じじぃの「歴史・思想_258_フィンランド・EU加盟へ・サンタクロース」

Santa is getting ready for Christmas at his office in Finland.

大下容子ワイド!スクランブル

2020年7月20日 テレビ朝日
【司会】小松靖大下容子 【コメンテーター】瀬尾傑(スマートニュースメディア研究所所長)、マライ・メントライン(ドイツ放送プロデューサー) 【解説】池上彰(ジャーナリスト)、増田ユリヤ(ジャーナリスト)
池上彰増田ユリヤ徹底生解説 感染押さえ込み“幸せの国”の国民性

「世界一幸せな国」

フィンランドは人口約551万人の自然豊かな国だ。
フィンランドは他のヨーロッパ諸国に比べ、新型コロナウイルスの感染者が少ないのも特徴だ。フィンランドは国連の幸福度ランキングで3年連続1位に選ばれている。
フィンランドの教育はお金がかからない。大学、大学院まで授業料無料。
さらに、現職では世界最年少の首相の誕生にも幸福が関係しているという。
フィンランドと日本の共通点について。
フィンランドは財布や携帯を落としても、持ち主に戻ってくる国の1つとされる。
ヘルシンキで行われた実験では、置き忘れた財布12個中11個が戻ってきたという。
フィンランドと日本の共通点:厳しい自然環境、敗戦からの復興。
「SISU」と大和魂も似ているとみられる。
サンナマリン首相(女性)は「私たちはどの国よりも、あらゆる事態への備えがあった」と話している。
https://www.tv-asahi.co.jp/scramble/

世界が注目するフィンランド教育!学力世界一が実現した理由

2019.11.27 cocoiro(ココイロ)
フィンランドは国際学力調査では常に上位に入っており、世界幸福度ランキングでも1位を保持する国です。
フィンランドで教育を受けた子供たちが、将来的に自分の人生を謳歌できる、そのように育てる国の教育はどのようになものなのでしょうか? 
https://cocoiro.me/article/4475

『物語 フィンランドの歴史 - 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年』

石野裕子/著 中公新書 2017年発行

西ヨーロッパへの「接近」――ソ連崩壊~21世紀 より

冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊したことで世界は大きく変動した。
ソ連と適度な距離を保とうと、外交に苦慮してきたフィンランドも大きな変化を迫られる。フィンランドが冷戦後の危機をどのように乗り越え、現在に至ったのかを政治の動きを中心に見ていきたい。

EU加盟に向かって

1995年1月1日、フィンランドスウェーデンオーストリアといった冷戦下、中立政策をとっていた国々とともにEU加盟を果たした。
スウェーデンは1991年にEC加盟申請を公的に表明したが、実はEFTA加盟国への事前通告をしていなかった。この事実は隣国フィンランドへの事前説明がなかったことを意味する。しかし、フィンランド政府はスウェーデンに遅れないように必死に動いた。旧東欧諸国と一緒に加盟するのではなく、「ヨーロッパ」の印象が強いスウェーデンオーストリアと一緒に加盟することにこだわったのである。
EU加盟後、フィンランドEU重視の政策をとる。スウェーデンデンマークが導入に躊躇するなか、1999年に単一通貨ユーロを北欧諸国で最初に採用した。ノルウエーはEUには参加していないが、EUの単一市場に参加できる枠組みである欧州経済領域(EEA)には参加するなど、EUに対する政策は北欧各国で異なった。

2008年の金融危機と「ノキア・ショック」

経済に目を向けると、2008年9月にアメリカから始まったリーマン・ショックによる世界的な金融危機後、フィンランドも苦境に立たされた。2009年にはGDPが8%減少するまでに影響が及んだ。
それはフィンランドの巨大企業ノキアにも及んだ。1980年代以降のノキアの発展は、フィンランド全体のGDP指数を変えるほど大きいものであった。ある試算ではノキアの最盛期である2000年には、フィンランドにおけるGDPの4%を占めていたという。この年、ノキアは世界一の携帯電話機台数を誇り、それは2010年まで続いた。
だが、アメリカのアップル社が売り出したiPhoneをはじめとするスマートフォン市場の波にノキアは乗り遅れ、結果として業績が急激に悪化する。2014年にノキアは、携帯端末部門をアメリカのマイクロソフト社に売却した。国の経済を牽引していたノキアの重要部門が売却されたことは「ノキア・ショック」とも評された。
2014年10月にアメリカのCNBCのインタビューで6月にカタイネンの後を継いで首相に就任したアレクサンデル・ストゥッヴ(1968~)が、「iPhoneノキアを殺し、iPadフィンランドの製紙産業を殺した」と語ったことは話題となった。彼は「我々(フィンランド人)は復活するだろう」と続けて述べ、国を挙げて経済の復活を宣言したが、ノキアの復活はなかった。
ストゥッヴ首相はノキアの凋落を受け、政府を挙げてベンチャー企業の支援に乗り出す。フィンランド技術庁(TEKES)はベンチャー企業に資金援助を行い、若者の企業を支援する態勢を整えた。また、9つの大学に起業のためのインキュベーション・センターを設置し、研究開発や学生の起業を支援している。なかでもアールト大学の「スタートアップサウナ」はよく知られ、産学連携が実践的に展開されている。
その政策が功を奏するかは、現在まだわからないが、フィンランドではノキアに代わってスマートフォン向けのゲーム制作会社が世界企業へと成長を遂げている。たとえば、「アングリ―バード」のヒットで知られるロヴォオや「クラッシュ・オブ・クラン」がヒットしたスーパーセル(Supersell 2013年にソフトバンクが15.3億ドルで買収)が台頭した。
フィンランドはほかの北欧諸国とは異なり、森林以外には資源が乏しく、エネルギーの多くも外国から輸入している。それゆえ国家経済を支える「ネクスト・ノキア」が必要なのだ。2016年度からは小学校1年生の段階からプログラミングの授業を導入するなど、新たな産業の活性化を政府が後押しする状況にある。

サンタクロース――独占が崩れるか

毎年11月終りから12月初めにかけて、フィンランドからサンタクロースが日本にやってくる。フィンエアーでやってくるサンタクロースはクリスマスの風物詩であり、全国のデパートやショッピングセンター、福祉施設などに足を運んで子どもたちと触れあっている。
サンタクロースは、北極圏に位置する都市ロヴァニエミにある「サンタクロース村」からやってくる。サンタクロース財団公認である。ちなみに、サンタクロースは何もフィンランドの専売特許ではない。スウェーデン、ノルウエーといった北欧諸国にも「サンタクロース村」があり、グリーンランド国際サンタクロース協会が公認するサンタクロースもいる(この協会で唯一公認された日本人が、マンボミュージシャンのパラダイス山元である)。
1957年からは、デンマークコペンハーゲンにあるバッケン遊園地で世界サンタクロース会議(Santa Claus World Congress)が開催されるのを契機に毎年世界のサンタクロースが集う。12月はサンタクロースの「繁忙期」なので、オフシーズンの7月に開催され、世界中のサンタクロースが終結する。
サンタクロースの起源は4世紀まで遡る。現在のトルコにあたる小アジアの聖ニコラウスの飢えた民衆に小麦を分け与えた、あるいは売られるはずだった乙女を窓から金塊を投げ入れて救ったという伝説がサンタクロースにつながっている。
聖ニコラウスの祝日である12月6日頃に、子どもへ贈り物を与える習慣が18世紀にドイツやオランダに、さらに北欧へと広がっていったという。
北欧にはオージンやフレイといった北欧神話の神々が祭る習慣や、冬至祭ユールなどがあり、それと混じり合ってサンタクロースが人びとに浸透していったらしい。ちなみに赤い顔を着た、白髪の白い長ヒゲを蓄えた恰幅のいいサンタクロースの姿は、アメリカ発祥とされる。
外国の風習が入ってくるとともに、フィンランドにもサンタクロースがクリスマスの風習として1880年代に広まったが、当初はヤギが牽引する車や橇(そり)、あるいは豚の背中にまたがってやってきたという。さらには、土着宗教の風習と混じり合って森に住む妖精トントゥがサンタクロースの手伝いをするようになった。
実は、アメリカで伝えられていたサンタクロースの故郷は北極である。それを「活用」して、フィンランド国営放送局ユレが、ラップランド東部にあるコルヴァトゥントゥリ(ロヴァニエミから300キロ北)をサンタクロースの正式な住居に定めたと発表したのが1927年のことだった。たしかに、トナカイが引く橇がラップランドにあることは不自然ではない。フィンランドのサンタクロースは、ヤギあるいは豚からトナカイに乗るようになっていく。