じじぃの「カオス・地球_442_移行化石の発見・第2章・『種の起源』・ついに完成す」

24th November 1859: Charles Darwin publishes On the Origin of Species, basis of evolutionary biology

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IJijvAcZOsI

Darwin, C. R. 1859. On the origin of species by means of natural selection

Charles Darwin, 'tree-of-Life' diagram from The Origin of Species,...

Charles Darwin, 'tree-of-Life' diagram from The Origin of Species, 1859. Reproduced by kind permission of the syndics of Cambridge university Library. syn.7.85.6.
https://www.researchgate.net/figure/Charles-Darwin-tree-of-Life-diagram-from-The-Origin-of-Species-1859-Reproduced-by_fig4_309227548

『移行化石の発見』

ブライアン・スウィーテク/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2011年発行

ダーウィンが『種の起源』で進化論を提唱したとき、もっとも有力な反証となったのは、化石として出土している古代の動物と現生の動物とをつなぐ、「移行期の種」の化石がみつかっていないことであり、それは「ミッシング・リンク」(失われた鎖)と呼ばれた。
だが1980年代以降、とりわけ21世紀に入ってから、クジラ、鳥、ゾウなど様々な動物について、「移行化石」が相次いで発見されている――。

第2章 ダーウィンが提示できなかった証拠 より

種の起源』ついに完成す

ダーウィンとウォレスは、自分たちが長年力を注いできた考えが科学者たちから無視されたことに落胆したが、少なくともダーウィンにとって、それは幸運な出来事といえた。
その考えが特に注目されなければ、彼が長年恐れてきた、嵐のような反論も起きないだろうから。となれば、自分の考えを急いでまとめ、だれかに出し抜かれる前に正式に発表しておいたほうがいい。こうしてできあがった要約版は、『自然選択』というタイトルで出すはずだった大著に比べればほんの小品で、『自然選択にもとづく種の起源』と題された。

ダーウィンは、その冒頭で自らの考察のスタート地点にさかのぼった。「アマチュア博物学者として軍艦ビーグル号に乗船していた当時、」と彼は語る。「南米では、生物の分布と、その大陸における過去の動物と現在の動物との時間を超えたつながりに、とても驚かされた」。そこで目にした「動物のタイプの連続性」は、彼に「神秘のなかの神秘」すなわち進化の秘密を解くテがかりを与えたが、化石記録の方は答えよりも謎を多く投げかけた。

ダーウィンは進化を漸進的なものとして描いた。それは、進化が一定のペースで進むという意味ではなく、一段ずつ階段をあがるように進むという意味である。生物の形状には連続性が認められ、それぞれの形状をさかのぼっていけば、木の枝先から幹へ戻るように、枝と枝が次々に合流しながら、共通のひとつの祖先へとつながるだろう。と彼は予測した。1859年当時、総じて化石記録は進化の予言と矛盾せず、異なるタイプの脊椎動物がしかるべき順番で出現していた(魚類の後に両生類が現れ、両生類の後に爬虫類が現れる、というように)。しかし、彼の予測の証拠となる、種と種の進化の隙間を埋める「移行化石」は、まだ見つかっていなかった。

彼はこの問題を、2つの章、「地質学的記録の不完全さについて」(第9章)と「生物の地質的変換について」(第10章)で論じている。「たしかに、地質学的記録に種と種を結ぶ段階的なつながりを見ることはできない」と認め、「おそらく、それは、わたしの理論に反対するもっとも明白で重大な根拠となるだろう」と述べた。古生物学者たちは常に不完全な記録をもとに研究をおこなっており、それについて次のように記している。

  わたしとしては、ライエルが喩えたように、自然の地質の刻まれた記録は、変化する方言で記された不完全な歴史書のようなものだと考えている。わたしたちの手元に残されはのは最後の1巻のみで、そこには2、3の国のことしか書かれていない。しかも残っているのはいくつかの短い章ばかりで、それも大半のページは抜け落ち、各ページで読みとれるのはわずか2、3行、といったありさまだ。歴史を綴っていると思われる言語もまたゆっくりと変化しているから、抜け落ちた章の前と後とでは、使われる単語も違っている。生物種がいきなり大きく変化したように見えるのは、これと同じことなのかもしれない。連なっていても層と層のあいだが大きく欠落した累層に閉じ込められているせいで、前後のつながりが見えてこないのだ。

しかしダーウィンは、化石記録の不完全さを嘆くだけでは終わらなかった。彼が指摘したように、博物学者らはすでに、長い年月のあいだには種が新しく現れたり消えたりすることを認めていた。互いとの競争のなかでつづいていく、この形状の絶え間ない変化については、この本の最後の段落で最も美しく言い残されている。

  生物が複雑にかかわりあって生きている土手を見ていると、不思議な感慨を覚える。多様な植物が茂り、低木では小鳥がさえずり、さまざまな虫が飛び交い、湿った土のなかではミミズが這いまわっている。互いに大きく異なりながら、複雑な形で依存しあっているこれらの精密な生き物を創ったのは、私たちの周囲でも作用している法則である。(略)つまり、自然界の闘争、飢餓、死の直接的な結果として、想像しうるかぎり最も高貴な目標である「高等な動物の誕生」がもたらされるのだ。この生命の営みには荘厳さが感じられる。ほんの数種、もしかするとわずか1種の生物に吹き込まれた生命は、もろもろの作用を受けながら、地球が重力の法則にしたがって軌道をめぐる間に、じつに単純な存在から、きわめて美しくきわめて素晴らしい存在へと進化を遂げ、なおも進化していくのだ。

1859年11月24日、その本が発売される日、ダーウィンは得意に思う反面、心配でもあった。その朝、ダーウィンは鳥類学者のT・C・イートンに宛てて、「私の本はあなたをぞってさせ、うんざりさせるかもしれません」と書いたが、かつて地質学を教わったアダム・セジウィックの反応は、彼の予想をはるかに超えていた。セジウィックは躊躇することなく、自分はダーウィンの本を「喜びよりも苦痛を感じながら」読んだと述べ、こうつづけた。「ある部分には大いに賛成だったが、ある部分ではわき腹が痛くなるほど笑った。またある部分では、ただただ悲しかった。書かれていることが全くの誤りである、ひどく有害に思えたからだ」。