じじぃの「人の死にざま_09_小倉・昌男」

小倉昌男 - あのひと検索 SPYSEE
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財団法人 ヤマト福祉財団
http://www.yamato-fukushi.jp/
『福祉を変える経営〜障害者の月給一万円からの脱出』 小倉昌男著 日経BP社 (一部抜粋しています)
私が福祉の仕事に就いた理由
私がヤマト福祉財団を設立したのは1993年、ヤマト運輸の会長職をいったん退き、相談役になって3年目のことでした。
財団をつくるには資金が必要です。私自身が保有していたヤマト運輸の株式300万株のうち200万株、当時の時価総額で約24億円を原資としました。ヤマト運輸にも財団設立に賛同いただき、5億円ほどの資金を出してもらいました。その後、私自身が保有する株はすべて福祉財団に注ぐことにしました。
この資金を大体年率5.5%程度で運用できれば、さまざまな活動ができるだろう。そう考えました。
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考えてみてください。「障害者」とひとくくりに言っても、障害の種類や程度によって個人の能力はさまざまです。そう考えると、健常者を中心に遣っている一般企業以上に、どんな仕事をさせるかという「人事」に関して、共同作業所の運営者は頭を使わなければなりません。その意味で、障害者一人ひとりの個別能力に対応するかたちで仕事を割り振って成果を上げている優良作業所の人事管理は、一般の民間企業に劣らない、いやむしろよりきめ細かく優れた面を持っていると言えましょう。
それでは、実際に、さまざまなビジネスで障害者を雇用しながら実績を上げている作業所や企業を紹介していくことにいたしましょう。
CASE 1 立地の悪さをアイデアで克服 スワンベーカリー十条店 (一部抜粋しています)
設  立     1999年5月22日
事業内容    パンの製造・販売 カフェ事業
売り上げ     5000万円(年商)
社 員 数     25名(うち13名障害者、パート含む)
障害の内容   知的障害
焼きたてパン事業フランチャイズ1号店
小規模作業所パワーアップセミナーでは、当初から焼きたてパンの事業を紹介していました。もともとパンの製造・販売を手がける作業所は多いようです。パンは毎日食べるものなので、商品として魅力的です。とはいえ問題は、一から生地をこねるとなると、早朝から作業をしなければならないこと、おいしいパンの商品開発にはプロのノウハウが必要なことでしょう。
そんな問題を解消してくれるのが、広島県の大手パンメーカー、タカキベーカリーが手がけるパン生地です。この冷凍のパン生地を使うことで、現場の作業は大幅に省力化できます。誰でも研修を受け、きちんと手順を踏んでつくれば、おいしいパンが焼けるのです。
そんな事業に賭けてみようと手を挙げたのが、小島靖子さんたちです。小島さんは30年以上にわたって東京都の養護学校の教諭を務め、生徒たちの就職を支援してきた障害者教育のベテランです。しかし教え子たちはせっかく就職しても「職場になじめない」「店長が替わって働きづらくなった」などの理由で職場を辞めてしまうことも少なくなかったといいます。そこで障害者の親たちとも協力して、有限会社を設立し、パン店の事業に乗り出すことに決めたのでした。
1999年、ヤマト福祉財団が後押しする焼きたてのパンの店、スワンベーカリーのフランチャイズ1号店として、東京・北区のスワンベーカリー十条店が誕生しました。

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ヤマト運輸 | 小倉昌男 | 注目の起業家  ベンチャー通信Web (一部抜粋しています)
『宅急便』の生みの親
1924年東京都生まれ。東京大学経済学部卒業後、大和運輸(現ヤマト運輸)に入社。創業者である父の跡を継ぎ、71年に社長に就任。「宅急便」を考案し、瀕死のヤマト運輸を救った。その後、1993年に私財24億円を投じて、ヤマト福祉財団を設立。1995年にヤマト運輸の会長を退職。全国4000カ所を超える精神・身体障害者のための無認可小規模事業所の支援をはじめる。著書に「経営学」(日経BP社 1999年)、「経営はロマンだ!〜私の履歴書〜」(日本経済新聞社 2003年)などがある。80歳で死亡。
今や私たちの生活に欠かせない宅急便。その宅急便を創始したのが小倉昌男だ。父の創業した大和運輸(現ヤマト運輸)が経営危機にさらされた時、小倉は宅急便を考案した。宅急便のスタートには、役員が全員反対。しかし、小倉は「宅急便は絶対に儲かる」と確信していた。そして自分の信念を貫き通した。その後、宅急便の評判は全国に広がり、ヤマト運輸は奇跡的に立ち直る。驚異の復活劇を成し遂げた小倉昌男小倉昌男とは、一体どんな人物なのだろうか。
小倉昌男は、1924年に大和運輸(現ヤマト運輸)の創業者小倉康臣を父として生まれた。47年東京大学経済学部を卒業後、父の会社である大和運輸に入社。しかし、大和運輸は高度経済成長期の大量輸送の波に乗り遅れてしまい、経営は危機的状況に瀕していた。そんな中、71年に社長に就任した小倉は、起死回生策として家庭を対象とした小口貨物輸送事業を考案する。当初は、役員全員が反対するほど採算性が危ぶまれていたが、「座して死を待つよりは乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負をかけよう。」という小倉の熱意が役員会を動かした。
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―ヤマト福祉財団の事業についてお聞かせください。
小倉 障害者の福祉の仕事をしています。日本の障害者は恵まれない状況にあります。仕事も働き場も無い。したがって収入が無い。本当に月給1万円の世界です。だから障害者手当てが支給されるわけですが、お金があれば幸せか?というとそうではありません。みなさんも毎日が日曜日だと苦痛でしょう。人間には働きたいという基本的欲望があります。お金も欲しいけど、働くことによって自分の創造性が発揮できるんです。生きがいは、やはり働く場でしか達成できません。
 私は、働く能力はあってもそれを発揮する場がないという障害者に働く場を作ってあげたいんです。つまり、ノーマライゼーションの世界にしたい。障害があろうとなかろうと関係なく「働く権利」を発揮できるような社会的仕組み、それがノーマライゼーションです。世間では、「障害者が作ったから買って下さい」というのがよくありますが、それは逆に差別だと思います。べつに障害者であることを言う必要もない。障害者が働いていることを誰も気にしない世界を作りたいんです。
 ところが、健常者が障害者に対して偏見を持っているからノーマライゼーションが進まない。障害者の能力が低いとか働く意欲がないといった偏見が多いんです。そんな誤解は初等教育の段階で無くさなければなりません。
http://www.v-tsushin.jp/entrepreneur/archive/000227.html