じじぃの「カオス・地球_333_日本人の精神構造史・序章・付和雷同」

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すぐ忘れる日本人の精神構造史

【目次】
はじめに

序章 民俗学の視点で日本の歴史を見るということ

第1章 日本人のマインドは、縄文ではなく稲作から始まった
第2章 武家政権が起こした社会変化
第3章 信仰、道徳、芸能の形成
第4章 黒船来航、舶来好き日本人の真骨頂
第5章 敗戦、経済大国、そして凋落へ

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『すぐ忘れる日本人の精神構造史―民俗学の視点から日本を解剖』

新谷尚紀/著 さくら舎 2024年発行
生活が苦しくても「しかたがない」と我慢する、責任追及をせず問題点をふわっとさせたまま何となく進み、やがて忘れる――そんな日本人の思考や行動の傾向性は「稲作を土台に、律令制+荘園制+武家政権の時代」を経て培われてきたといえる。本書では日本の歴史の経歴、慣習の積み重ねを民俗学の視点から歴史を追跡することで、どうやってそのような日本人が育まれたのかを知り、これからの社会のあり方、日本人のあり方を考える。

序章 民俗学の視点で日本の歴史を見るということ より

民俗学って、いったい何?

生活の歴史の中の「伝承と変遷」、「原因と結果」を読み取る
日本の民族学といえば、柳田國男(1875~1962)です。
柳田國男はフランス語のtradition populaireを「民間伝承」と翻訳し、その「民間伝承」を返球する学問として民俗学を創始しました。そして、その民俗学を深く理解し、協力して育てたのが折口信夫(1887~1953)です。
彼らの民俗学は多くの一般の人たちの生活の中のtradition(伝承)と、それと対(つい)をなすtransition(変遷)の、その両者をセットとして捉え、生活の変遷の動態の変わりにくいものと変わりやすいもの、その両方があることに注目する研究でした。つまり古代から現代まで長い日本人の生活の歴史の中で、何が変わり、また何が変わりにくく伝えられてきているのか、それを追跡しようとしたのです。

たとえば、古代から現代まで長い歴史の中に伝えられている衣食住の生活の歴史について、柳田の『木綿以前の事』(『定本 柳田國男集』第14巻(新装版)、筑摩書房、1982)を一読してみれば、文献だけの歴史学とは異なり、日本各地の民間伝承の中に生活の変遷を見出す視点とその方法とがあることがわかるでしょう。

「日本人とは何か」ではなく「いまどうしてこうなっているのか」を問う
日本民俗学は「日本人とは何か」を問う学問だと思われている人がいるかもしれませんが。それはまったくのまちがいです。そんな誤解が生まれたのは、戦前にドイツ・オーストリア民族学エスノロジーウィーン大学で学んできた岡正雄(おかまさお)と石田英一郎(いしだえいいちろ)のエトノス論の影響によるものです。そのエトノスとは、日本語でいえば民族性のことです。同一の文化的伝統を共有して共属意識をもつ集団をエスニック・ユニットといい、その文化的な特質のことをエトノスといっていました。

そのふたりの影響を受けた歴史学出身の和歌森太郎(わかもりたろう)たちが柳田門下でありながら、戦後になって、東京教育大学民俗学を講じたときに、日本民族学の概説書にそのように書きました。それによって、誤解が生じたのでした。和歌森太郎の大学での教科書『日本民族学』は、1953年(昭和28)刊行され1973年(昭和48)に改訂されて20年間も版を重ねたものですが、そこでは「民族論は今日見聞きしうる諸々の民族伝承の比較研究を通じて、日本人の心性、生活文化の歴史的特色を把握しようとする学問である」と説明していました。

しかし、それは、柳田の提唱した民俗学に対する誤解です。
ややこしいかもしれませんので、少し説明しておきます、柳田は、「日本人とは○○だ」というような、型にはまった論は決してしていませんでした。すべて歴史は、常に伝承と変遷の中にあるのであり、固定的な日本人論も完結的な日本人論も柳田にはありえないからです。そのかわりに柳田は、「現在の日本人はどうしていま、このような習性が身についてしまっているのか」、その歴史的な変遷についての考察は必要であるとし、たとえば次のような指摘もしています。

日本人はすぐに真似をするくせがある。流行に乗りやすい。言葉も古いものが忘れられて新しい言葉がどんどんでてきてそれが流行ると、自分も使おうという気持ちが強く、たとえば、大阪でエゲツナイという変な言葉が最近流行りはじめているが、それは決して古くからの言葉ではない。最近の流行りだ。また、東京でもトテモきれいだとか、トテモかしこいというトテモという言葉が広まってきているが、あれは山登りの人たちが信州からもってきたものであり、まだこの20年そこそこの新しい流行でしかない、といっています。

すぐにかぶれるということについても、1926年(大正15)頃に「西洋かぶれ」について書いています。日本人はほとんど子どものように西洋への好奇心、新しいものに対する敬服の念をもっており、西洋への忍従を示す舶来万能の考え方をもっている。それでも、その年の第3回汎太平洋学術会議で、「日本の科学者が英語を話し書くこと」になったのは、それはそれでじつによい経験になるといっています。西洋への憧れやかぶれの志向性も、国際かという点でいえばよいことだというのです。柳田は日本の独自性とともに、国際的な交流も必要であり、一方的ではなく双方向的な、相互のリスペクトが大事だといっていたのでした。

また、日本人が付和雷同しやすいということについて、1930年(昭和5)の論説で、青年団は選挙に利用されやすいところがある、と注意を喚起しています。

青年の多数は単純すぎて付和雷同しやすい。だから一部の小ざかしい者によって、団体そのものの勢力を借りられる危険があり、それを防衛する必要がある。青年団の健全なる成育、また団員相互間の扶助誘導を激励すべきでありそのためには青年たちの修養を勧める必要があるといっています。
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2020年代はじめの現在の日本の選挙のあり方からみても、その頃と比べて何も変わっていないと思われるのは、はなはだ残念なことです。国会議員への投票率が50%にも満たない低水準の中で、全有権者に占める自由民主党の得票割合は2割前後です。つまり20%前後の支持者の票が、国民のほぼ100%の意見とみなされて日本の政治を動かしているのです。

かつて、2000年(平成12)6月の衆議院議員総選挙のとき、当時の森喜朗(もしよしろう)首相が、無党派層について「関心がないといって、(投票に行かずに)寝てしまってくれればいいが、そうはいかない」と失言してしまったところにも、現代の政治の問題点がよく表れています。それから20年以上が経っていますが、状況はまったく変わっていません。

社会的な道徳や倫理、そして公民としての意識のしっかりした人ほど、自分の公民としての権利の行使である投票に値する候補者がいない場合には、棄権ということになってしまっているというのが、現在の日本政治のもっとも大きな問題点です。

少なくとも柳田が危惧していた昭和初年の頃の選挙には、現在のような特定の宗教団体が積極的に関与するという状況にはありませんでした。それと比べれば、むしろ現在の選挙のほうが危うくなっているという歴史をいま私たち日本人は歩んでいるのです。