Far-right AfD expects significant gains in upcoming Bavarian election | DW News
ドイツ総選挙投開票 (2021年9月26日)
ドイツ総選挙26日投開票 メルケル首相の後任注目、決定遅れる可能性も
2021年9月24日 東京新聞
4期16年にわたってドイツのかじ取りをしたメルケル首相の後任が焦点となる総選挙は、226日に投開票される。
世論調査では、連立政権の一角を担う中道左派の社会民主党(SPD)が16年ぶりの第1党をうかがい、中道右派の与党第1党キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が僅差で続く展開。改選後も連立政権となる見通しだが、連立協議の複雑化で次期首相の決定が遅れる可能性もある。
2017年の前回選はCDU・CSUが得票率32.9%で第1党、SPDが20.5%で続いた。3番手は、初の総選挙となった排外主義的な右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」(12.6%)だった。連立協議は難航し、CDU・CSUとSPDの大連立合意まで5ヵ月かかった。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/132902
6 連邦共和国と民主共和国
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『一冊でわかるドイツ史』
関眞興/著 河出書房新社 2019年発行
ドイツとはどういう国か。その歴史を図やイラストを使いながらわかりやすく、ていねいに描く。コラム「そのころ、日本では?」「知れば知るほどおもしろいドイツの偉人」も役に立つ。
6 連邦共和国と民主共和国 より
統一は簡単じゃない
壁の崩壊後、東ドイツのクレンツ書記長と西ドイツのヘルムート・コール首相は将来のドイツのあり方について話し合いました。経済の不振だけでなく、ソ連の混乱などから、いずれ東ドイツの体制が崩壊することは誰もが予想していましたが、実際に東西ドイツを統一するとなると、簡単ではありません。
しかし、政府に不満を持っていた東ドイツ国民は、すぐにでも統一されることを期待し、西ドイツへと流入しました。
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1990年5月、東西ドイツとアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の6ヵ国の外相会議が開催され、東西ドイツの統合を4ヵ国が承認します。さらに、統一されたドイツのポーランドとの国境が決まりました。EC諸国とドイツの今後の関係が話し合われ、8月31日、ドイツ統一条約が結ばれました。
そして10月3日、西ドイツ基本法23条に基づき、東ドイツの各州が西ドイツに加入する形式がとられました。こうして、東西ドイツは統合されたのです。
コールによる統一
長年の悲願であった統一を実現させたドイツでしたが、多くの問題が残されていました。東西の経済格差が大きすぎたため、旧東ドイツから旧西ドイツへの人々の移動が増えて収拾がつかなくなります。
また旧東ドイツは、格差が解消されないため不満を募らせました。その不満は選挙結果に表れます。東ドイツ時代の社会主義統一党が名前を改めて成立した民主社会党に、旧東ドイツ側の人々の不満が集まり、同党の議員を連邦議会に送り込みました。
統一を果たしたコールの長期政権は、キリスト教民主同盟と自由民主党の連立でした。しかし、統一後しばらくすると状況が変わってきます。緑の党の得票数が自由民党を上回るようになってきたのです。1998年に社会民主党のシュレーダーが首相となったときは、社会民主党と緑の党が連立を組みました。
シュレーダーは首相となった翌年、コソボ紛争にドイツ紛争にドイツ軍を送り込みます。戦後始めて戦争に参加することになり、ドイツ国内では激しい議論が行われました。
また、2001年にアメリカの同時多発テロ事件が起こると、「アメリカとの無制限の連帯」を表明。アメリカが主導するアフガニスタンでの対テロ掃討(そうとう)作戦にドイツ軍も参加しました。ドイツが軍を派遣することについては、国外からかつてのドイツを連想して問題視する声も一部あります。
鉄の女の政権運営
1994年に成立した第5次コール内閣で、ある女性が環境・自然保護・原発保安担当大臣に就任します。
その女性――アングラ・メルケルは、もとは旧東ドイツの物理学者で、ドイツ統一後の1990年にキリスト教民主同盟から出馬して当選。第4次コール内閣で女性・青少年問題相に抜擢され、頭角(とうかく)を現しました。
2005年の選挙でキリスト教民主同盟が勝利して、メルケルはドイツ初の女性首相となります。メルケルは高い支持率のもとで政権を運営し、順調なスタートを切りました。以後、ドイツが直面するさまざまな問題に果敢(かかん)に立ち向かい、10年以上も続く長期政権を築きます。
2008年にはドイツの首相として初めてイスラエルを訪問。外国の首相として初めてイスラエル国会で演説を行います。メルケルはそこで、ナチスの行為に対するドイツ人としての反省とユダヤ人への言葉を述べたのです。ドイツ外交にとっては大きなできごとでした。
2009年の選挙では、中道保守の自由民主党と連立。この第2次内閣の任期中にギリシャ財政破綻問題(ソブリン危機)が起こり、ギリシャへ多額の財政支援を行うことを決めたため、メルケルの支持率は低下しました。
2011年、日本の大震災で福島第一原発の事故が起こると、ドイツ国内では反原発を掲げる緑の党が躍進します。世論が反原発にかたむくのを見たメルケルは、すぐさま国内の原発を廃止する方針に切り替えました。
それで、次はどうする?
2013年の選挙で連立相手の自由民主党が大敗したため、メルケルは社会民主党と連立を組みます。そして2015年、難民100万人の受け入れを表明しました。
表明直後から国内の右翼が大反発し、極右政党ドイツのための選択肢」の台頭などの新しい問題を引き起こします。そのことも影響し、2017年の選挙ではキリスト教民主同盟は議席を減らしました。
じつはドイツでは、単に難民だけではなく、旧東ドイツを中心にした困窮するドイツ人のような格差が問題となっているのです。
2018年、メルケルは3年後に政界を引退すると発表しました。次にドイツの首相となる人物が、メルケルの政策を引き継ぐのか、それとも大きく変えるのか、世界が注目しています。問題はまだ残されているものの、統一後の30年でドイツは完全に復活したのです。
ところで、名目GDPで日本につぐ世界第4位の経済大国であり、EUの盟主とも目(もく)されている現在のドイツを、第4帝国という人がいます。神聖ローマ帝国の第1帝国、ビスマルクの帝政ドイツの第2帝国、ナチスの第3帝国に続くものだというのです。ドイツの経済力の巨大さを揶揄(やゆ)する言葉ですが、ドイツ国内には、それを喜んでいる人々はいるかもしれません。
――ここまで2000年にわたるドイツの歴史を紹介してきました。森と川しかなかった土地をゲルマン人が開拓して国をつくり、ナポレオンに敗れ、2つの世界大戦で大敗し、国の体制が何度も激変するなど、ドイツの歴史は苦難の連続です。
しかし、その苦難を乗り越えて、今のドイツの繁栄があります。困難に負けないドイツ人の強靭(きょうじん)な精神は、「不屈のゲルマン魂」と呼ばれます。不屈のゲルマン魂が何たるかは、この国の歴史が証明しているといえるでしょう。