じじぃの「世界初のビデオカセッター・ビクター・HR-3300!国産はじめて物語」

WORLD'S FIRST: VHS Video Cassette Recorder Made in 1976 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=j1QduFJu4v0
1977〜1993 VHS・S-VHSビデオデッキCM集 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=q5fLSItXZYQ
【電子産業史】1976年:ベータ対VHS 2008/08/11 Tech-On!
ベータとVHSの規格争い――この歴史に残る攻防の明暗を分けたのは、突き詰めれば両者が基本設計で採用したカセットの録再時間の違いである。
ソニーがベータ規格の家庭用VTRを発売したのは1975年5月。これはガードバンドレス記録で、高密度記録・カセットの小型化を実現した画期的な機種だった。その1年数ヵ月後に日本ビクターが同様なガードバンドレス記録のVHS規格製品を出したことで、規格争いになった。前者のカセット・テープの録画再生基本仕様が1時間、後者が2時間だったが、VHS登場に対抗してソニーが2時間の規格を出したことが問題を複雑にした。
両者はアジマス角、色信号の雑音処理方式、テープのローディング方式などで違っていたが、それらの技術的な優劣で勝敗がついたわけではなかった。1時間と2時間という、カセットの基本録画時間の違いが本質だった。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080801/155925/
『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
世界初のビデオカセッター 「HR-3300」 (一部抜粋しています)
見逃したテレビ番組を録画する。お気に入りの映画や音楽ソフトを楽しむ。世界で約9億台以上販売された「ビデオ・ホーム・システム」VHSビデオは、生活に潤いをもたらすアイテムとして、全世界に普及した。国内外のメーカーのほとんどがVHS方式を採用したことから、事実上家庭用ビデオの世界標準規格となった。
昭和40年代に入ってから家電メーカー各社は家庭用VTRの開発に着手。開発に成功すれば、カラーテレビに続く巨大な市場を独占できると言われていたからだ。ステレオやテレビを主力商品としていた日本ビクターでも、昭和45(1970)年にVTR事業部を発足させた。しかし、当時同社で製造していた業務用のVTRはほとんど売れず、在庫数は増える一方。会社の「お荷物」的な存在になっていった。そんなVTR事業部で家庭用VTRの開発にとりかかったのは、 当時の事業部長、高野鎮雄(故人・元日本ビクター副社長)。在庫を抱え悪戦苦闘していたものの、事業部のなかには研究部門から異動してきたビデオの技術者がおり、家庭用VTRの開発を目指し、高野を含め4人の開発プロジェクトがスタートしたのである。
プロジェクトでは開発の初期から、技術だけを優先することがないよう、はっきりとコンセプトを打ち出した。価格は家電製品並み、テレビと並べて置ける小型軽量化、無意味な性能の高さは追求せず操作が容易、すでに市販されているテレビに簡単につなげられる等。録画時間は、映画や当時最も人気が高かったプロ野球中継に合わせて2時間を目標に掲げた。
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昭和49(1974)年、VTR開発競争のなかで一歩先を進んでいたソニーが「ベータマックス」なるVTRを開発したニュースが飛び込んだときも、スタッフは「自分たちの開発の方が勝っている」と思い、研究を続けた。最終的には約4年の歳月をかけ、昭和50(1975)年、ついに最終試作機が完成。ベータマックスが市場に出始めた頃である。仕上がりに自信はあったものの、慎重を期した高野は、師と仰いでいた松下幸之助 (故人・松下電器創設者)に試作機を見せることにした。そして「ベータマックスは100点。でもこのVHSは150点」というお墨付きをもらうのである。
高野のねらいは、VHSを家電業界全体で普及させ、世界規格に育てること。ベータマックスに対抗するためにも、VHSを世に広める必要があると考え、発売 前にして日立やシャープなど、大手家電メーカーを次々に訪問。試作機を見せ、VHSの有用性を説き企業を超えたVHSプロジェクトの結成を呼びかけた。そ して昭和51(1976)年、テープ幅が2分1インチ(1.27センチ)の世界初のホームビデオ「HR-3300」が誕生。高野の働きかけで、各メーカーの技術が結集し、試作機にはない機能が追加されていた。翌年にはアメ リカでも発売され発売から7年後には販売数がベータマックスを抜く。「ビデオはビクター」の地位を不動のものにしたのである。
後にソフトメーカーから大量のビデオソフトが発売されるようになり、現在のように映画でもコンサートビデオでも、家庭で気軽に鑑賞できるようになった。
その功績から「ミスターVHS」と呼ばれた高野は、「ビデオは感動を伝え、人々の幸せを育てる夢のある商品」と言い続けたという。その「夢の商品」は、昭和60年代には2世帯に1台が持つまでに普及し、平成7(1995)年には、テレビの大画面・高画質化に対応したデジタル・ハイビジョン(D-VHS)が開発されるなど、さらなる飛躍を遂げている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
http://space.geocities.jp/hhiratsuka2005/
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「世界初のビデオカセッター 『HR-3300』」というのがあった。
「昭和51(1976)年、テープ幅が2分1インチ(1.27センチ)の世界初のホームビデオ『HR-3300』が誕生」
昭和51年(1976年)か。ネットで「昭和51年」をキーにして調べてみた。1月に大和運輸(現:ヤマト運輸)が個別宅配サービス「宅急便」を開始した。同1月、鹿児島市で国内初の5つ子誕生した。2月にアメリカで、ロッキード事件が発覚、7月に田中角栄前首相が逮捕された。4月にアメリカ・アップルコンピュータが設立された。同4月、シチズン時計が世界初のデジタル式(アラーム付)腕時計「クリニトロン」を発売した。5月、植村直己が北極圏の単独犬ぞり走破に成功した。6月、アントニオ猪木モハメド・アリ異種格闘技戦日本武道館で行われた。7月に夏季オリンピックモントリオール大会が開催された。10月にボクシングの具志堅用高がジュニア・フライ級世界チャンピオンになった。同10月、巨人の王貞治が対阪神戦でベーブ・ルースを抜く715号本塁打を打った。12月に総選挙で三木首相が退陣し、福田内閣が誕生した。歌では、子門真人が「およげ!たいやきくん」を、都はるみが「北の宿から」を、山口百恵が「横須賀ストーリー」を、川橋啓史が「山口さんちのツトム君」を、伊東四朗小松政夫が「デンセンマンの電線音頭」を歌っていた。映画では横溝正史原作『犬神家の一族』、シルベスター・スタローン主演の『ロッキー ROCKY』が公開された。 文学書では森村誠一人間の証明』、司馬遼太郎翔ぶが如く 1〜7』、深田祐介 『新西洋事情』がベストセラーになった。漫画では青柳裕介 『土佐の一本釣り』、「週刊少年サンデー」に連載された楳図かずおまことちゃん』がベストセラーになった。テレビでは藤田まこと主演の「必殺仕業人」、黒柳徹子司会のトーク番組「徹子の部屋」、大橋巨泉司会の「クイズダービー」、萩本欽一の「欽ちゃんのどこまでやるの!?」が、アニメでは「まんが日本昔ばなし」が放映開始した。テレビコマーシャルでは、松鶴家千とせの「わかるかなぁ〜、わかんねぇだろうなぁ〜」、前川清の「ホッカホカだよおっ母さん」が流れていた。小佐野賢治の「記憶にございません」が流行語になった時代だった。
今は、家庭用ビデオディスクといえば、ブルーレイ・DVDレコーダーだ。2003年、ソニーが世界初のブルーレイディスクレコーダー・BDZ-S77を発売した。
昭和50(1975)年、ソニーがベータ規格の家庭用VTR家庭用VTRを発売した。翌年に、ビクターがVHS規格の家庭用VTRを出したことで、VHS対ベータ戦争が勃発した。
ベータ陣営はソニー東芝、三洋、NEC、アイワ、パイオニア富士通ゼネラルで、VHS陣営はビクター、松下(現・パナソニック)、日立、シャープ、三菱、赤井だった。
結局、ベータ陣営の画質よりも録画時間に優れていたVHS陣営の勝利となった。
日本の家庭用VTRは全世界を巻き込んだ戦争だった。今度は、電気自動車(EV)向け急速充電規格争いで日本と米独8社で戦争が勃発している。
家庭用VTRの場合は、VHSにしろベータにしろ日本発が世界の規格だったのだ。EVではどうなるのだろうか。