強がっても韓国は中国には逆らえない【半導体業界 勝手にコンサル - 韓国激震、米中半導体摩擦の破壊力 - #3 】
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サムスン・グループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長
サムスンの李会長、78歳で死去 小さな貿易会社を韓国一の大企業に
2020年10月26日 BBCニュース
サムスン・グループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長が25日、亡くなった。78歳だった。
李会長は父親の立ち上げた小さな貿易会社を、保険から流通まで手掛ける大企業に育て上げた。また、サムスン電子は世界でも有数のテクノロジー企業となった。
米誌「フォーブス」によると、李会長は総資産210億ドル(約2兆2000億円)で、韓国最大の資産家でもある。
https://www.bbc.com/japanese/54687297
『TSMC 世界を動かすヒミツ』
林宏文/著、牧髙光里/訳、野嶋剛/監修 CCCメディアハウス 2024年発行
2024年の熊本工場(JASM)始動と第2工場の建設決定で、注目が高まるTSMC。創業時からTSMCの取材を続け、創業者モリス・チャンのインタビュー実績もある台湾人ジャーナリストが、超秘密主義の企業のベールを剥がす。
(以下文中の、強調印字は筆者による)
第1章 TSMCのはじまりと戦略 より
サムスン対TSMCのヒミツ――「恐るべきライバル」サムスンと台韓戦争
モリス・チャン(張忠謀、ちょう ちゅうぼう)を長年取材してきたが、彼がメディアの前でカッとなる場面はほとんど見たことがない。だが一度、彼が本当に怒った姿を見たことがある。それはある記者が、ある言葉を言い間違えたからだった。
1人の記者がモリス・チャンにサムスンとTSMCの競争についてどう考えているかと尋ねたときのことだ。
「以前に会長は、サムスンは『尊敬すべき』ライバルだとおっしゃいましたが……」。すると記者が言い終わらないうちにモリス・チャンは「『尊敬すべき』とは言っていない。サムスンは『恐るべき』ライバルだと言ったのだ。英語で言うと『formidable』だ」と言葉を遮った。
なぜわざわざ「尊敬すべき」ではなく「恐るべき」だと強調したのか。なぜこの言葉に立腹したのか。その理由について、モリス・チャンは多くを語らなかった。だが彼とサムスンとの関係は30年以上前までさかのぼることができる。
サムスンのイ・ゴンヒ(李健熙)会長(当時)が1989年に訪台したとき、モリス・チャンとAcer(エイサー)会長のスタン・シー(施振栄、ししえい)を朝食に誘った。イ・ゴンヒとはすでにスタン・シーにTI-Acerへの投資計画があるのを知っており、台湾でメモリーを生産してほしくないと思っていた。そこで2人をサムスンの工場に招待することにした。
モリス・チャンは、イ・ゴンヒがそのときスタン・シーに「弊社の工場を見れば、メモリー工場にどれくらいの投資が必要で、どれくらいの人材が必要なのかわかりますよ。それが分かったら、あなたは投資をやめて、我々と提携したほうがいいかもしれませんね」と言ったことをずっと覚えていた。
サムスンは1983年からメモリーの製造を始めており、モリス・チャンは内心、見てみるのも悪くないと考えた。そこでモリス・チャンとスタン・シー、そして当時工研院電子所の所長を務めていた史欽泰(しきんたい)の3人が、ソウルにあるサムスンの工場を視察することになった。
モリス・チャンはそれまでたくさんの工場を見てきたため、通常は30分もあればそのポテンシャルが分かるという。モリス・チャンはTI(テキサス・インスツルメンツ)の工場のなかも一番よかった日本のメモリー工場を比べても、サムスンの工場はまったく遜色がないと感想を言った。3人は3日かけて工場を視察し、3日目の帰国前にイ・ゴンヒと会った。イ・ゴンヒは、「どれくらいの資本と人材が必要か、これでもうお分かりでしょう」と言った。
だがその後、スタン・シーもモリス・チャンも、サムスンと提携することはなかった。この訪韓から数ヵ月後、スタン・シーはTI-Acerの設立を発表し、工研院電子所も電子工業第1期、第2期のICモデル設置計画やVLSI計画を大筋で立ち上げてほか、サブミクロン計画にも入ろうとしていた。VLSI計画はその後、TSMCを誕生させ、サブミクロン計画にも入ろうとしていた。VLSI計画はその後、TSMCを誕生させ、サブミクロン計画はは世界先進積体電路(VIS 以下、世界先進)を生んだ。両社の指揮を執ったのはモリス・チャンで、TSMCが世界先進のDRAMメモリー発展計画に出資した。
サムスンはその後、驚くべき急成長を遂げ、半導体、通信、パネル、携帯端末などの分野にまたがるだけでなく、IDM(自社内で回路設計から製造工場、販売までの全ての設備を持つ統合メーカー)として世界クラスの巨大企業となった。そしてメモリー世界大手としての地位を固めると、今度は2009年かたファウンドリー業界にも参入して、TSMCと競い合っている。
本当にあった? サムスンの「台湾撲滅計画」
今でもときどき、サムスンには本当に「台湾撲滅計画」があったのかと聞かれることがある。
実際のところ産業界の競争それ自体、血なまぐさく残酷な側面があるものだ。サムスンの競争手段の1つが、まずは競争相手を市場から追い出して寡占を形成し、それから市場と価格の決定権を握るという手法だった。私は記事のなかでこのことについてわずかしか触れなかったが、サムスンからさまざまな手段で死に体にされた企業を誰かが訪ね、どうやってもてあそばれたのかと尋ねたら、それだけで本が1冊書けるだろう。
サムスンは事実、かつて日本企業を敗北させたときから、台湾や中国からの挑戦に直面しているまで、ライバルに手心を加えたことは一度もなかった。モリス・チャンがサムスンを「恐ろしいライバル」と評したのも、これが理由なのかもしれない。
サムスンとTSMCは今、互角に戦っている。メモリー分野では、サムスンは2008年のサブプライム危機以降、日本や台湾の競合他社を早々に市場から締め出し、不動の地位を十数年保っている。いっぽうでTSMCが投資した世界先進はモリス・チャンの尽力にもかかわらず、2000年にはDRAM市場からの撤退を決めて、ファウンドリー事業に転換した。
だがファウンドリー分野ではTSMCがサムスンを大きくリードしている。TSMCの世界シェアは5割を超えているが、これはサムスンのシェアの約3倍にあたり、先端プロセス技術については市場の9割を独占している。とはいえ、2009年になってようやくファウンドリーに参入したサムスンのほうも、今も勢力的に投資を続けてファウンドリー業界の趨勢に後れを取るまいとし、兜を脱ぐ素振りはない。
IC設計会社の鈺創科技(ぎょくそうかぎ、イートロン・テクノロジー、IC設計メーカー)会長の盧超群(ろちょうぐん)は、十数年前に韓国が主催した半導体国際会議でのエピソードを次のように語っている。盧超群はこのとき、私がかつてそうしたように、サムスンという強敵にどうやって対処すればいいのかとモリス・チャンに尋ねた。
「モリスは私に、『たとえサムスンがゴリラだったとしても、その弱点を見つけて、もしそれがつま先なら、そこを力いっぱい踏みつければ、勝つチャンスもなくはない』と言った」