じじぃの「人の死にざま_1344_山片・蟠桃」

山片蟠桃 - あのひと検索 SPYSEE
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山片蟠桃の大宇宙論と地球外生命論
http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/a-text/yamagata_bantou01.html
山片蟠桃 ウィキペディアWikipedia)より
山片 蟠桃(やまがた ばんとう、延享5年/寛延元年(1748年) - 文政4年2月28日(1821年3月31日))は、江戸時代中期の商人であり学者。名前は、升屋の番頭をしていたことからもじったもので、本名は長谷川芳秀、通称升屋小右衛門。
【思想】
大阪町人・大阪商人の学塾である懐徳堂で中井竹山・履軒兄弟に朱子学を、先事館で麻田剛立に天文を学ぶ。
極めて唯物論的な立場を取り、天文、宗教、経済、歴史等を百科全書的に論じた『夢の代』は、無鬼論(無神論)の主張、地動説の支持、応神天皇以前の日本書紀の真実性の否定など先進的な持論を展開した点が特筆される。

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『十六の話』 司馬遼太郎/著 中央公論社 1993年発行
文学から見た日本歴史 (一部抜粋しています)
1600年から1867年までの約270年が、徳川封建制の時代でした。
封建制としての精妙さでは、世界史のなかでも、特異な時代だったと思います。
300ほどの大名が、大小さまざまな領地を統治していました。
おもしろいことに、大名は農地を所有せず、農地を所有する者は、農民だったことです。大名は、租税をとる権利と、行政をする義務をもつ存在でした。その家来たち――つまり武士あるいはサムライとよばれる者たち――の俸給はじつに安く、かれらの大半は、中程度の農民や商人よりも貧しかったのです。しかし貧しくても大変自律的で、いさぎよく、私心がないということで、かれらより下の階級(つまり農民や商人、職人たち)から尊敬されていました。ついでながら、人口の約7、8パーセントが武士身分でした。
この270年は武士の時代のように思われがちですが、じつは圧倒的に商人の時代でもありました。とくに江戸中期以後、日本じゅうが、商品経済という大きな潮流によって大小の渦を巻いていたという時代でした。
サムライは、むろん学問する階級でしたが、庶民の子弟も、将来商家の支配人になったり、商船の船長になったりするためには文字や算術を身につかねければならないということで、自費で初等教育の塾に通いました。この時代の末期、識字率は7、80パーセントだったといわれていますし、また大坂という都市で発行されている初等教育の教科書が1万種類ほどあったともいわれています。
日本は、13世紀の鎌倉時代に中国や朝鮮とまったくちがう社会をつくるのですが、江戸時代においてそれが決定的になったといえます。日本人がアジア人のくせにアジアを理解しにくくなったというのは、このような歴史に由来します。
商品経済は、人間を現実的にします。
あるいは、人の思考に、物の目方、物の分量あるいは物の質が重要な要素として入って参ります。
このため、学問は実証的になりました。
本来、中国学の学者であった荻生徂徠(1666〜1728)や政治家でもあった新井白石(1657〜1725)の学問は、ほとんどこんにちの人文科学に近いものになりました。これは、圧倒的な商品経済の輻射熱によるものと思います。
小説家である伊原西鶴(1642〜93)の目も、文体も、商人のソロバンの音のように、物質的でcoolでした。西鶴の『日本永代蔵』は、小説としてもおもしろいものでありますが、江戸期という”早期資本主義”の社会の生態を写実的にえがいた経済史的な文献としてもすぐれています。
思想の面でも、多くのおもしろい文章作品が出現しました。
たとえば、大乗仏教の経典は釈迦とは何の関係もなく、後世の作者の創作であるということを、歴史的に、また比較哲学に論証した富永仲基(1715〜46)の『出定後語(しゅつじょうごご)』は、思想を表現するための文章日本語としてみごとな完成度に達しています。
富永仲基は商人の子でしたが、おなじく商人で、商家の支配人として生涯を送った山片蟠桃(1748〜1821)についても、ふれねばなりません。
かれは財政家でもあり、天文学者でもありました。さらには、徹底的な神秘主義への排撃者で、この世に神秘は存在しないという無神論を『夢の代』という著作で展開しました。これも、思想を表現する道具として、すぐれた文章日本語でした。
既成概念の破壊者たちは、しばしば人格として社会への調和能力を欠く場合が多いのですが、以上、見本としてあげた人々は、みなヨーロッパにおける初期のプロテスタントのように自律的で、交響への奉仕精神のつよい人々でした。たとえば山片蟠桃は、金融業者の支配人でありながら、主家への忠誠心がつよく、私心がなく、武士よりも武士らしい人物でした。

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