じじぃの「カオス・地球_216_イスラム原論・第1章・イスラムの歴史」

【ゆっくり歴史解説】イスラム帝国の誕生

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Tu72PitXwQ8

世界のイスラム教宗派分布地図

コーラン(クアルーン)


イスラム教「イスラーム」をどこよりも分かりやすく解説!教典の教え、食事・礼拝・服装ルールなど

日本人が「イスラム」と聞いてイメージするのは中東の国々が多いのではないでしょうか。
そしてもうひとつ、残念ながらネガティブなイメージを持たれていることも少なくありません。しかし、イスラム教は中東のみならず世界広範囲に広がっており、内情も国によってそれぞれです。

日本ではとても馴染みが薄くニュース以外ではなかなか接しないイスラム世界ですが、ここでは偏った情報にとらわれず、教義や信仰、歴史に生活など、イスラム教について徹底解説します!
https://turkish.jp/turkey/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99/

日本人のためのイスラム原論(新装版)

【目次】

第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる

 第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた
 第2節……「日本教」に規範なし
第2章 イスラムの「論理」、キリスト教の「病理」
 第1節……「一神教」の系譜
 第2節……予定説と宿命論
 第3節……「殉教」の世界史
第3章 欧米とイスラム―なぜ、かくも対立するのか
 第1節……「十字軍コンプレックス」を解剖する
 第2節……苦悩する現代イスラム

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『日本人のためのイスラム原論(新装版)』

小室直樹/著 集英社インターナショナル 2023年発行

今もなおイスラムはなぜ欧米を憎み、欧米はイスラムを叩くのか?
この本を読めばイスラムがわかり、世界がわかる。
稀代の大学者、小室直樹が執筆した、今こそ日本人必読の書。

第1章 イスラムがわかれば、宗教がわかる より

第1節……アッラーは「規範」を与えたもうた

中国皇帝の家臣にもムスリムがいた!
このムスリム帝国の大爆発の後も、イスラム圏は広がりこそすれ、けっして小さくなることはなかった。
西においては大西洋岸にまで達したイスラムは、今度は東の方、インドへと進出していく。13世紀には北インドイスラム奴隷王朝(トルコ系・奴隷出身のアイバックが建国)が生まれ、また16世紀になると今度はムガール帝国がインド全域を支配する。これによって、イスラムはインドに広がり、さらにスマトラ(今のインドネシア)に渡って、ついに東南アジア一帯をイスラムの影響下に置くことに成功する。

また、その一方でイスラムの教えは、中央アジア一帯にも広がりを見せはじめる。
イスラム教はシルクロードを東上し、その過程で中央アジアの仏教国を次々にイスラム化していった。そして、ついにコーランは中国にまで到達するのである。
唐代(618~907年)から宋代(960~1279年)にかけては、中国の各地にモスクが建てられたし、皇帝の臣下の中にもムスリムがたくさんいた。
その中でも最も有名な1人は、明代(1368~1644年)に大艦隊を率いてペルシャ湾にまで行った鄭和(ていわ)だろう。前に述べた新疆ウイグル自治区ムスリム(当時は回族と言われた)たちの信仰は10世紀に遡ると言われている。
また、15世紀に入るとイスラム教の教えは、オスマン・トルコ帝国の領土拡張とともにヨーロッパのバルカン半島にも広がりを見せる。この地域には、今もなお多くのムスリムが住んでいることで有名である。

驚くべし、このイスラム教の拡大。
何度も断っておくが、東南アジアや中央アジア、中国、さらにアフリカ大陸での布教は、すべて平和的に行われた。
キリスト教徒が言いふらした「コーランか、剣か」という言葉は、まったくの嘘八百である。イスラム教は切るスト教とは違って、武力や暴力を用いて異教徒に改宗を迫ったことがない。このことについては、のちほど述べるつもりである。
さて、かくのごとく世界中に広まったイスラム教は、どういうわけか、日本にだけは根を下ろさなかった。

イスラム教とキリスト教とは、いろいろな点で大きく異なる宗教だが、こと布教に関しては共通である。

つまり、両者とも、自分たちの教えを世界に広めるのが使命だと信じて疑わない。どんな困難があろうともアッラーの言葉を広めずにはいられない。このパッションがあるからこそ、イスラム教はアフリカの奥地から、東南アジアの孤島にまで広がったのである。

ましてや、かつてのアラブ民族と言えば、世界に名だたる航海者たちであった。ヨーロッパ人が欧州大陸でうごめいていたころ、かのシンドバッドに象徴されるアラブの商人たちは、地中海やインド洋を股にかけて華やかな活躍をしていた。中国で発明された羅針盤も、まずイスラム世界に入って大いに活用されている。イスラム教の広がりは、こうしたアラブ商人の存在を抜きにしては語れない。

ここでちょっと補足をしておけば、布教に熱心なキリスト教イスラム教と対照的なのが仏教である。今でこそキリスト教などを真似して仏教にも伝道師がいるが、本来の仏教は、原則として布教はしない。
仏教では「縁なき衆生は度し(救い)がたし」であって、真理は与えられるものではなく、自ら求めるものである。
釈迦の悟りを知りたいと思う人は拒(こば)まないが、知りたくない人間をも教化しようとは考えない。この点において、仏教はひじょうに特異な宗教と言える。世界的に見ても仏教国がイスラム教国に変わった例はあっても、その逆はない。これは、こうした点が大いに関係していると見るべきであろう。

それはさておき、日本に伴天連(バテレン)たちがやってきた戦国時代、すなわち16世紀から17世紀にかけて、イスラムはすでにインド洋経由で東南アジアに到達していたし、また、日本海を隔てた中国においては回教(かいきょう)のモスクがあちこちに建っていた。
つまり日本にイスラムが渡ってくる条件は揃(そろ)いに揃っていたというわけである。
ところが、当時の日本にモスクが作られたという話は聞かないし、また、コーランを唱えつつ出陣するムスリム大名が現われたという記録もない。
また、アラブの商人とまではいかないまでも、当時の日本には山田長政のように海外に雄飛する者も少なくなかった。そうした人たちの中には、イスラム教徒と接触した者もいただろう。
ところが、これだけの機会に恵まれていたにもかかわらず、戦国時代の日本にはイスラムの「イの字」も見られない。
そのことは、キリスト教に対する禁令はあっても、イスラム教に対する禁令など一度もなかったことにも現われている。「すでにあるもの」には禁止令は出せても、「ないもの」に禁止令を出すことはできないからである。