地球内部構造の3D表示 ~日本列島の地形~
図1 日本の列島の形
図2
鏡の日本列島 2:日本列島のかたち──なぜそこに陸地があるのか
2021.3.4 生環境構築史 伊藤孝【編集同人】
地学の用語では、日本列島はプレート収束域で作られた「島弧」である★3。その名のとおり、東から南東側に凸のゆるい弧を描いているのだが、fig. 2左のように、海面から顔を出している部分だけを見ても、そのかたちの意味が伝わりにくい。では海水を取り去った状態で宇宙から眺めてみる。fig. 2右のように、日本列島の東と西では地形は大きく異なり、東にはぴったりと寄り添うように海溝と呼ばれる溝が分布している。この海溝の深さはそれを埋める堆積物の量によって変わるが、日本列島周辺では深さ4kmから8kmで、それが列島の東を縁取っている。ご存知のように富士山でさえ頂上の高さが3,776m。海面より下にはわれわれが目にしている列島よりも巨大な構造物があったのだ。海面から顔を出した日本列島はその巨大な構造の上端にすぎず、先に示した東から南東へのゆるい凸も、まさに海溝の連なりから始まる大構造のかたちを反映したものである。
そして、皆ご存知のように、この海溝こそ大洋側から陸側へとプレートが沈み込む境界であり、地震の巣でもある
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『日本列島はすごい――水・森林・黄金を生んだ大地』
伊藤孝/著 中公新書 2024年発行
1章 かたち――1万4000の島々のつらなり より
1 細長い列島
現代の日本の列島の形と広さ
地学の用語では、日本列島はプレート収束域で作られた「島弧(とうこ)」である。その名のとおり、東から南東側に凸のゆるい弧を描いているのだが、図1(画像参照)のように、海面から顔を出している部分だけを見ても、そのかたちの意味が伝わりにくい。
では海水を取り去った状態で宇宙から眺めてみる。図の右にように、細長い日本列島を挟む両側では地形は大きく異なり、東から南にかけてぴったりと寄り添うように海溝と呼ばれる溝が分布している。この海溝の深さはそれを埋め堆積物の量によって変わるが、日本列島周辺では深さ4kmから8kmで、それが列島の東~南を縁取っている。
ご存じのように富士山でさえ頂上の高さが3776m。海面より下にわれわれが目にしている列島よりも巨大な構造物があったのだ。海面から顔を出した日本列島はその巨大な構造の上端にすぎず、先に示した東から南東へのゆるい凸も、まさに海溝の連なりから始まる大構造のかたちに反映したものである。
そして、この海溝こそ大洋側から陸側へとプレートが沈み込む境界であり、地震の巣でもある。
2 なぜ地球には陸があるのか
7000年間の僥倖――海面の上昇と下降
現在、われわれが実感を伴って、海面が上がったり下がったりするのを目の当たりにできるのは干潟と満潮だろう。日本最大の干満差を誇る有明海では、6mを超えることもある。およそ2階建て住宅の軒の高さだ。この干満を乱す潮汐(ちょうせき)力と呼ばれ、月と太陽の引力によって引き起こされる。いわば、海水が月や太陽に引っ張られて右往左往させられている様子を目の当たりにしているわけで、海水そのものが増減した結果ではない。
ここで時間の軸を1日から数千年~数百万年に延ばしてやると、まったく別の景色が見えてくる。海水の量そのものが変化し、海面の高さが大きく変動するのだ。図2(画像参照)を見てほしい。この図の横軸は年代で過去550何年間、縦軸は海底に住む微生物の炭酸カルシウム殻の酸素同位体組成を示している。この値が上に行った場合は温暖な間氷期、下に行った場合は寒冷な氷期である。いま現在はこの分類でいうと、温暖な間氷期。ギュンツーミンデルーウルムという過去4回の氷期の名称を耳にした読者もいるかもしれない。しかし、氷期はその4回だけではすまなかったのだ。
とくに、250万年前以降は、無数の氷期ー間氷期が繰り返しされ、現在に近づくほど気候の振幅は大きくなっている。
まとめ
足早に日本列島のかたちと広さをみてきた。人間の一生という時間スケールでは、日本列島のかたち・広さはほとんど変わらない。しかし、サピエンスの歴史20万年間、もしくはサピエンスが日本列島に生活の痕跡を多量に残すようになった過去3万8000年間でみるち、かたち・広さとも大きく変化してきていることがわかる。
そして過去7000年間、かなり例外的に海水準がほぼ一定を保っていたことは、いくら強調してもしすぎることはない。海水準の素早い変化は、狩猟採集民や農村、またわれわれと、どんな生業(なりわい)をしている者にとっても影響を及ぼす。しかも、土地の利用が高密度化・高度化した後世になるほどその財産目録へのダメージは大きい。この約7000年間はそんな心配をすることなく、「固定された海面」の水際で日々の暮らしを営むことができたわけである。