じじぃの「14世紀ペストの流行・ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだ?池上彰のニュース検定」

9th January 1349: Jews massacred in Basel during the Black Death

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lkkOkqNEPxY

Why Were Jews Blamed for the Black Death?

Why Were Jews Blamed for the Black Death?

Bubonic plague-the “Black Death”-killed 25 million in 14 century Europe, roughly 40 percent of the population. Long-distance merchant ships bearing flea-infested rats likely spread the deadly disease-causing bacilli throughout Western Europe. But the scientific understanding of communicable disease was more than five centuries away.
https://momentmag.com/why-were-jews-blamed-for-the-black-death/

池上彰のニュース検定

2020年6月18日 テレビ朝日 【グッド!モーニング】
きょうのキーワード 「ユダヤ人迫害」。

問題 「ペストの流行と関係の深い動物は?」

・コウモリ
・ネズミ
・ゾウ
正解 ネズミ
池上彰さん解説】
 「14世紀にヨーロッパで流行したペスト。当時の人々はペストについて知識がなく原因が分からなかったために人口の3分の1が犠牲になった。ペスト菌による感染症と分かったのは500年以上も経ってから。当時は、空気がペストに変質する、地震が原因でガスが地下から広がったなどの説が飛び交った。ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだのでペストが蔓延したというデマも広がった。当時のユダヤ人居住エリアではネコを飼っている家庭が多く比較的感染者が少なかったことがデマのきっかけになった。キリスト教徒はユダヤ人を殺害。ユダヤ人を焼き討ちしました。ペストはネズミに寄生するノミが媒介する感染症です。犯人捜しの風潮は今も変わっていない。トランプ大統領新型コロナウイルスをチャイナウイルスと呼んでいるのはその典型です」

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『トルコを知るための53章』

大村幸弘、永田雄三、内藤正典/編著 赤石書店 2012年発行

オスマン帝国ユダヤ教徒 スペインから追放されたユダヤ教徒 より

イスタンブールのガラタ塔近くにある喫茶店に寄った。すると、店の外にいた女性たちが雑談に興じている。彼女たちが話している言葉はトルコ語ではなかった。その言葉とは、ラディーノ語であった。ラディーノ語とはいまから約500年前にスペインから追放されたユダヤ教徒が使っていた言葉である。頭で理解していても、実際にこの言葉を聞いたときには歴史の不思議さを実感した。発音はスペイン語にしか聞こえないこのラディーノ語は、500年前に地中海の西から東にやってきたユダヤ教徒の子孫によって話されているのである。ユダヤ教徒がなぜスペインで追放され、オスマン帝国に辿り着き、その後どのような運命をたどったのかを述べる。

ユダヤ教徒が民族離散(ディアスポラ)となったのは紀元前後からである。彼らの多くが地中海周辺からヨーロッパ、あるいはイスラム世界にコミュニティーを形成し、商業活動を中心に活動を行ったことはよく知られている。しかし、ヨーロッパでは「キリスト殺しのユダヤ人」として迫害の対象となり、ペストの流行の際などに多くのユダヤ教徒が殺戮された。

一方、イスラム世界ではユダヤ教徒は比較的寛容に扱われることが多く、とくに、イスラム支配下イベリア半島では、セファルディームと呼ばれるユダヤ教徒社会では、多くの著名な学者などを輩出するほど、彼らの活動は活発であった。しかし、レコンキスタが進展すると、やはりセファルディームは迫害の対象になった。イベリア半島での迫害はおもに強制改宗という手段がとられた。それはセファルディームの存在が新たな国家建設に必要であったため、キリスト教徒は彼らを社会の中に取り込もうとしたのである。セファルディームからの改宗者は文字どおり、新キリスト教徒、改宗者またはマラーノと呼ばれた。しかし、その改宗の真偽は疑われ、スペインでは15世紀後半から異端審問がはじまり、異端判決宣告式が開かれるに至る。そして、イベリア半島最後のイスラム半島最後のイスラム王国であるナスル朝が滅び、レコンキスタが終了した1492年、ついにユダヤ教徒追放令が公布されたのである。これによって、10万人以上といわれるセファルディームがスペインから、さらにその後ポルトガルから追放されることとなった。その一部がオスマン帝国にまで移住してきたのである。