神とロボット AIは宗教を変えるのか?
AIと神々
人工知能(AI)は、人間と宗教の関係を変えるのか?
2021.10.22 クリスチャンプレス
AIとはコンピュータに人間のように考えさせる技術。現在では、食べ物から医療、旅行、そして宗教まで、私たち人間と物事の関係を変えつつある。
https://christianpress.jp/bbc1023/
『AI vs.人間の近未来』
宮崎正弘/著 宝島社 2024年発行
第3章 AIは私たちの生活をどう変えるのか? より
AIと神々
「神」という文字は中国発祥の道教古典に初出する。
中国語は神をシンと発音する。しかし日本の神道の語彙といえる神仏、神体、神祇、神威、神代、神霊なる語彙は中国語では常用されていない。明神、鬼神、雷神、海神はあるが、邪神も滅多に使わない。神道は神社で神前にぬかずき神酒(おみき)を頂くと神霊が降りてきて、望みを叶えてくれる。これが神道信仰である。
日本の古代神道は自然崇拝で、岩座を拝んだ。山、川、海、谷、巨岩が信仰の対象で拝殿はなかった。仏教が入り込んで以後、対抗上、拝殿や本尊が建立され、鳥居が建てられて、その先は神域(聖域)とされた。神社の建築思想は、仏教との区別意識から生まれたのである。中国は無神論者が多く、また中国共産党は「中華教」なる一神教だから異教徒を弾圧し殲滅(せんぺつ)する。チベット仏教のチベットと南モンゴルを併呑し、、イスラムのウイグルを徹底的に虐めるのは一神教が異教を認めないからで、宗教戦争の延長でもあると考えられる。
神は不可知であり、人間の知恵をこえる絶対的な存在、釈迦が広めた阿頼耶識(あらやしき)に繋がる。
神は事物の根本的な本質である。二元を認識できないので「もの自体が不可知」(カント)として謎のままとされた。
本居頼長は神を「よのつねなならず日野の及ばぬ徳ありて畏怖(かしこき)もの」と書いた。
神は英語のゴッド、古代ギリシャ神話のゼウス、ユダヤ教のヤハウェ、キリスト教のデウス、イスラム教のアッラーである。
筆者の台湾の知り合いで、日本語教育を受けた李登輝元総裁と同時代の、日本文学にも造詣の深い友人・知己が何人もいたが、その1人が最初に日本に来たときの戸惑いを冗談を交えて話してくれたことがある。
「神は中国語でシン、日本語はカミと発音する。上陸は神戸だったので、シントかカミトと思っていたらコウベだった。あ、日本ではコウというのかと次に東京へ出て神田へいっが、道を聞いてもコウダでもシンダでもなくカミダでもなくカンダだった。神宮前はてっきり神社があると思ったらジングウマエとよみ、野球場があった。次にジンタニマチと考えていった神谷町(カミヤチョウ)だった。さるにても日本語は難しい」と言って笑いあったことを思い出した。
人間の情熱、信仰、情念は崇高であり、信じることの為には生命をも投げ出す。科学文明や合理主義では人間の本質にある精神が分からない。AIが神と人間を繋ぐとは考えにくいのである。
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じじぃの日記。
宮崎正弘著『AI vs.人間の近未来』という本に「AIと神々」があった。
宗教の起源
人間は先史時代から、自分たちの能力を超えた自然現象を恐れ敬ってきた。
先日ある人のエッセイにこんなことが書かれていた。
「私は科学技術を99%信じる。しかし、科学で説明できないことが1%あると思う」
大体これは、日本人の多くの考えなのではないだろうか。
その1%が「神」とでも言えるのだろうか。