じじぃの「カオス・地球_296_日本がウクライナになる日・第4章・ウクライナ侵攻による審判」

プーチン大統領 自信を表明 ロシア経済崩壊「現実とならない」【モーサテ】(2023年5月25日)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0P4PTfyAvrU


ロシアの信用不安が急拡大 国際決済網排除の制裁影響 ルーブルは暴落

2022/3/1 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/o/883769/

『日本がウクライナになる日』

河東哲夫/著 CCCメディアハウス 2022年発行

プロパガンダにだまされるな。「プーチン=悪、ゼレンスキー=善」という単純な見方でウクライナ危機の深層は分かりません。外交官・作家としてソ連・ロシア観察50年の実感から書いた、歴史・軍事・地政学に基づくロシア・ウクライナ関係の多角的分析。

第4章 ロシアは頭じゃわからない――改革不能の経済と社会 より

自由・民主主義は混乱への道

1991年ソ連崩壊後後の30年間、モスクワの雰囲気はめまぐるしい変わってきた。当初、何でも統制の社会のタガが外れて、何でもありの混沌・混乱状態となったのが、原油価格上昇のおかげで次第に落ち着き、街は西側に近いしゃれた感じになっていく。「幸せになったソ連」。僕は当時のロシアをそう形容したものだ。

なぜソ連かと言うと、消費生活は見違えるほど良くなったが、統制の方はまた見違えるほど復活してきたからだ。話は少し戻るが、その過程を述べてみたい。
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このようなプーチノミクスは目覚ましい成果を上げた……ように見えた。

エリツィンから政権を引き継いだ2000年は、まだソ連崩壊と1998年のデフォルトの傷跡が生々しく、既に言ったように給料遅配、企業間の現物決済=物々交換は収まっていなかった。2000年のGDPはわずか2600億ドル程度しかなかったのである。ところがリーマン・ショック前の2007年にはGDPは1兆3000億ドル、つまり7年で5倍になり、まさに中国を上回る世界史上の一大奇蹟(手品)を成し遂げる。平均賃金も2000年から2013年の間に5倍になり、プーチンの支持率を高止まりさせる。

消費生活は、別天地であるかのように良くなった。きらびやかで広大なショッピング・センターから、都心・鴎外のそこそこに点在する市場、小型のスーパーまで。所得水準に応じて何でも買える。スマホでタクシーを呼べば数分でやってくる。地図検索もネットでできるから、会合の場所にもすぐたどりつける。電子書籍も普及したし、寿司さえも24時間のデリバリー・サービスがある時代。

だが、国民は知っていた。これが脆い繁栄であることを。僕はある時、タクシーの運転手に聞いてみた。「プーチン大統領、すごいね。あんた、収入何倍にもなっただろう」と。すると運転手は前を向いたまま、こともなげに答える。
「まあね。でも石油の値段がこんなに上がれば、誰だってこんなことできるさ」

ウクライナ侵攻による審判――「ここでもやっていけるはず」だったのに

今、プーチンは正念場にある。「プーチンの繁栄」を支えてきた柱を自ら崩したからだ。2014年3月のクリミア併合は、西側の経済制裁を呼び、それもあってロシア人の可処分所得は5年以上、概ね右肩下がりとなった。経済は停滞し、社会も停滞する。

ロシアの若者は、20年前には企業をめざす者が多かったが、その頃にはビジネス・スクールの学生でさえ大多数の者が「給料が高くてあまり働かなくてもよい」国営企業への就職を希望する状況となっていた。

モスクワを歩いていると悪いことも目についた。ソ連時代からのインフラや建物のメンテナンスが悪く、ソ連崩壊後のがさがさして貧しい感じが残っている。そしてヨーロッパ風の瀟洒(しょうしゃ)な店で買い物をしている連中とそこで警備員をしているような人たちの間の格差ががひどい。

今度のウクライナ侵攻に対する西側の制裁は本格的で、ロシアの富の根幹である原油天然ガスの価値を奪い、ルーブルを大きく減価させただけでなく、ドルでの取り引きを禁じることで、ロシアを世界経済からほぼ切り離した。

プーチンはロシアの経済回復という自分の(石油価格の)功績を濫用し過ぎて西側の決定的反発を招き、ロシア社会をも敵に回す瀬戸際にある。

毎年ロシアのビジネス・スクールで教えていた頃、25名ほどの学生の中には必ず3名くらい、ロシアの経済を変えたい、意味のある人生を送りたいと思っている者がいた。
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そんなエリートでなくても、健全なビジネス・マインドがずいぶん新党してきたなと思う時があった。2015年3月、僕はモスクワでタクシーに乗った。運転手は50がらみの実直そうな風采のあがらない男。

「俺、事業やってたんだ。ゴミからポリプロピレンを再生する事業で、共同経営者の1人。40人雇ってた。いい事業で、環境にやさしいんだ。でも工場が火事で駄目になった。銀行融資? 借りてたら、(金利が高すぎて)すぐ駄目になっただろうよ。税金は透明だった。パソコンで納税できるようになったしな。ものづくりは、ロシア人の夢なんだ。石油を掘って、売った代金で何かを輸入して売って稼ぐ。こんなんでやっていけないことは、子供でもわかる。あんたここの大学で教えてるって? 学生は外国に出たがってるかい? そうでもない? そうだろう。ここでもやっていけることがわかってきたんだ」

……「ここでもやっていける」、これは本当に希望を与えてくれる言葉だった。でも、ウクライナ侵略はすべてを元の木阿弥にした。プーチンはロシアの未来を破壊した。