じじぃの「カオス・地球_336_日本人の精神構造史・第1章・日本文化の開花」

平家物語の冒頭朗読|暗記・暗唱

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Dav7D5-_PXE

平家物語2

平家物語の冒頭部分を声に出して読んでみましょう。
https://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/japanese/chu/koten/12/heike02_mo.htm

すぐ忘れる日本人の精神構造史

【目次】
はじめに
序章 民俗学の視点で日本の歴史を見るということ

第1章 日本人のマインドは、縄文ではなく稲作から始まった

第2章 武家政権が起こした社会変化
第3章 信仰、道徳、芸能の形成
第4章 黒船来航、舶来好き日本人の真骨頂
第5章 敗戦、経済大国、そして凋落へ

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『すぐ忘れる日本人の精神構造史―民俗学の視点から日本を解剖』

新谷尚紀/著 さくら舎 2024年発行
生活が苦しくても「しかたがない」と我慢する、責任追及をせず問題点をふわっとさせたまま何となく進み、やがて忘れる――そんな日本人の思考や行動の傾向性は「稲作を土台に、律令制+荘園制+武家政権の時代」を経て培われてきたといえる。本書では日本の歴史の経歴、慣習の積み重ねを民俗学の視点から歴史を追跡することで、どうやってそのような日本人が育まれたのかを知り、これからの社会のあり方、日本人のあり方を考える。

第1章 日本人のマインドは、縄文ではなく稲作から始まった より

律令国家の誕生、変わりゆく経済管理体制

宗教と文学、日本文化の開花
平安時代(8世紀後半~12世紀後半)は、現代にも伝わる日本の文化が醸成された時代でした。その背景には以下のような歴史がありました。

第1に、平安京を中心とする朝廷と貴族のもとに、全国の荘園や公領の経営によって聴衆された稲殻を中心とする官物や、万雑公事(まんぞうくじ)と呼ばれる多様な便益品という、巨額な資材と豊かな富が吸引されていき、それが中央で文化的に消費されていった、という事実です。そして第2が、全国各地で毎年生産される巨額な稲殻や万雑公事の聴衆とその分配をめぐる関係者も間の利害対立が激化してきていた、という歴史です。第1の歴史にマガで花開いたのが、平安朝の貴族文化です、第2の歴史の中から生まれたのが
武家政権の誕生でした。そのふたつとも現在の日本をつくってきている重要な歴史です。

第1の平安時代の文化では、中国からの渡来文化を受容しながらも、東西南北に長い島嶼(とうしょ)部の国としての日本で、その独自の文化が醸成されていったということが注目されます。たとえば、古代インドから発信された仏教は、平安時代最澄(さいちょう)や空海(くうかい)という高僧によって天台(てんだい)宗や真言(しんごん)宗として磨きあげられ、日本文化の精神的な支柱を形成していきます。

比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の天台宗を開創した最澄の門下からは、法華経(ほけきょう)信仰、薬師(やくし)信仰、観音(かんのん)信仰、そして浄土(じょうど)教と往生(おうじょう)信仰、という日本の仏教の豊かな法流が形成されました。
のちに鎌倉仏教と呼ばれる法然(ほうねん)の浄土宗や親鸞浄土真宗日蓮(にちれん)の法華宗、一遍(いっぺん)の時宗(じしゅう)などすべてがその比叡山の法脈の中から生れてきたものです。栄西(えいさい)の臨済(りんざい)宗や道元(どうげん)の曹洞(そうとう)宗も、宋での修行と学習の中から伝えられましたが、もともとの源流は比叡山からのものでした。高野山(こうやさん)の金剛峯寺(こんごうぶじ)や京都の教王護国寺(きょうおうごこくじ)の真言宗を開創した空海の門下からは、深遠な真言密教の教理と加持祈祷という信仰実践から、日本の仏教の根幹が形成されました。

それらがいずれも日本人の信仰生活と世親生活の根本を成してきており、その基本的な意味は現代社会においても未来に向けても変わることはないでしょう。

さて、ではその日本仏教の特徴とは何か。それは古代インドの釈迦のような生と死の苦を徹底的に直視することによって、個々人の信仰実践の中で自己に厳しい戒律を課すものではなく、心情の上での仏や菩薩へのひたすらな信仰心こそがすべてというものです。仏教には本来、五戒という不飲酒や不邪淫などの戒律があり、それを厳守しなくてはなりません。しかし日本仏教は、感情的かつ個人的な信仰心を第1とするものです。ですから逆に、誰でも参加できる教えとして今日に至るまで、根強い力をもつものとなっているのです。

そして日本古来の神祇(じんぎ)信仰も仏教の教理と触れ合うことによって。信仰の上での深まりを進めていきました。よく神仏習合(しんぶつしゅうごう)といわれますが、それは仏教が神祇信仰を読み解くことによって、いわば仏教神道として思想的に研磨されていぅたものにほかなりません(新谷尚紀『神道入門』ちくま新書、2018)。そしてそれとはまた別に、ずっと古く、律令制の導入以前の飛鳥の時代から王権の精神世界で大きな影響力をもっていたのが、古代中国から伝えられた陰陽五行(いんようごぎょう)の信仰でした。
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次に何よりも画期的であったのはかな文字の発明でした。公的な場では漢字という表意文字を用いながら、それとともに私的な場では自分たちの言葉を記す、表音文字の平かなやカタカナをつくったのです。そこから日本の文学の豊かな世界が育まれ、優れた和歌や物語などが生まれました。『古今和歌集』や『源氏物語』や『枕草子』など、自分たちの言葉である音声をそのまま表記できる平かなやカタカナという独自の文字は、日本人に独特な感情や感性、また思想を育んでいくことを進めました。

たとえば漢文の文学ですと、唐の詩人白居易(はくきょい)の漢詩などは平安貴族の間にもよく知られており、皇帝の玄宗(げんそう)と楊貴妃(ようきひ)とのことを詠んだ「長恨歌(ちょうごんか)」の「在天願作比翼鳥 在地願爲連理枝」(天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝と為らん)という一節が紫式部(むらさきしきぶ)の『源氏物語』の「桐壺(きりつぼ)」の巻にも影響を与えていました。しかし、日本の宮廷での物語の描写の上では、かな文字でこそ描ける繊細な感情の世界が広がっていました。

そうして、日本人は漢字によって表せる概念と、平かなによって表現できる感情と、その両方を歴史の中で手に入れたのでした。そして、それだけではなく、平かな文字やカタカナ文字の発明は、『今昔(こんじゃく)物語集』や『平家物語』や『愚管抄(ぐかんしょう)』など歴史の世界を叙述することを広めていったという重要な一面もあります。

古代から中世にかけての歴史の大きな転換期に起こった源平争乱はとくに衝撃的で、公家も武家も含めて広く一般の人々にまで興味と関心をふくらませるものでした。その争乱はまずは語り物として世間に広まり、それが文字に記録されて『平家物語』や『太平記』などとして、後世に伝えられました。