じじぃの「神話伝説_164_イシュマエル(イスラム教の祖)」

Inside Mecca, view of Kaaba 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YzAJIXwc49A
カーバ神殿サウジアラビア・メッカ)

『逆説の世界史 2 一神教のタブーと民族差別』 井沢元彦/著 小学館 2016年発行
イスラム教と『コーランの謎』 (一部抜粋しています)
アッラーユダヤ教を否定しているわけではない。神は唯一という点で、ユダヤ教イスラム教は完全に一致しており、いわゆる『タナハ(旧約聖書)』の神話もイスラム教は認めていると考えられる。つまり、ユダヤ教徒が「ヤハウェ」と呼ぶ存在を、イスラム教徒は「アッラー」と呼んでいるのだ、と考えた方が理解しやすいかもしれない。
では、ユダヤ教イスラム教はどこが違うのか?
要するに、「ユダヤ教が伝えている神の事績は基本的には正しいが、完全ではない。神の完全なメッセージをこの世にもたらしたのが、最後の預言者ムハンマドである」とするのである。
イスラム教以前の「不完全」はどこから生じたのか?
始まりはアブラハムだ。彼はユダヤ教においては、すべてのユダヤ人の祖であり、最初の預言者である。そしてイスラム教では、アブラハムはすべてのアラブ人の祖でもある、と考える。
イスラム教ではアブラハムを「イブラーヒーム」と呼び、彼の時代の信仰こそ完全な一神教であったのだが、その後、ユダヤ教はその完全性を失った。そしてキリスト教が「神の被造物(神の造ったもの)にすぎないイエス」を神とすることによってさらに不完全な一神教となった。そこで神はムハンマドをして本当の一神教を啓示したのだ、とするのである。
アブラハムの息子でムハンマドの直系の祖先とされているのは、アブラハムの長男イシュマエル(Ishmael)であるが、彼は奴隷女を母とする庶子であったためか、ユダヤ教ではそれほど重要な存在ではない。
ここで前に述べた、『タナハ』のアブラハムに関する説話を思い出していただきたい。
アブラハムの妻は高齢でもう子供ができる見込みがないと思ったので、夫に自分以外の女性を勧めたのである。その女性の産んだ子がイシュマエルだ。その後、神はその力でアブラハムの正妻に子供を授けた。正妻は超高齢出産で嫡子イサク(Isaac)を産んだ。アブラハムは狂喜したが、神はその子を犠牲として差し出すように命じた。彼の信仰を試すためである。犠牲の祭壇で、アブラハムが我が子イサクを神に捧げるためにまさに殺そうとした瞬間、神は「もう良い」とそれを止めた。
つまりユダヤ教においては、「主役」は嫡子イサクであって庶子イシュマエルではない。
しかしイスラム教においては、いったんは砂漠に追放されたちするイシュマエルこそ、ムハンマドの直系の祖先であり、この世に完全な一神教を広めるためのつなぎの役割をしたと評価するのである。
イブン・ヒシャームは『預言者ムハンマド伝』の冒頭で、ムハンマドから遡ってアダムに到る50人の人名を列記した後、次のように述べている。
  私は本書で最初に、神の使徒ムハンマドのこと)の直系の父祖イシュマエル・ブン・アブラハムとその子孫について述べる、イシュマエルから神の使徒に到るまでを、一人一人順を追って、彼らに関する話とともに述べる。神が望み給えば。
   (『預言者ムハンマド伝 1』 第2節 イブン・イスハーク 著、イブン・ヒシャーム 編註、後藤明 訳、医王秀行訳、高田康一訳、高野太輔訳 岩波書店刊)
この「神が望み給えば」(原語「イン・シャーア・アッラー」)というのも、「バスマラ」と並んでイスラム教を理解するために重要な言葉である。この世のことはすべて神が支配している。だから未来のことを話す場合には、必ずこう付け加えなければならない。そのおとも『コーラン』に明記してある。
  何事によらず、「わしは明日これこれのことをする」と言いっ放しにしてはならない。必ず「もしアッラーの御心ならば」と(つけ加える)ように。もし忘れたら、主の御名を唱え、「おそらく主は私を導いて、これよりもっと正道に近いところへお連れ下さるであろう」と言うように。   (『コーラン』「18 洞窟」の章第23節)
神は完全であっても被造物たる人間は完全ではない。最高の預言者ムハンマドといえども、この例外ではない、『預言者ムハンマド伝』「第6章 メッカでの布教」第65節には、ムハンマドが最後におの言葉を忘れたため、神の啓示が予定通りに来なかったというエピソードを述べている。ところで、砂漠に追放されたイシュマエルはその後どうしたのか?
アブラハムと力を合わせて、いわゆる「カーバ神殿」を建立したのである。
カーバ神殿」とは、アラビア半島の、現在はサウジアラビア王国のメッカにある正面の幅約10メートル。奥行約12メートル、高さ約15メートルの石造立方体形の建造物で、1枚の黒い布で覆われている。イスラム教徒にとっては、地上で最も神聖な建造物である。
そのためイスラム教徒には、毎日5回のカーバに向かっての礼拝と、一生に最低一度のカーバへの巡礼が義務づけられている。巡礼者はその際、カーバの一隅にはめ込まれた聖なる「黒石(Black Stone)」に接吻するのが通例となっている。