じじぃの「人の生きざま_785_小嶋・千鶴子(イオングループ創業者)」

【紹介】イオンを創った女 評伝 小嶋千鶴子 (東海友和)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BdpYai4AlOQ

イオン創業者 小嶋千鶴子

小嶋千鶴子

ウィキペディアWikipedia) より
小嶋千鶴子(出生時の戸籍名は岡田 千鶴子、1916年(大正5年)3月3日 - )は、日本の実業家。
三重県四日市市四日市岡田家が起業したイオングループの元経営者で、イオンのビジネス精神を築いた。
父は四日市岡田家6代目当主の惣一郎。弟はイオン創業者の卓也。甥にイオン社長の元也と衆議院議員の克也と新聞記者の高田昌也がいる。甥の克也の息子に科学者がいる。

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絶好調! イオン創業家の教え

2013年7月15日号 プレジデントオンライン
●「昼飯、おにぎりでええわ」
そんなお二人だから、自分のことにはお金を使いません。豪奢、贅沢が嫌い。以前から生活は質素です。
https://president.jp/articles/-/13896?page=2

『イオンを創った女 ― 評伝 小嶋千鶴子』

東海友和/著 プレジデント社 2018年発行

小嶋千鶴子を形成したもの――その生い立ちと試練 より

23歳で岡田屋呉服店代表取締役になってから38年、実に長きにわたって経営に携わってきた。弟・岡田卓也が社長になるまでの7年間は社長として、卓也の指導者役であり姉として、会社および一家を支えた。
大阪の本屋の店主として束の間の休息があったものの、1959年には再び岡田屋の一線に復帰、今度は管理部門の専門経営者として岡田卓也を支えた。
合併を経て新生ジャスコが誕生すると、人事責任者として実力をいかんなく発揮し合併を成功させた。ジャスコでの8年間、まるで理想とする会社の全貌が手のひらに乗っているがごとく矢継ぎ早に施策を展開した。あるときには知的参謀で、あるときは夜叉のごとく指揮をとった。あえて困難な課題や問題に果敢に挑んだ。それは弟・岡田卓也を守るという親の姿であり、いま生まれたばかりのジャスコを守る守護神でもあった。
  「私が全国行脚し、志を同じくする小売業の経営者たちと提携交渉に注力できたのも、千鶴子がジャスコの内部片目を一手に引き受けてくれたおかげだ。時には悪者となり、社員に厳しかった。『あんた、会社を潰す気か』と雷を落とされた幹部は多い。ジャスコの精神的な支柱だった」
岡田卓也は著書『小売業の繁栄は平和の象徴』の中でそう述べている。
小嶋なくして合併の成功はなく、さらにジャスコの将来に向けてのレールも敷き終えた。
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父を亡くしたとき、千鶴子は11歳、卓也は2歳、母を亡くしたのは20歳と10歳のときである。
問い時のことについて小嶋はあまり触れていないが、卓也はまだ小さく父の顔さえよく覚えていないという。母を静養先の富田浜の保養先に見舞いに行ったことは先に述べたが、その風景は松林に囲まれた閑静なところである。防風林として植えられた松林に吹く風は厳しく、鈴鹿産経からの吹き降ろしの音と海からくる海風の音はまさに、「韓詩外伝」の一節「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず、往きて見るを得べからざる者は親なり」を彷彿させる。親が子を想う心、子が親孝行をしたいときには親はいない。親子の心象風景そのものである。
その思いからか、岡田屋時代に、伊勢湾台風の遺児に対して「風樹会」をつくり、学校長の推薦で育英資金を贈った。のちに交通遺児など親の事情で進学を断念せざるを得ない子供たちにそれを送り続けた。
その後、2017年、卓也が設立した公益財団法人岡田文化財団の支援事業の中に「風樹会」をつくり、貧しい家庭にあって進学できない学生たちに育英資金を贈る事業を再開した。
パラミタミュージアムも、2005年4月に公益財団法人岡田文化財団に寄附し、小嶋は名誉会長に就いた。
文化・芸術を愛した良心の思い、幼くして両親を亡くした思いなどをこうした形で残し、次世代へと継がれるようにした。
2018年、小嶋千鶴子102歳。記録的な猛暑の中、現在も健在で、「エコノミスト」を購買している。