The History of Finland
Sweden-Finland map
Swedish history - from ice to IT
●1050-1500: The Middle Ages
1155: Finland is joined to the Swedish realm, through a crusade.
1248-1266: Statesman Birger Jarl introduces the first national laws concerning the protection of women, the home, churches and the court.
1349: The Black Death kills one-third of the Swedish-Finnish population, and a long period of economic decline follows.
At the end of the 1300s, Sweden-Finland has about 650,000 inhabitants.
https://sweden.se/society/sweden-from-ice-age-to-it-age/
スウェーデン王国の辺境――13世紀から19世紀初頭 より
スウェーデン王国とノヴゴロド公国の狭間
スウェーデンによるフィンランドへの植民は、8世紀半ばに始まったとされる。フィンランド南西沿岸から東のカレリア、ラドガ湖北岸まで入直が行われ、徐々に居住地域が広がっていった。だが、その一方で、東からはロシア西部に存在したノヴゴロド公国のスラブ民族が入植していく。
バルト海に面したフィンランドは、スウェーデン、ノヴゴロド双方にとって地政学的に重要な地域であった。また、フィンランドで採取される毛皮は北方に住む人びとにとって貴重な商品であり、双方にとってフィンランドは経済的にも支配下に置きたい地域であった。
「長き怒り」から「大いなる怒り」の時代へ
16世紀半ば、スウェーデンがバルト海の対岸にある北エストニアまで勢力範囲を伸ばすようになると、ロシアとの緊張関係が高まった。1570~95年、スウェーデン、ロシア間で戦争が行われた。主な戦場はフィンランドであり、フィンランド湾沿岸や国境付近の住民が殺害され、畑を焼き払われたりするなど大きな被害を被った。住民らは自分たちの命と領土を守るため、ゲリラ活動を展開する。フィンランドでは先述した1490年代の戦争「古き怒り」に対して「大いなる怒り」と呼ばれる。
1595年にスウェーデン、ロシア間でタユッシナ講和条約が終結され、4半世紀に及んだ戦争は終わった。この条約でスウェーデン(フィンランド)とロシアの国境線を再画定し、フィンランド湾から北極海で東側国境線が引かれることとなった。
スウェーデンからロシアへ
さて、フィンランドは1809年から100余年、スウェーデンからロシアの統治下に入る。そのきっかけは、1808~09年に戦われたスウェーデンとロシアによる「フィンランド戦争」であるが、それには前史としてナポレオン戦争があった。
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ロシアは1807年から08年にかけてスウェーデンにたびたび警告を送ったが、スウェーデンは応じなかった。対して、ナポレオンはスウェーデン領であったフィンランドを攻撃するようにロシア皇帝に求めた。ロシア皇帝はフランスの要求を呑み、1808年2月、国境を越えて進撃し、戦争が始まった。
この「フィンランド戦争」では、国境付近だけではなく、フィンランドの広範囲にわたって戦いが繰り広げられた。スウェーデン軍が勝利する局面があったものの、3月にはロシア軍はヘルシンキを、続いてオーボも占拠した。5月にヴィアポリも陥落し、ロシア軍が完全に優性となった。劣勢になったものの、スウェーデンはフランスと軍事同盟を結んだデンマークが攻撃してくることを警戒し、フィンランドに兵を大量に投入することはなかった。
戦争は1809年9月17日にハミナで終結された講和条約をもって終結し、スウェーデンをロシアに割譲する。この条約によって600年にわたるスウェーデン統治時代が終わりを告げたのである。
他方で、フィンランドを失ったスウェーデンはノルウエーを手に入れることになる。1814年にナポレオン戦争の講和として終結されたキール条約で、デンマークからノルウエーが割譲されることが決まったからである。ノルウエーではそれに反対する動きが起こり、独立宣言も出され、憲法まで起草された。だが、最終的にノルウエーはスウェーデンとの同君連合下に置かれた。それはノルウエーが独立する1905年まで続いた。
このように北欧諸国が再編成されるなか、フィンランドは北欧から切り離され、ロシア帝国の一部として次の1世紀余りを過ごすことになる。