がんで亡くなった、ある精神科医の永劫回帰説

『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』頼藤和寛著 文藝春秋より (一部抜粋しています)
これまで書くことが考えることであり表現することであり、そしてなにより自己確認だった。
いや、もっと正直に言えば宇宙の虚無を紛らわせてくれる活動だった。
わたしもまた「倒れないための松葉杖」として、とにもかくにも思いを文章化していく作業が必要な人間なのだろう。
さらば友よ、むすびに代えて Adieu,l'ami
少々若死にするであろうことは、なんとか諦められる。なにしろ古往今来、洋の東西を問わず、わたしより若く死んだ人々はいくらでもいる。
つい数十年前まで、今のわたしの年齢が平均寿命だった。
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いや、まったく半死半生の者の繰り言には際限がないのでこのあたりで筆をおくことにする。
名残は惜しいが、また出会える日が未来永劫やってこないと決まったわけでもなかろう。
人間にとって3分間待つのは容易である。3年、5年だと長くて待ち切れない。これが100億年ということになると逆に存外短いものなのかもしれない。
少なくとも宇宙の太初から個人的に物心つくまでは一瞬だった。してみると、死んでから次になにかを体験するまでだとて一瞬だろう。
これがわたし流の永劫回帰説である。
仮に、「次」がないとしたところで、永遠も一瞬も死者にすればたいした違いではない。
だから本気で再開を約すわけではないが、われわれにとって永遠と無限の時空で隔てられたとしてもなにほどのこともないのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
作家・柳原和子さんが亡くなっているのを知ったのは昨日、正月用のテレビ番組をチェックしていた時だった。
12/31(水)放送予定のNHK教育テレビ番組表の中の「あの人からのメッセージ」に市川崑赤塚不二夫緒形拳柳原和子が載っていた。
去年の3月にNHKのテレビで「百万回の永訣」を観た。調べてみると今年の3月に亡くなっていた。
NHKのテレビで放送されたのをきっかけで、彼女の書いた本を去年読んでいた。
『百万回の永訣 がん再発日記』柳原和子中央公論
私は以前に、がんで亡くなった頼藤和寛さんの『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』を読んでいて、同じがんにかかった人でもがんへの対応がまるで違うのに驚いた次第だった。
頼藤和寛さんは52歳で直腸がんになり、入院、手術後翌年平成12年4月に亡くなっている。
病気の進行度からいって比較できないのかもしれない。
柳原和子さんの場合は7年間の闘病生活である。
本というのはNHKテレビで「百万回の永訣」で観たのとは違って本当に生々しい。
マイクロソフト社長・成毛眞さんが「本を読め」と言っているように、本は書いた人の真実が伝わってくる。
『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』を読んだ感想を書くために柳原和子さんを長々と持ち出してしまった。
このじじぃのブログ9月に書いた日記「人は死んだらオシマイよ」に
http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20080913/1221326320
人間の場合、ビッグバンから137億年経ってこの世に出現した。
人間が死んでも、死んだ世界を経験する訳ではないので死んでから何百億年経とうが輪廻転生では一瞬である。
と書いた。
これは頼藤和寛さんのわたし、ガンです・・の本に影響されたためだった。
「また出会える日が未来永劫やってこないと決まったわけでもなかろう」だ。
人間、死ぬときは永劫回帰、輪廻転生を信じて死んだほうが幸せなのではなかろうか。
備考.
永劫回帰とは 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より
永劫回帰(えいごうかいき)とはフリードリヒ・ニーチェの思想で、経験が一回限り繰り返されるという世界観ではなく、超人的な意思によってある瞬間とまったく同じ瞬間を次々に、永劫的に繰り返すことを確立するという思想である。