じじぃの「イースター島のモアイ像・森林伐採の影響?生態の雑学」

Scientists Make Easter Island Statue Walk | National Geographic

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YpNuh-J5IgE

モアイ像 ロープで揺らして移動した?


モアイ像、ロープで揺らして移動?

2012.06.25 ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
数世紀にわたり解明が試みられてきたイースター島のモアイ像の運搬方法に、新たな説が提案された。
重さ数十トンもある巨大なモアイの大多数は、削り出された石切り場から最大18キロの距離を移動している。車輪やクレーンはもちろん、大型動物の力も借りていない。

いくつもの方法が試された結果、丸太を並べたコロやロープ、木のそりの組み合わせを活用したに違いないと考えられていた。しかし、ハワイ大学のテリー・ハント(Terry Hunt)氏とカリフォルニア州立大学ロングビーチ校のカール・リポ(Carl Lipo)氏は、「モアイはロープと人の力だけで左右に揺らし、直立で移動するように設計された」という新説を考え出した。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6283/

生態学大図鑑』

ジュリア・シュローダー/著、鷲谷いづみ/訳 三省堂 2021年発行

人間という要因 より

イースター島
イースター島の古代人たちがたどった運命は、天然資源を管理する大切さを教えてくれる。
かつては栄えて多くの巨大石像を建てた島の人々の人口は1万2000人であったが、ヨーロッパ人が島を発見する1722年には、わずか2000人まで減っていた。

壊れやすい生態系の適切な管理に失敗したこと、とくに木々の大量伐採と部族間戦争が衰退の原因になった。モアイ像は石で作られたが、石像を石切場から祭祀場まで運ぶために丸太を必要とした。島の多くのヤシの木が切り倒され、漁業用のカヌーを作る木さえ残らず、多くの人々が餓死することにつながった。

最後の悲劇は、1862年、奴隷商人たちとともにやってきた。島民1500人がペルーに連れ去られ、ほとんどが死亡し、15人の島民が故郷に帰り着くことができたが、彼らは知らずに天然痘を島に持ち込んでしまった。1877年までに生き延びた住人は、わずか111人だった。

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じじぃの日記。

生態学大図鑑』という本に、「イースター島」という記事が載っていた。
   
イースター島は、南米チリの首都サンティアゴから真西に4000㎞。
タヒチから真東に4000㎞に位置する『絶海の孤島』。
面積は日本の小豆島とほぼ同じ。車で3時間もあれば一周できる。
島の唯一の村には約6000人が住む。
世界の謎とされるのが、イースター島の『モアイ像』。
https://ameblo.jp/koko-bana/entry-12172132438.html

イースター島はチリに所属しているが、むしろ文明的にはポリネシアの一部だ。

モアイ像の意味は信仰と慰霊のための祭壇である。
モアイ像が立つ土台が墓地で、巨石を先祖の墓に似せておくのは神殿である。

こうした儀式はポリネシア海域に共通で、サモア、ツバルなど多くの島々は言語体系が似ている。

山から切り出して作ったモアイ像がどうやって海岸部に運んだのかが歴史上のミステリーとなっている。

「モアイ像は石で作られたが、石像を石切場から祭祀場まで運ぶために丸太を必要とした」

石像を丸太に乗せ転がして運んだのだろうか。

ロンゴロンゴ

ロンゴロンゴは、イースター島で19世紀に発見された、文字あるいは原文字と思われていた記号の体系。
ロンゴロンゴの記された24の木片(文字板)が19世紀後半に収集されている。
口伝による伝承では、少数のエリートのみがロンゴロンゴを使用することができ、これらの文字板は神聖なものであるといわれている。

現在ではそのうち、スーパーコンピューターで解読されるのではないかとの予測がある。

なお、ポリネシア人の人種的起源は、マレーシア、台湾原住民ではないかといわれている。