じじぃの「神話伝説_51_ムハンマド(ザ・メッセージ)」

The Message (1977) 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=rO_Ml_eYED4
The Message

Crucified for delivering the message of love.

プライムニュース 「“宗教戦争”なのか? 過激派 イスラム国 米を敵視の根本に何が」 2015年4月21日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】井上順孝國學院大學神道文化学部教授)、臼杵陽(日本女子大学文学部教授)
歴史上、「宗教」を大義とする紛争・戦争は後を絶たない。近年はグローバル化・情報化の進展にともない、その範囲は広範に及び、行為主体も「国」だけではなくなりつつある。同時多発テロや、過激派組織「イスラム国」によるテロの頻発は端的な例だ。
提言 「宗教とどう向き合うか」
井上 「まずは宗教文化の基礎的素養を」
 宗教というのは多様で時とともに変わる。日本人は今まで宗教のことをあまり考えてこなかった。宗教の基礎的なことを踏まえて付き合うようにする。
臼杵 「イスラムは法である」
 イスラムということだけで過激だと考えがちだが、過激なのもイスラムであるし寛容なのもイスラムである。それはすべて「法」の解釈によっている。すべてイスラムの人は天国に行きたいという宗教的感情があるが、原則は法によって動いている。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150421_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150421_1
第一部 成立と蒐集の歴史 - 1 コーラン www.levha.net
コーランについて
イスラムの信仰において、コーランは神によって啓示された言葉であるとされている。610年から632年にかけて、天使ガブリエルにより預言者ムハンマドへ部分毎に伝えられた。当初は記憶によって記録されていたものを、神の啓示を一字一句違えることなくアラビア語テキストにしたものがコーランである。
神聖月が過ぎたならば、多神教徒どもを見つけしだい、殺せ。これを捕えよ。これを抑留せよ。いたるところの通り道で待ち伏せよ。しかし、もし彼らが悔い改めて、礼拝を守り、喜捨を行なうならば、放免してやれ。神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。
http://www.levha.net/classical_islam/01/chapter_01.html
やっぴ的歴史映画≫ ザ・メッセージ
イエス・キリストの生涯を描いた映画は、「キング・オブ・キングス」「偉大な生涯の物語」など数多くありますが、イスラム教の創始者ムハンマドマホメット)を描いた映画を探すのは大変難しい。
そのなかで、この「ザ・メッセージ」は、ムハンマドを主人公とするほとんど唯一の映画ではないでしょうか。この映画の製作費を出したのは、モロッコクウェートリビアサウジアラビアといったイスラム諸国。撮影はリビアとモロッコで行われ、イスラム教徒とメッカの戦い(625年のウフドの戦い)のシーンには、リビアの軍隊が全面協力しているそうです。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yappi/eiga/EB-01themessage.html
『世界史映画教室』 家長知史/著 岩波書店 1997年発行
ザ・メッセージ 1976年 アメリカ・リビア・モロッコ (一部抜粋しています)
今日、イスラム教徒の数は10億を超えるといわれています(キリスト教徒の数は約17億)。1996年の世界人口が56億410万人(国連人口部)ですから、つきあわせてみると、およそ世界の6人に1人がイスラム教徒ということになります。このイスラム教徒はいつ、だれによって、どのように広められたのでしょうか。それを映画「ザ・メッセージ」は描いています。タイトルのメッセージとは、「神のお告げ」という意味です。
紀元600年、メッカの商人ムハンマドマホメットという呼び方はヨーロッパなまり)は郊外の岩山にこもっていましたが、やがて彼は神のお告げを受けて布教活動を始めます。ムハンマドは熱心な信者たちを得ていきましたが、一方商業を営む裕福な貴族たちは、偶像崇拝を否定し、神の前では万人が平等であると主張するこの新興宗教を危険視しました。映画の中で信者アマルがメッカの支配層の尋問を受けるシーンがあります。支配層が何を恐れているか示されていますので、両者のやりとりを少し見てみましょう。(せりふはCICピクターから発売のビデオの字幕による)
支配層 我々が暮らせるのはカアバに神々を奉っている(メッカのカーバ神殿には多くの神々の偶像が納めてあった)からだ。毎年巡礼者がここの商品を買ってくれる。360の神々に変る唯一神はどこだ。――神々は崇拝の対象で財産なんだ。
アマル 神は商品じゃない。
支配層 教えてくれ。奴隷と主人は平等なのか? ビラル(黒人奴隷)とわしは対等かね?
アマル はい。マホメットは言っている。”神の前では平等”だと。
支配層 奴隷や物乞いは喜ぶわね。権利ができる。
こうしたなか、ある貴族が自分の奴隷ビラルに対しアマルの顔をムチ打てと命じます。奴隷は主人の命令に従う存在でしかなく、人間は平等ではないことをアマルに思い知らせようというわけです。ところが、ビラルはアマルを見つめ、ムチをほうり出してしまいます。主人がわめきます。「秩序の崩壊だ。奴隷まで洗脳を」
体制の危機を感じた支配層たちは、イスラム教徒たちを迫害します。映画の中でイスラム教徒であるアビシニア(エチオピアの古称)に逃れますが、追っ手がやってきます。キリスト教徒であるアビシニア国王は両者の言い分を聞きます。イスラム教の考え方とキリスト教の関係がふれられていて興味深い場面です。
国王 預言者(神のお告げを人びとに伝える者、この場合はムハンマドのこと)に拝礼は?
信徒 しません。マホメットは神ではない。
国王 なぜ私の所へ?
信徒 同じ一神教だからです。守ってくれると思ってた。私たちはずっと木や石を拝んできました。偶像礼拝です。神への背信です。……マホメットは唯一の神を崇め、己も隣人を愛せよと教えてくれました。……偶像から目をそむけよと。……昔も神は話された。アブラハムやノア、モーセやキリストを通して。今度はマホメットになっただけ。
結局。国王はイスラムの教えに共感し、信徒たちを追っ手からかくまってやります。
その後も苦難は続きますが、やがてムハンマドは622年(イスラム暦元年)メッカを脱出して、メディナに向かいます(ヒジュラ)。そしてメディナを拠点として信徒を増やし、勢力を拡大したムハンマドはメッカの商業貴族たちを相手に戦い、勝利を手にします。
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さてこの映画、イスラム世界の成立を学ぶ上では興味深いのですが、歴史ドラマ、人間ドラマとして見たときには少々退屈です。ムハンマドの生涯を描きながら、この映画では終始主人公のムハンマドが画面に登場しないのです。「映画の製作にあたっては、ムハンマドの映像を禁じるイスラム教の教義を尊重した」と冒頭に断り書きが出ていましたが、そのことが結果的には、妙にムハンマドを神格化し、信徒たちがやたらと崇めるムハンマド人間性をまるでわからないものにしてしまったと思います。