じじぃの「カオス・地球_326_LIFESPAN・第8章・善きサマリア人のたとえ」

“Good Samaritan” is a label often used to describe someone acting selflessly to benefit others, even if a total stranger.

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=jsluVwAAnEI

Good Samaritan


The complex history behind the phrase ‘Good Samaritan’

Aug 26, 2022 goskagit.com
“Good Samaritan” is a label often used to describe someone acting selflessly to benefit others, even if a total stranger.
https://www.goskagit.com/townnews/bible/the-complex-history-behind-the-phrase-good-samaritan/article_56f47286-257a-11ed-be49-73840fcd2e7a.html

LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界

【目次】
はじめに――いつまでも若々しくありたいという願い
■第1部 私たちは何を知っているのか(過去)
第1章 老化の唯一の原因――原初のサバイバル回路
第2章 弾き方を忘れたピアニスト
第3章 万人を蝕(むしば)む見えざる病気
■第2部 私たちは何を学びつつあるのか(現在)
第4章 あなたの長寿遺伝子を今すぐ働かせる方法
第5章 老化を治療する薬
第6章 若く健康な未来への躍進
第7章 医療におけるイノベーション
■第3部 私たちはどこへ行くのか(未来)

第8章 未来の世界はこうなる

第9章 私たちが築くべき未来
おわりに――世界を変える勇気をもとう

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『LIFESPAN(ライフスパン)―老いなき世界』

デビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント/著、梶山あゆみ/訳 東洋経済新報社 2020年発行

第8章 未来の世界はこうなる より

一番重要なこと――長い人生がもたらす人間らしさ

1970年代の始め、2人の心理学者が「善きサマリア人のたとえ」を検証してみることにした。
ご存知の通り、これは聖書のなかでイエスが語るたとえ話である。追いはぎに襲われて傷を負わされた人が道で苦しんでいたとき、聖職者たちは見て見ぬふりをしたのに対し、異邦人であるサマリア人だけが助けてやったというものだ。日頃このたとえ話を胸に刻んでいる者なら、困っている人を見たときも通り過ぎずに親切にするに違いない。心理学者たちはそう考えた。そこで若い役者を1人雇い、プリンストン神学校グリーンホール別館の玄関脇にある小道に連れていった。そこで、体を折り曲げて咳き込ませ、苦しむ芝居をさせることにする。

心理学者たちはまた、別館でスピーチをしてもらうという名目で40人の神学生を募った。学生たちはまず、キャンバス内のとある建物に向かうように告げられる。そこでアンケート調査に答えたあと、1人1人が次の3つのうち1つの指示を受ける。1つめは、まだ時間が十分あるので慌てず別館に向かえばいいというもの。2つめは、今すぐ出ればちょうど間に合うというもの。そして3つめは、遅れそうなので急いだ方がいいというものだ。

「急ぐ度合いの大きい」グループでは、立ち止まって病人を助けたのが10%しかいなかった。改めていっておくが彼らは神学生である。それなのに困っている同胞を見捨てたのだ。1人などは、苦しむ病人の上をわざわざまたいだほどである。

一方、「急ぐ度合いの小さい」グループのほうは、60%あまりが足を止めて救いの手を差し伸べた。

つまり、この実験で違いを生んだ要因は、個人の道徳心でもなければ宗教に関する学識でもない。急がなくてはいけないと感じているか否かだけだったのだ。

もちろん、この発見自体が目新しいわけではない。イエスが最初に「善きサマリア人の話をしたのと同じ時代には、古代ローマの哲学者セネカが、どんなに忙しくても足を止めてバラの香りを嗅ぐ余裕をもてと自らの信奉者たちを諭していた。こう記している。「過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる者には、人生は短く、不安に満ちている」

人生の素晴らしさを味わえぬ者にとって、時間は「非常に安価なものとみなされている……それどころか何の価値もないとされている」。セネカはそうも嘆いている。「こうした人々は、時間がどれだけ貴重かわかっていないのだ」

健康寿命が延びたときに社会がどんな恩恵を受けるかを考えるとき、この側面が注目されることはほとんどないかもしれない。しかし、これこそが最も大きなメリットとなる可能性を秘めている。時間が刻々と過ぎていくのがそれほど怖くなくなれば、ことによると私たちは急ぐのをやめ、深呼吸をするようになるのではないか。私たちは目先のことに動じないサマリア人になれるのではないか。

ここでは「ことによると」を強調しておきたい。今述べたことは科学という仮定であると、誰よりも自分がわかっているからだ。しかし、サンプル数の少ないこのプリンストン神学校の実験だけでなく、その前にもあとにも様々な研究がなされていて、どれも同じ結論に達している。

つまり、時間があるとき、人間は格段に人間らしくなるということだ。

ただ、こうした実験では、数分ないし数時間の余裕があった場合の人間のふるまいを調べているにすぎない。

では、数年の猶予があったらどうなるだろうか。数十年だったら? 数百年だったら?

200年や300年余分にあったところで、誰1人行動を変えない可能性もある。所詮、宇宙という壮大な枠組みのなかでは300年など物の数ではない。私の最初の50年は瞬(またた)きするまに過ぎていった。もしかしたら、1000年といえどもたかだか瞬き20回分で、短いように感じられるかもしれない。
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今、どんな決断を下すかによって、私たちのつくり上げる未来がどちらになるかが決まる。この決断は重要だ。気候変動、経済変動、経済に深刻な負荷をかける様々な問題、この先予想される社会の激変。こうした要因によって世界が危機を迎えるのを回避するのは、病気や、体の不自由を防ぐことこそが何にも増して大きな効果をもつ。失敗は許されない。
人類の歴史が始まって以来、これほど重大な選択はないのだから。