History and Milestones of TSMC
AnySilicon
TSMC stands for Taiwan Semiconductor Manufacturing Company. TSMC, with its headquarters and primary operations located in Hsinchu Science Park in Taiwan, is the largest independent semiconductor foundry worldwide - making it a centerpiece in the world of fabless silicon manufacturing.
One cannot tell the story of TSMC without telling the story of its founder: Dr. Morris Chang, known as the “father of semiconductors”
https://anysilicon.com/history-and-milestones-of-tsmc/
『TSMC 世界を動かすヒミツ』
林宏文/著、牧髙光里/訳、野嶋剛/監修 CCCメディアハウス 2024年発行
2024年の熊本工場(JASM)始動と第2工場の建設決定で、注目が高まるTSMC。創業時からTSMCの取材を続け、創業者モリス・チャンのインタビュー実績もある台湾人ジャーナリストが、超秘密主義の企業のベールを剥がす。
(以下文中の、強調印字は筆者による)
第3章 TSMCの文化とDNA より
熱血社員が絶えないヒミツ――もう1人の「創業者」曾繁城ストーリー
TSMCは1998年、当時「経済日報」の記者だった私を含むジャーナリスト5人を、米国のWaferTech[TSMCの100%子会社]の取材に招待した。何しろ昔の話だから記憶があいまいになっているが、WaferTechがとても辺鄙(へんぴ)な町にあったこと、格式のあるホテルに泊まったこと、そのホテルのメッセージノートに感想をたくさん書き残したことだけは覚えている。
今でも一番印象に残っているのは、当時のTSMC社長の曾繁城(そうはんじょう)が、トヨタのカムリのハンドルを自分で握って我々を送迎してくれたことだ。TSMCの顧客が所有している高級車の数々と比べると、カムリはかなり地味だったが、このことは私がTSMCに抱いている「庶民的、真摯、親切」という印象とも一致していた。
これまでにたくさんの経営者を取材して、さまざまなタイプの人に出会ってきたが、TSMCの幹部の多くは社会的地位が高く、人より多く貢献しているのに、一人ひとりは非常に控えめだ。曾繁城はその典型的な人物だった。
海外から優秀な人材を引っ張ってきた男
モリス・チャン(張忠謀、ちょう ちゅうぼう)はTSMCで最も重要な創業者で、その重みを言葉で言い表すことはできないが、いっぽうで私は、たとえTSMCがそう呼んでいなくても、曾繁城は間違いなくTSMCの「共同創業者」と呼ばれていいと思っている。TSMCが1987年に設立されたとき、当時の工研院院長のモリス・チャンと共に117人の仲間を連れて創業したのが、工研院モデル工場の工場長を務めていた曾繁城だったからだ。
モリス・チャンが会社のすべての戦略を立てる司令官だったとしたら、曾繁城はTSMCのウエハー製造に献身的に尽くす実行者だった。TSMCは設立から数年間、海外にいる人材を呼び戻せるほどの条件が整っていなかったため、設計から研究開発、工場管理まであらゆることを曾繁城が引き受けていた。何しろ、製品ができあがってこないのではと気を揉んで、毎日夜半まで工場に残っていたほどだ。
曾繁城は真面目で責任感の強い人だ。米国のRCA(アメリカ・ラジオ会社)で技術研修を受けていたときには、仕事に没頭しすぎて体を壊し、胃の一部を切除してしまったが、TSMCの設立後も変わらず懸命に働いた。創業当初、工場では頻繁に問題が起きていた。たとえばセミナーに参加するため海外主張していたとき、トラブル発生を知らせる国際電話で真夜中に叩き起こされたこともある。もちろん曾はこのときも、すぐさま台湾に帰って問題を解決した。
その後、TSMCの業績が伸び、従業員への分紅制度(社員持株制度)も始まったことで、海外経験者が次々とTSMCに加わり始めた。海外でスカウトした優秀な人材はみな、曾繁城が一人ひとり訪ね歩いた技術者たちである。1989年に入社したリック・ツァイ(蔡力行、さいりきこう)や1997年に入社した蒋尚義(しょうしょうぎ)など、ほとんどの主要幹部が曾繁城の誠実な人柄に感銘を受けていた。その甲斐あって、TSMCのもとに多くの優秀な人材が集まり、優れた業績を上げ続けられるようになった。
1994年のTSMC株式上場の前夜、まだ上場前だというのに注目が集まり、当時のサイエンスパーク全体が心ここにあらずで、多くの人が株で一山当てることばから考えるようになった。
すると曾繁城は幹部を招集し、株式上場を果たしてもこれまでと同じ姿勢で仕事に臨まねければならないと説いた。金儲けのことだけを考えるのではなく、もっと先を見据えて将来的に付加価値を高められる目標を見つけ、それに集中しなければならない、と。
曾繁城は現在、第一線を退いてTSMCの役員と創意電子など再投資会社の会長職を務めるのみである。当然ながら裕福で、何不自由なく暮らしているし、今は間違いなくカムリより高級な車に乗っているだろうが、変わらず万事控えめである。どうしても目立つところを挙げろと言われたら、服装だろうか。曾は若いころからピンク色のスーツや紫色のシャツなどを好んで着ており、ビビッドな配色が曾繁城スタイルだった。だが、仕事となると黒子に徹して、モリス・チャンの寡黙なアシスタントという役割を担っていた。
自分のスタイルを貫いた点ではモリス・チャンも曾も同じで、自分の社会的イメージを非常に重視し、言動にも常に細心の注意を払っていた。何しろ妻がTSMCからプレゼントを贈られたとき、妻にその代金の支払いを求めたほどだ。