じじぃの「カオス・地球_303_白人がマイノリティになる日・第5章・移民・焦点はムスリム」

イスラム国】欧州CLにテロ予告…五輪控えパリで厳重警備

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Zdgj1n8gwpU

パリでイスラム嫌悪に抗議するデモ行進に参加する人々


なぜフランス文化とイスラム文化は風刺画を巡って争うのか 触れてはならない「文化的逆鱗」

2020/11/7 Yahoo!ニュース
 中東の各地で、フランスのマクロン大統領への抗議が広がっているようです。
預言者の風刺画を擁護する姿勢に反発しているもので、一部のアラブ諸国ではフランス製品の不買運動などにもつながっているようです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/494ac76ef08a3200d47929b20fb8acbff7244c46

WHITESHIFT――白人がマイノリティになる日

【目次】
第1章………白人がマイノリティになる世界―ホワイトシフト
■第1部・闘争
第2章………ホワイトシフト前章アメリカ史におけるWASPから白人への転換
第3章………トランプの台頭―移民時代の民族伝統主義的ナショナリズム
第4章………英国― 英国保護区の崩壊

第5章………欧州における右派ポピュリズムの台頭

第6章………カナダ特殊論― アングロスフィアにおける右派ポピュリズム
■第2部・抑圧
第7章………左派モダニズム―一九世紀のボヘミアンから大学闘争まで
第8章………左派モダニズムと右派ポピュリストの戦い
■第3部・逃亡
第9章………避難― 白人マジョリティの地理的・社会的退却
■第4部・参加
第10章………サラダボウルか坩堝か? ―欧米における異人種間結婚
第11章……白人マジョリティの未来
第12章……「非混血の」白人は絶滅するのか?
第13章……ホワイトシフトのナビゲーション―包摂的な国の包摂的なマジョリティへ

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『WHITESHIFT――白人がマイノリティになる日』

エリック・カウフマン/著、臼井美子/訳 亜紀書房 2023年発行

白人マジョリティが徐々に、白人の伝統的文化を身につけた混血人種のマジョリティへと変容していくモデル。
英国では2100年代に混血の人々がマジョリティになると著者カウフマンは予見する。

第5章………欧州における右派ポピュリズムの台頭 より

移民の増大

地中海の北岸と南岸との経済および人口動態的な格差は、東欧と西欧との格差よりはるかに大きい。そのため、アフリカから欧州への永住希望者が桁外れに多いのは当然のことだ。
アメリカの例で説明しよう。ある人々は、門戸を開放しても結局仕事を求める季節移動者をもたらすだけで、彼らがアメリカに永住することはないと主張するが、それはアメリカ側から見た事実に基づいてそう言っているだけである。1920年代以前のメキシコ人労働者の多くが季節労働をしたあと帰国したのは事実だが、それは労働者のほとんどが男性だったことが主な理由である。1910年以降、メキシコ人移民に同行する女性が増えるにつれて男性比率は低下し、1930年までに女性1人に対しそれまでの男性1、8人から男性1.3人へと減少した。多くの人が永住するようになり、それによって、より多くの人がアメリカに容易に到来するようになっていった。季節労働者プログラムによって、不法移民は抑制されるどころか、実際に増加していった。これに対してアメリカは、1930年代初頭、および1940年代後半から1950年代初頭にかけて大規模強制送還をおこなった(ウェットバック作戦)。この期間と1965年以降の不法移民の時代の唯一の真の違いは、移民追放に対する政治的意志が低下したことである。また、皮肉なことに、循環型移住を主張する人々は、多くの場合、ゲストワーカー計画よりも永住を好む人々と同じ人々である。

メルケルの「ドイツの寛容に限りはない」という声明のあと、「エコノミスト」誌のようなリベラルなメディアは「勇敢で決断力に富み、正しい」と「勇敢なメルケル」を賞賛した。リベラルな批評家の多くは、オーストリアの「ストップ・ザ・ボード」政策を批判した。だが、この作戦は難民申請者の制御不能な流れに終止符を打ち、結果的に多くの命を救った。2011年から2013年の間に、オーストラリアに向かう移民を運ぶボートの数は、4500から2万へと増加していた。だがこの政策によってナウル諸島とパプアニューギニアに難民収容施設が設置されると、移民船の数はゼロになった。難民申請者は、これらの場所から申請しなければならなかったからである。非常に道徳的な説得力のある言葉にもかかわらず、ドイツは結局、まさにオーストラリアのような場所となった。つまり、EUはトルコやリビアと協定を結び、多額の金と引き換えに、域外での申請手続きのためにこれらの国々に難民申請者を送還することにしたのである。

これは大勢から避難を浴びたが、問題の核心は、世界が不平等な場所だということだ。富裕国への大規模な移民がおこなわれない唯一の理由は、金銭的障壁と移民規制である。時には、難民危機によって富裕国への入国管理に隙間ができ、難民キャンプに暮らす比較的裕福な人々や、リスクを冒してもよいと考えている人々に、富裕国に入るチャンスが与えられることもある。この結果、難民申請者が殺到する。このようなチャンスはめったにないし、長く続くものではないため、これは移民にとってまったく理にかなった行動である。欧州海域に入れば移民できるという望みがある限り、難民申請者は増加し、死者も増えていく。受け入れられる人が増え、強制送還される人が少なくなれば、多くの人が続々とやって来るはずだ。

焦点はムスリム

難民危機によって、ムスリム移民に世間の注目が集まった。そんな2015年の大みそか、何百人もの女性がドイツのケルンで性的暴行を受けた。ドイツの都市全体では、その数は合計1200人にものぼった。加害者の多くは移民だと報告された。当局のぎこちない沈黙が続いた後、明らかになった事実はメディアの嵐を巻き起こした。一方、フランスでは、相次ぐテロ事件によって不安になりやすくなった人々の心のなかで、移民はテロと結びついていった。まず、2015年1月にはシャルリー・エブド襲撃事件が起こった。2人のムスリムの兄弟サイード・クアシとシュリフ・クアンが、以前よりイスラム教を含む宗教を揶揄する風刺画を掲載していたフランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」の本社に押し入り、銃を乱射した事件である。2人は「アッラーは偉大なり」と叫びながら銃を乱射した。12人が死亡して11人が負傷、うち4人は重症を負った。その後、難民危機のさなかの2015年11月には、パリ同時多発テロ事件が勃発した。130人が死亡し、413人が負傷、うち100人が重傷を負った。最悪の虐殺はバタクラン劇場で起こった。銃をもった男たちが混雑したイーグルス・オブ・デス・メタルのコンサート会場に入り、無差別に銃を乱射したのである。最終的に、死亡した若者は89人にのぼった。

テロ攻撃は人々に影響を与えるが、欧州の人々にはその影響は身近なもののように見える。事件が起こるとすぐ、進歩主義者たちは、結束と、ムスリムへの人種差別的な攻撃を避ける必要性を強調する。保守的な人々は結集し、ムスリム移民は国にとっての脅威だと注意を呼びかける。攻撃に対する反応は受け手のグループによって違う。シャルリー・エブド襲撃事件の前後のESSデータに基づくある論文では、リベラルな人々はテロ攻撃のあとの方がムスリムに好意的になったことが示されている。特定のイデオロギーをもたない人々の間では不安が高まるが、その後何事もなく時間が経過すれば、不安は消えていく傾向にある。
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西欧で最も成功した右派ポピュリスト政党のFNとFPOは、強硬な反移民の主張と、リベラルで物質的な豊かさを約束する提案を苦労して組み合わせた。それによって従来の支持基盤以外の新たな種類の有権者の心を動かすことができるからである。こうして、年配の有権者に大いに依存するUKIP(英国独立党)やAfD(極右政党、ドイツのための選択肢)などの比較的新しい右派ポピュリスト政党と比べ、彼らの支持層はかなり幅広いものになっている。