じじぃの「カオス・地球_355_林宏文・TSMC・第3章・文化・台湾企業のヒミツ」

世界最重要企業。半導体の中心TSMCTSMC決算】~ゆっくり解説~

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AZlSdgMbkA4


TSMC(台湾積体電路製造)【TSM】 歴史

Strainer
TSMC創業者、モリス・チャン(張忠謀)
TSMC創業者のモリス・チャンこと張忠謀(敬称略)は1931年生まれ。あのウォーレン・バフェットよりも一歳ほど年下だ。中国の寧波市に生まれ、ハーバード大学に進学した。

その後はMITに転入し、1952年に卒業。間もなく機械工学の修士号も取得している。米国の半導体企業「テキサスインストゥルメンツ(TI)」に入社したあと、スタンフォード大で博士号も取得したエリートだ。

当初のキャリアでは25年間をTIで過ごした。時間をかけて頭角を表すと、シニアヴァイスプレジデント(SVP)としてグローバルでの半導体事業を統括するまでに昇進する。
1984年には同社を去り、ゼネラルインストゥルメンツ社長に就任。しかしその一年後、チャンは引き抜かれる。引き抜いたのは台湾だ。こうしてチャンは、台湾の工業技術研究院(Industrial Technology Research Institute)トップとなった。

こうして1987年、TSMCが設立される。モリス・チャンは董事長(Chairman)として会社を率いた。世界で初めて、集積回路(IC)に特化したファウンドリ事業者だった。
https://strainer.jp/companies/6245/history

TSMC 世界を動かすヒミツ

【目次】
はじめに――TSMCと台湾半導体産業のリアル
序章 きらめくチップアイランド
第1章 TSMCのはじまりと戦略
第2章 TSMCの経営とマネジメント

第3章 TSMCの文化とDNA

第4章 TSMCの研究開発
第5章 半導体戦争、そして台湾と日本

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TSMC 世界を動かすヒミツ』

林宏文/著、牧髙光里/訳、野嶋剛/監修 CCCメディアハウス 2024年発行

2024年の熊本工場(JASM)始動と第2工場の建設決定で、注目が高まるTSMC。創業時からTSMCの取材を続け、創業者モリス・チャンのインタビュー実績もある台湾人ジャーナリストが、超秘密主義の企業のベールを剥がす。
(以下文中の、強調印字は筆者による)

第3章 TSMCの文化とDNA より

米国企業の文化を持つ台湾企業のヒミツ――設立したその日から世界を目指す

私の日本人の親友である野嶋剛氏があるとき、日本人はモリス・チャン(張忠謀、ちょう ちゅうぼう)氏を高く評価しており、TSMCがこれほどの成功を収めた理由にも興味を持っていると言った。私はそのとき彼に、TSMCは台湾企業だが、設立したその日から企業のDNAには米国型の文化が詰まっていたし、各種制度やマネジメントスタイルも米国式だから、本社を台湾の新竹に置いた米国型企業と考えていいだろうと話した。

だがモリス・チャンはこの見解に同意しないだろう。というのも以前にモリス・チャンは取材の席で、TSMCの企業文化は米国型であるとか、上層部の多くは米国から来ているとよく言われるが、TSMCの文化は「7~8割が台湾文化」だと話しているからだ。モリス・チャンがこう言うのにはもちろん理由があるだろうが、私自身は、TSMCに米国型文化があるのは否定できず、ただその上に台湾ローカルの優秀な人材が加わったことで、独特な企業文化ができあがったのではないかと感じている。

TSMCの米国型文化は、1987年の設立1日目に確立されていた。会長兼CEOに就任した創設者のモリス・チャンは中華系米国人で、TI(テキサス・インスツルメンツ)で25年働いてシニア・バイス・プレジデントに昇進した元ナンバー3だ。そしてTSMC設立後の10年間にモリス・チャンが社長として招いたジェームズ・ダイクス、クラウス・ウィーマー、ドナルド・ブルックスの3人も、米国半導体業界で経験を積んだ専門家だった。ダイクスはかつてハリス・セミコンダクターとジェネラル・インストゥルメントで社長を務め、ウィーマーはモリス・チャンのTI時代の元部下、元同僚で、その後チャータード・セミコンダクターのCEOにも就任した人物である。ブルックスフェアチャイルド・セミコンダクター[かつて存在した米国の半導体メーカー。世界で初めて半導体ICの商業生産を開始]の元社長とTIの元副総裁であり、やはりモリス・チャンのTI時代の部下だった。

このほか、TSMCが再投資した世界先進積体電路(VIS)が1994年に設立されたとき、最初に社長に就任したのもIBM元副総裁のボブ・エバンスだった。そしてモリス・チャン本人もTSMCと世界先進の両方で会長兼CEOに就任して、事業の成否に責任を負っていた。

社長が外国人だったことに加え、モリス・チャン自身も台湾に来た当初は中国語よりも英語の方が使いやすかったことからTSMCに米国式文化が自然に定着し、社内文書や書類が英語で作成されるだけでなく、多くの幹部会議も英語で行われるようになった。また会社の基本的なマネジメントや運営も、実績や昇進、ボーナス、賞罰などを含め、すべて米国型企業のスタイルに倣っている。

透明性が高く、創意工夫が奨励され、健全な競争が存在するというTSMCの社風のなかで、設立者と社長から自然に生まれた米国型企業文化が全社員共通の行動基準になっているため、昇進も当然、上司との関係性で決まるのではなく、実績によって判断されている。取締役会に至っては、台湾に独立取締役制がまだなかった時代から、TSMCは独立役員を設けている。

業界2位では駄目だ、1位になるためのヴィジョンを持て

米国スタイルのマネジメントが行われていることに加え、TSMCが設立当初に受託製造を新たなビジネスモデルとみなしたことが既存の半導体業界を変えるきっかけとなった。TSMCは、世界的な大企業になり、世界中から受注を獲得すること」に企業としての居場所を求めた。当時、世界の主な半導体メーカーは米国に集中していたため、TSMCは米国の顧客を優先的に開拓した。

TSMCが一貫して世界の一流メーカーを超えることを目標に掲げてきたことが分かる、もう1つのエピソードがある。1997年に蒋尚義(しょうしょうぎ)がTSMCに移籍してモリス・チャンと初めて対面したとき、モリス・チャンは蒋に、TSMCはテクノロジー・リーダーになると言った。

蒋尚義はモリス・チャンに、そうなるには莫大な資金がかかると答えた。当時、TSMCの社員はわずか120人で、IBMインテルの10分の1にも満たなかったため、蒋はモリス・チャンに遠回しに「ファースト・フォロワー」、つまり業界2番手であれば、必要経費は3分の1ほどで済みますと言った。

だが、蒋尚義はその場でモリス・チャンに然り飛ばされてしまった。初対面でこんな話をしてしまったため「モリスは間違いなく、私のことを情けないやつだと思ったはずだ」と蒋は言うが、この話から、モリス・チャンが設立当初から、世界のテクノロジー・リーダーになることを目標にしていたことがよく分かる。

TSMCはいったん目標を定めたら、その方向に向かって邁進(まいしん)するため、世間からの評価をあまり気にしない。ニュースを追いかけていたときに私はよく、TSMCはほかの企業とまったく違うと感じていた。私と同様、TSMCの米国型文化と一般的な台湾企業の違いに気付いているメディア関係者も多い。

たとえばTSMCは通常、記者会見や投資家向けの収支報告といった公の場で合同インタビューを行うが、メディアが単独取材を取り付けるのは非常に難しい。私が2大新聞の1つといわれた聯合報系の「経済日報」の記者だったときも、モリス・チャンの単独インタビューは数えるほどしか実現しなかった。TSMCには明確な情報発信システムがあって、ほかの幹部がメディアと個人的に接触することはできない。それに、多くのメディアは実はTSMCへの取材が好きでなく、一部はTSMCを偉そうな会社だと感じている。

だがTSMCはただ自分のペースで歩き、核心事業に集中しているだけだから、メディアに頻繁に対応する必要がないのである。巨大企業が自分で計画した既定の方向に向かって邁進しているのだから、TSMCがこれほどの成功を収めたとしても、何の不思議もないのだ。