じじぃの「科学・芸術_650_サウジアラビア・サウド家」

Modern History of Saudi Arabia 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=r1IGk0LiXwo
サウジアラビア国王と皇太子

サウジには私たちが考える「自由」はない “独裁”と“改革”のもつれから紐解くジャーナリスト暗殺疑惑 2018年10月18日 FNN.jpプライムオンライン
サウジアラビア政権を批判してきたサウジ人ジャーナリスト、ジャマール・カショギ氏が10月2日に在イスタンブール・サウジ領事館内で殺害されたとみられる事件は、サウジを巡るいくつかの主要な問題を露呈させたという意味で実に興味深い。
最も重要なのは、サウジは本当に解放された近代国家になりつつあるのかという問題である。サウジは1932年に建国された王国であり、その王位はサウド家の人間によって継承されてきた。2017年6月に現サルマン国王の勅令によって次期国王に任命されたのが息子のムハンマドである。ムハンマドは皇太子となって以降、「厳格なイスラム教の統べる独裁国家」というサウジのイメージ払拭に努めてきた。女性の自動車運転や映画上映の解禁を皮切りに、ファッションショーや音楽イベントの開催、リゾート開発やテーマパーク建設計画といった「解放」政策を矢継ぎ早に繰り出し、それらは世界のメディアを賑わせた。
https://www.fnn.jp/posts/00376350HDK
『世界石油戦争―燃えあがる歴史のパイプライン』 広瀬隆/著 NHK出版 2002年発行
砂漠の豹イブン・サウドの戦い より
世界最大の産油国サウジアラビアでは、何が起こっているのか。
それを知るには、1932年までこの世に存在しなかったサウジアラビアという国家が建設されるまでの物語に耳傾けるのが一番だ。西欧の伝記作家たちが一も二もなくアラブの英傑とほめたたえ、知恵と腕力と記憶力と精力に舌を巻いた”砂漠の豹イブン・サウド”、この偉大な人物を措いて、ほかに誰があの広大な半島を治めることをなし得たであろう。
2002年5月のサウジアラビア元首は、国王がファハドだが、高齢のため病弱で、すでに実権は国王の弟である皇太子アブドゥラに移っていた。1932年にサウジアラビアが建国されてから、偉大な建国者イブン・サウドの死後、国王の座は息子の世代に受け継がれ、サウド国王、ファイサル国王、ハリド国王、ファハド国王へと、すべて兄から弟に継承されてきた。
ファハド国王の父は、サウド家のアブドゥルアジズである。しかし歴史家がアブドゥルアジズと書くことは稀である。その人こそ、伝説の王、サウジアラビア建国者イブン・サウドであった。
”砂漠の豹イブン・サウド”がネジド王国の中心地リヤドを少人数で奇襲し、サウド家の手に城と宗主権を奪回した歴史的出来事は、1902年、今からちょうど100年前のことである。100年後の2002年にその実息子が国王の座にあるのだから、わずか2世代で1世紀を治めることができる偉大な国、それがサウド家のアラビア、すなわちサウジアラビアということになる。同じ期間にアメリカがセオドア・ルーズヴェルト大統領から2代目ブュシュ大統領まで18人の国家元首を交代しても、サウド家は親子2世代の5人だけで統治してきた。
アラビア半島の巡礼町メッカで、隊商を組織する交易商人ハーシム家預言者ムハンマドマホメット)が生を享けたのは、570年ごろ。それから1200年近い歳月を経て、1750年ごろのことである。アラビア半島の中央部ネジドのベドウィン隊長であるサウド家は、サウド亡きあと息子のムハンマドによって治められていた。日本を8つも呑み込む広大な300平方キロメートルのアラビア半島には、今日のような国境線はひとつもなく、国家としてはイエメンもなければオマーンカタールバーレーンアラブ首長国連邦も存在しなかった。生活地域ごとにまとまった自然な土地を、各地で部族の長が治め、遊牧の民ベドウィンたちが砂漠からオアシスへ、オアシスから砂漠へと自由に移動し、交易と略奪を通じて互いの生活をまかなっていた。
     ・
2001年9月11日事件(アメリカ同時多発テロ事件)前、アメリカ大統領選挙が行われた2000年末における全世界の石油確認埋蔵量1兆バレルに対して、サウジの埋蔵量は2600億バレルと4分の1を占め、中東埋蔵量6900億バレルの40%近くを占めていた。翌2001年のアメリカの原油輸入量は33.4億バレルに達したが、最大の輸入先は、サウジの5.9億バレルで、全輸入量の2割近くを占めた。アメリカの全石油製品の輸入量でも、サウジは6億バレルを占めてカナダに次ぐ第2位となり、アメリカの全消費量の8.5%がイブン・サウドの王国に頼っていた。アブドゥラ皇太子が、アメリカへの原油輸出を全面禁止し、大富豪アルワリド王子がウォール街から全資金を引き上げれば、一夜にして世界最大のシティバンクは大崩壊し、ニューヨークの市場は空前の大暴落に見舞われるのである。メキシコ、ベネズエラと共に、アメリカの金融界・産業界にとって、産油国サウジの存在はいまも重大である。
そのサウド家の王子は推定7000人に達し、彼らが政府と軍首脳のほとんどの要職を占めてきた。サウジアラムコの幹部は、すでに1人を除いて全員がサウジアラビア人である。しかしその人たちは、全員がアメリカの大学で教育を受けてきた。これらの事実は、サウジ民衆にとって何を意味するのか。すでにサウド家では、公選制の導入へ向けて議論が始まっている。サウジでは92年に120人から成る顧問会議が設立されたが、これらの人間は選挙で選ばれていない。サウジでは新聞もテレビも政府所有であり、王室批判が禁じられてきた。その王国でも、反米気運のなかからついに王室批判の言動がそちこちに現れるようになった。そのため、大富豪アルワリド王子が、サウジ王室の改革のため民主的な選挙制度の導入を提唱したのである。