じじぃの「人の死にざま_1402_富永・仲基」

富永仲基 『出定後語』

出定後語(しゅつじょうごご) コトバンク
江戸中期の仏教思想史論。富永仲基著。2巻。1745年(延享2)大坂刊。立論心理の分析による独創的な思想発達史論で,仏教思想は仏徒が釈尊に名を借り,自説を誇示しつつ前説に〈加上〉し,順次発達させたもので,大乗教は釈迦の所説ではないと論じた。また立論を規制する3条件を人(部派),世(時代),類(言語の用法)とし,民族の性癖を文化類型としてとらえ,思想の比較的視点を提起した。
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富永仲基 ウィキペディアWikipedia)より
富永 仲基(とみなが なかもと、正徳5年(1715年) - 延享3年8月28日(1746年10月12日))は、江戸時代大坂の町人学者、思想史家。懐徳堂の学風である合理主義・無鬼神論の立場に立ち、儒教・仏教・神道を批判した。彼の学問は、思想の展開と歴史・言語・民俗との関連に注目した独創的なものといわれている。
元文3年(1738年)24歳で、『翁の文』(おきなのふみ)を著述、のち延亭2年(1745年)仏教思想の批判的研究書『出定後語』を刊行。翌年32歳の若さで夭折した。
富永仲基の説で、特筆すべき第一は、後発の学説は必ず先発の学説よりもさかのぼってより古い時代に起源を求めるという「加上」(かじょう)の考え方にあり、その根底に「善」があること、これが即ち聖と俗とを区別する根本であるとする点にある。この説は本居宣長、後には内藤湖南や村上専精により評価された。

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『日本の歴史を貫く柱』 副島隆彦/著 PHP文庫 2014年発行
富永仲基「誠の道」――真面目に働く商人の思想 (一部抜粋しています)
いろいろの思想とか政治体制というものを理解しようとして、勘違いをしてはいけないと私は思う。日本人の各時代の長い思想遍歴において、神・仏・儒(あるいはキリスト教も含めての4つ)とも欠点が多い。私が何度も書くように、いちばん優れているのはどうも「誠(まこと)の道」を説いた富永仲基(とみながなかもと)だ、と思う。私はそのように判定する。富永仲基がいちばん素晴らしい。
彼は豪商の子どもだったけれども、11歳のときから懐徳堂大阪大学の前身、基礎)で教授職に就き、31歳で死んでいる。『出定後語(しゅつじょうごご)』と『翁の文』という2つの論文を書いて残している。たったこれだけの人なのだが、この人の「誠の道」という生き方が優れている。それではその「誠の道」というのはどういう思想かというと、これがよくわからない。私がこう書くと拍子抜けされるだろう。いい加減なやつだな、と。
どうやら、この「誠の道」というのは、真面目に働いて、よい商品(製品やサービス)を作ってこれに正しい利益を乗せて、人々にそれを売って、サービスを提供して、世の中の役にに立って人々に喜んでいただいて、それで暮らすという商人(町人)の生き方である。そういう堅実でまっとうな生き方をしろといった。この富永仲基の思想こそは、まさしく松下電器産業(現パナソニック)の創業者松下幸之助氏に受け継がれた優れた生き方と思想だろう。