じじぃの「科学・地球_312_新しい世界の資源地図・ロシア・クリミアの併合」

A History Of Crimea In Five Minutes

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DSyoJYchO4Y

Russia deploys advanced air defence system to Crimea

13 Aug 2016  Al Jazeera
Russia says it has deployed long-range S-400 missile systems in Crimea amid heightened tensions with Ukraine.
https://www.aljazeera.com/news/2016/8/13/russia-deploys-advanced-air-defence-system-to-crimea

新しい世界の資源地図――エネルギー・気候変動・国家の衝突

ヤーギン,ダニエル【著】〈Yergin Daniel〉/黒輪 篤嗣【訳】
地政学とエネルギー分野の劇的な変化によって、どのような新しい世界地図が形作られようとしているのか?
エネルギー問題の世界的権威で、ピューリッツァー賞受賞者の著者が、エネルギー革命と気候変動との闘い、ダイナミックに変化し続ける地図を読み解く衝撃の書。
目次
第1部 米国の新しい地図

第2部 ロシアの地図

第3部 中国の地図
第4部 中東の地図
第5部 自動車の地図
第6部 気候の地図

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『新しい世界の資源地図――エネルギー・気候変動・国家の衝突』

ダニエル・ヤーギン/著、黒輪篤嗣/訳 東洋経済新報社 2022年発行

序論 より

本書では、この新しい地図を読み解いていきたい。世界における米国の地位はシェール革命でどう変わったか。米国vsロシア・中国の新冷戦はどのように、どういう原因で発生しようとしているか。新冷戦にエネルギーはどういう役割を果たすのか。米中の全般的な関係は今後、どれくらい急速に(どれくらいの危険をはらんで)「関与」から「戦略的競争」へ推移し、冷戦の勃発と言える様相を帯び始めるか。いまだに世界の石油の3分の1と、かなりの割合の天然ガスを供給している中東の土台はどれくらい不安定になっているか。1世紀以上にわたって続き、すっかり当たり前になっている石油と自動車の生態系が今、新たな移動革命によってどのような脅威にされされているか。気候変動への懸念によってエネルギー地図がどのように描き直されているか、また、長年議論されてきた化石燃料から再生可能エネルギーへの「エネルギー転換」が実際にどのように成し遂げられるか。そして、新型コロナウイルスによってエネルギー市場や、世界の石油を現在支配しているビッグスリー(米国、サウジアラビア、ロシア)の役割はどう変わるのか。
第1部「米国の新しい地図」では、突如として起こったシェール革命の経緯を振り返る。シェール革命は世界のエネルギー市場を激変させ、世界の地政学を塗り替え、米国の立ち位置を変えた。シェールオイルシェールガスが、21世紀の現在まで最大のエネルギーイノベーションであると言える。
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第2部「ロシアの地図」では、エネルギーフローの相互作用や地政学的なせめぎ合い、さらには30年前のソビエト連邦崩壊と、ロシアを再び大国にしたいというウラジーミル・プーチンの宿願のせいで、なかなか決着しない国境問題から生じる火種について論じる。ロシアは「エネルギー大国」だが、経済面で石油と天然ガスの輸出に大きく依存している。ソ連ソビエト社会主義共和国連邦)時代同様、現在も、それらの輸出がもたらしうる欧州への政治的な影響力については、激しい論争が巻き起こっている。ただし、欧州や世界の天然ガス市場で起こった変化によって、そのような潜在的な影響力は消し去られている。

第2部 ロシアの地図 より

第12章 ウクライナと新たな制裁

ロシア政府に言わせると、ウクライナはロシアの一部であり、そのつながりはキエフ大公国時代や、1654年のモスクワ大公国ツァーリへの忠誠まで遡ることができた。プーチンはこのロシアの考えを次のように要約している。「ウクライナは国ですらない。ウクライナとは何か。領土の一部は東欧にかかっているが、大部分は我々からの贈り物だ」。内戦時の白ロシアの指揮官の言葉を引用して、次のようにも述べた。「大ロシアと、小ロシア、つまりウクライナがある。[……]我々の関係については誰にも口出しさせない。これはどこまでもロシア自身の問題だ」。
ウクライナでは経済が混乱し、汚職が横行していた。ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領自身が汚職の親玉という有様だった。2005年の大統領選挙で敗れたこの元ボクサーは、その後、政治のリングに戻ってくると、2010年のカムバックマッチで勝利し、大統領に返り咲いていた。
2013年、ヤヌコーヴィチがEUとの準加盟の協定にいよいよ調印しようとするときになって、ロシアはこの準加盟によってウクライナがユーラシア経済連合から締め出されることに急に気付いた。ロシア政府は提示金額を引き上げるとともに、圧力を強めて、ウクライナに「二者択一」を突き付けた。ヤヌコーヴィチは結局、EUとの協定の締結を撤回し、その見返りにロシア政府から150億ドルの融資を獲得した。
これに噴ったのが、ウクライナの国民だった。2013年末、およそ50万人がキエフの独立広場に集結して、EUとの協定や、汚職の蔓延、ロシアの影響力に抗議した。
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このようなことが起こっているときに、ロシア南部にある雪深い山間部で204年の冬季オリンピックが開催された。このオリンピックはロシアにとって、ソ連の崩壊という、どん底から這い上がってきたことを祝う盛大な祭典だった。主役を演じたのは、ウラジーミル・プーチンだ。開会式では華やかな音楽でロシアの歴史が振り返られた。習近平をはじめ、数多くの首脳も参列していた。ただし、バラク・オバマは欠席した。エドワード・スノーデンがロシア政府の客人となったり、同性愛に関するロシアの新しい法律をオバマ政権が避難したりしている状況では、出席できなかった。代わりに、オバマ政権の元閣僚で当時はカリフォルニア大学の学長に就任していたジャネット・ナポリターノが米国の代表として出席した。
このオリンピックの賑やかなお祭りムードの最中、どこかの時点で、ロシア政府――きっとプーチンとその側近――がある決断を下した。それから間もなく、おそらく事前の有事計画にしたがって、のちに「リトル・グリーン・メン」と呼ばれるようになる非正規部隊がクリミア(黒海に突き出たウクライナ国内の大きな半島)に姿を現した。非正規部隊の派遣は「迫害」されているクリミアのロシア人を保護するためだという宣言が出され、半島はロシアの支配下に置かれた。
夏季に亜熱帯性の心地よい天気に恵まれるクリミアでは、古くはツァーリや貴族のあいだで、その後は共産党の指導者や大勢のソ連の一般市民のあいだで、人気の高い夏の保養地だった。1954年、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフがこのクリミアをウクライナソビエト社会主義共和国に「譲渡」した。表向きには、コサックがモスクワ大公国に忠誠を誓い、(ロシア側の言い分では)ウクライナがロシアに併合された1654年のペレヤスラフ協定の300周年を記念してたものだった。しかしフルシチョフには、前年のスターリンの死後に始まった権力闘争で、ウクライナ共産党からの支援を確実にしたいという思惑があった。
もちろん、ソ連時代にはこのクリミアの譲渡は特に問題にならなかった。しかしウクライナとロシアが別々の国になってからは、大きな問題になった。郷愁とか、行楽とかが理由ではない。クリミア半島の都市セバストポリには、ロシア海軍にとって唯一となる温暖な水域の港があり、ロシア海軍はその港をウクライナから借りていた。
2014年3月半ば、ロシア政府によってクリミアで実施された住民投票で、96%の住民がロシアの編入に賛成表を投じた。翌日、プーチンはクリミアとロシアの「再統一」を発表した。驚いた米国とEUは、確定している欧州の国境を覆す行為としてこれを非難し、制裁を発動した。

ウクライナの国民はこの併合に激しく反発した。1994年のブダペスト覚書で、ウクライナ核兵器の放棄と引き換えに、領土の保全を確約されていた。

ところがロシア政府は、ウクライナの「合法的」政権が西側の企てた「クーデター」で転覆されたことにより、ブダペスト覚書は無効になったと主張した。
その後、分離派と非正規部隊、それに「休暇中」ロシア兵が、ウクライナ南東部のドンバスで軍事作戦を始めた。ドンバスはウクライナの産業の中心地であり、軍事産業などでロシア経済との結び付きが強い地域だった。親ロシアの分離派はそのほかにも複数の都市を制圧した。この動乱がやがてロシア軍の支援と介入を受けて、軍事衝突へと発展した。
2014年7月16日、米国はロシアの金融、防衛、エネルギー部門にさらなる制裁を科した。経済的にもっと直接的な影響を受ける欧州がこれに同調するかどうかは定かではなかった。しかしその翌日、世界を震撼させる出来事が起こった。ウクライナ東部を飛行していたマレーシアの旅客機が、分離派によってロシア製の地対空ミサイルで撃墜されたのだ。分離派は旅客機をウクライナ軍機と認識したらしかった。乗っていた298人全員が死亡し、そのうち3分の2がオランダ人だった。欧州は新たな制裁に加わった。オバマ政権の財務長官ジェイコブ・ルーの言葉を借りれば、軍事力に代わって制裁が「ロシアによるウクライナ侵攻への国際的な対応の中核」になった。
紛争は長引き、いまだに終結していない。死者数はこれまでに少なくとも1万4000人にのぼる。米国とロシア、ロシアと西側の亀裂は深まり続けている。