの脅威があからさまになると、新たな選択をしている。両国はNATO加盟を希望し、スカンディナヴィアはNATOによって守られることになるだろう。

見方を考えれば、NATO入りを果たすことで、スカンディナヴィア半島は、対ロシアの最前線とも位置づけられることになる。