じじぃの「カオス・地球_340_日本人の精神構造史・第3章・松尾芭蕉」

時の散策 第18話/旅に生きた松尾芭蕉

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=hXCdsopwatc


おくのほそ道(松尾芭蕉

NHK for School
・月日は百代の過客にして…
松尾芭蕉の紀行文
・「夏草や兵共が夢の跡」
・はかない栄光の跡
・「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
https://www2.nhk.or.jp/school/watch/outline/?das_id=D0005150085_00000

すぐ忘れる日本人の精神構造史

【目次】
はじめに
序章 民俗学の視点で日本の歴史を見るということ
第1章 日本人のマインドは、縄文ではなく稲作から始まった
第2章 武家政権が起こした社会変化

第3章 信仰、道徳、芸能の形成

第4章 黒船来航、舶来好き日本人の真骨頂
第5章 敗戦、経済大国、そして凋落へ

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『すぐ忘れる日本人の精神構造史―民俗学の視点から日本を解剖』

新谷尚紀/著 さくら舎 2024年発行
生活が苦しくても「しかたがない」と我慢する、責任追及をせず問題点をふわっとさせたまま何となく進み、やがて忘れる――そんな日本人の思考や行動の傾向性は「稲作を土台に、律令制+荘園制+武家政権の時代」を経て培われてきたといえる。本書では日本の歴史の経歴、慣習の積み重ねを民俗学の視点から歴史を追跡することで、どうやってそのような日本人が育まれたのかを知り、これからの社会のあり方、日本人のあり方を考える。

第3章 信仰、道徳、芸能の形成 より

日本文化の醸成

文芸の発展、歌舞伎のヒット
日本を代表する文学といえば、やはり平安中期の紫式部(むらさきしきぶ)の小説『源氏物語』や清少納言(せいしょうなごん)の随筆『枕草子』、南北朝期の卜部兼好(うらべかねよし、吉田兼好、よしだけんこう)の随筆『徒然草』、平安後期の説話集『今昔物語集』、鎌倉期の軍記物の『平家物語』、室町期の『太平記』などがよく知られています。それらは文学作品でもありますが、それぞれの時代の社会や歴史の世界をよく描いている作品でもあります。

日本文学の特徴のひとつが個々人の心境を平かなで巧みに繊細に表現する和歌ですが、奈良時代の『万葉集』、平安中期の『古今和歌集』、鎌倉時代の『新古今和歌集』などが有名です。個人の歌集としても源実朝の『金槐(きんかい)和歌集』や西行(さいぎょう)の『山家集(さんかしゅう)』が人気を集めています。五七五七七の31文字の短文構成で、風情豊かに心境鋭く切り取る和歌の表現には、日本人が古くから現代まで続けてきている文学表現の世界がよく伝えられています。

江戸時代には、さらに短く俳諧連歌の発句だけの五七五の17文字で、滑稽諧謔(かいぎゃく)の中に閑寂幽玄な世界を読みこむ作風が松尾芭蕉(まつおばしょう)によって切り開かれました。

元禄期に芭蕉は弟子の曾良(そら)をともなって漂泊の旅を続けて奥の細道などの句集を残しています。幕藩制化緊縛の社会にあって、その異才を旅の中に発揮した芭蕉の心身には、よく調べてみるとやはり甲賀のしのびの力が秘められていたのではないかと思われます。

「古い池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音」という句は、ふつう蛙といえば、誰でもあの田植えの季節に水田でゲロゲロゲロと一晩中泣き続けるうるさく騒がしい蛙を思い浮かべます。それがシーンと静まり返った古池、そこにただ1匹ポチャンと飛び込んだ。そしてまた静寂の中へと戻った、という状況を詠んだものでした。『奥の細道』には、奥州藤原氏の 清衡(きよひら)・基衡(もとひら)・秀衡(ひでひら)3代の栄華と、その後を継いだ泰衡(やすひら)に謀殺された義経や頼朝に滅ばされたその泰衡のことなどに思いをはせて詠んだ、「夏草や つわものどもが 夢のあと」があります。
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近松門左衛門には他にも、1703年(元禄16)4月7日早朝に大坂堂島新天地の天満屋(てんまや)の女郎はつ(21歳)と内本町の醤油商平野屋の手代(てだい)の徳兵衛(25歳)が曾根崎の露天神(つゆてんじん)の森で情死した事件に題材をとった『曽根崎心中』や1720年(享保5)10月4日夜に大坂の網島(あみじま)の大長寺(だいちょうじ)で天満の紙商紙屋治兵衛(じへえ)と曽根崎新地の紀伊国の妓婦小春とが情死を遂げた事件に題材をとった『心中天の網島』などの名作があります。若い男女がその深い愛情と世間の義理との間で悩み苦しむ姿が見る者の胸を打ちました。「義理」と「人情」という日本人の心の機微にふれる作品でした。

それらの作品を上演したのが歌舞伎でした。歌舞伎は現在では日本を代表する芸能として人気があり、日本を訪れる外国の観光客を案内するときには東京の歌舞伎座や京都の南座へ行く人たちも多いことでしょう。歌舞伎はもともと、安土桃山(あづちももやま)時代から江戸初期にかけて京都で流行した出雲阿国(いずものおくに)という女性が始めたかぶき踊りから発展したものといわれています。かぶくというのは傾くに通じる言葉で、派手な衣装で常軌を逸したような行動をして目立とうとする若者たちのことをかぶき者と四差ところからきています。いまでも歌舞伎の衣装は派手ですし、隈取りといわれる顔の化粧も以上な雰囲気を醸し出しています。

東海道四谷怪談』では、もともと最高の美女で貞女であったお岩さんが夫の伊右エ門によって卑怯にも毒薬を盛られて変貌していくさまが見事に演じられます。お岩さんの信念の強さが表現され、その強烈な刺激はその後も時代を越えて観る者一人ひとりの胸に迫ってきます。

現在も上演される年末の忠臣蔵と、夏季の四谷怪談とは、日本の江戸時代が生んだ世界に誇れる芸能作品といってよいでしょう。

日本の芸能の歴史という観点からいえば、歌舞伎の誕生は、それまで戦乱の激動の中に生きてきていた若者たちの身体と感覚の中に、溜まりに溜まっていた表現欲求が、戦乱が治まる中でぶつける場所を失っていった時代であったということが関係していると思われます。歌舞伎は熱いエネルギーが発散されるかたちで、一部の若者たちの身体表現、行動表現として露出してきた新しい無秩序的な芸能だったといえます。