じじぃの「カオス・地球_294_日本がウクライナになる日・第3章・真珠湾攻撃?」

ミンスク議定書の後に出た覚書によって設置された緩衝地帯の地図


ドネツク民共和国、ルガンスク人民共和国の実体とは? なぜ樹立したのか?

2022年9月21日 Sputnik 日本

2014 年9月- 紛争解決のため、ロシア、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ウクライナの代表からなるコンタクトグループが結成され、和平調停と停戦計画(ミンスク合意)に合意した。ミンスク合意を国連安全保障理事会は決議を採択し、承認。
合意の重要項目とは、ウクライナに対する地方分権改革の実施要求で、これにはドンバスへの特別な地位の付与に関する法律の採択も含まれていた。紛争解決プロセスは、ウクライナミンスク合意の政治的部分の履行を拒否したため、事実上行き詰まった。交渉はポロシェンコ政権時(2014~2019年)も、2019年からのゼレンスキー政権でも、ウクライナ側によって人為的に引き延ばされた。
https://sputniknews.jp/20220921/13022899.html

『日本がウクライナになる日』

河東哲夫/著 CCCメディアハウス 2022年発行

プロパガンダにだまされるな。「プーチン=悪、ゼレンスキー=善」という単純な見方でウクライナ危機の深層は分かりません。外交官・作家としてソ連・ロシア観察50年の実感から書いた、歴史・軍事・地政学に基づくロシア・ウクライナ関係の多角的分析。

第3章 プーチンの決断――なぜウクライナを襲ったのか より

日本にとっての満州は、プーチンにとっての東ウクライナ

戦争でやり過ぎると、後でろくなことにならない。日露戦争南満州の利権を手に入れた日本は。それを守るために満州国設立にまで突き進み、アメリカから石油禁輸の制裁を食らう。その結果、「今やらなければじり貧だ」ということで、真珠湾を襲ったのだ。

この構図、ロシアによるクリミア併合以後の展開とよく似ている。どういうことなのかと言うと……。
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2019年8月、ベルリンのCenter for East European and International Studies (ZOiS)が、ドネツ、ルガンスク両州住民の意識を電話で調査した。キエフ政府が支配する地域と親露派が支配する地域で1200名ずつに対して行なった。すると、キエフ政府が支配する地域でさえ、自分たちをウクライナ人だと意識する者は26.1%のみで、2016年の53.2%からは大きく後退していた。キエフ支配地区の住民は全般に生活に疲れていて、ウクライナでもロシアでもどっちでもいい、という感じ。一方で、親露派が支配する地域では、ロシアへの併合を望むものは18.3%しかいなかった。2016年の11.4%よりは増えてはいるものの、ロシアへの可否についての住民投票が公平に行われれば、親露派側は結局負けるのである。

だからクリミアとは違って、ドネツ、ルガンスクは、ロシアにとって満州のような存在となる。

「今やらねば、じり損」――追い込まれたプーチン真珠湾攻撃

2014年以後、いろいろなことがあった。大事なのは、親露勢力が支配する東ウクライナ(の5分の1程度)では、「住民の生活は良くなっていないし、親露勢力は汚い利権・権力争いに終始して、行政能力は皆無であるということだ。はね上がってウクライナ政府支配地域に攻勢をかけたりする者もおり、ドネツ、ルガンスクの指導者の何名かはモスクワによって「除去」されている。暗殺されたり、急死したりしているのだ。

ウクライナをめぐっては、ウクライナ政府軍・極右勢力と、親露勢力の間の押し合いの過程で、何度かの停戦合意が結ばれている。この8年間はミンスク合意」が基本文書として掲げられてきた。

ミンスク合意」は2014年の9月と2015年の2月の2回結ばれている。前者はウクライナ、ロシア、「ドネツク民共和国」、「ルガンスク人民共和国」が署名し、後者はフランスとドイツが仲介してウクライナとロシアが署名している。

ミンスク合意」の基本は、ウクライナ政府がドネツ、ルガンスク両州に高度の自治権を与えたうえで選挙を行うこと、そうすれば「違法な武装集団及び軍事装備、並びに兵士及び雇兵はウクライナの領域から撤退する」ことを定めたもの。一見良さそうに見える。しかし、ウクライナ極右はこれではドネツとルガンスクの分離独立を実質的に認めることとして抵抗を続けている。

ゼレンスキーは、2019年大統領就任直後は、ミンスク合意」の線で事態を収拾しようと考えたようだ。が、結局ミンスク合意」の改正を求める強硬路線に転じてしまった。
ウクライナ軍は2014年には10万人強しかいなかったのが、今では20万人いることになっている。アメリカやヨーロッパのNATO諸国からは、ジャヴェリンやスティンガーのような小回りのきく兵器を手に入れた。トルコ製のドローンも買った。西部のポーランド国境に近い基地では、アメリカやイギリスの将校がウクライナの将校に「近代戦のやり方」の郷愁・訓練も進めている。
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一方その半年前の2021年3月、ゼレンスキーはウクライナでは「プーチン代理人」格にあたる政治家メドヴェドチェク弾圧に乗り出していた。5月には国家反逆罪で彼を自宅拘束してしまう。

メドヴェドチェクは、プーチンに自分の娘の名付け親にもなってもらった男で、野党「生活のために」を率いて、次期総選挙では政権を取る勢いにあった人物。この頃、ロシアはウクライナとの国境方面に軍を集結し始める。アメリカのバイデン大統領はこれをなだめるために、6月、ジュネーブで首脳会談を開いたのだ。

それでも翌7月、プーチンは前記した論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的同一性について」を発表した。当時、世界中の専門家たちは、「プーチン、何を言ってるんだ? コロナでおかしくなったか」ということで取り合わなかった。しかし、今思えばこれはプーチンの宣戦の雄たけびだったというのは先にも述べた通りだ。

「今やれば(攻撃すれば)、何とかなる。やらねば、(ロシアは)じり貧」という、プーチン真珠湾攻撃。戦前の日本と同じく、じり貧どころか、ドカ貧になってしまうかもしれないのだが。

プーチンは言う。「ウクライナの極右『ナチ』が、ロシアに歯向かうからいけないのだ」と。それは事実。しかしそういう勢力が台頭したのは、ロシアがウクライナEU加盟を止めたばかりか、2014年にはクリミア、東ウクライナを武力で制圧したからだ。