じじぃの「歴史・思想_292_現代ドイツ・政治ジョーク」

ドイツ人の政治ジョーク

ドイツならコロナウイルスを抹殺できる(ブラックジョーク)

2020/03/21 note
https://note.com/meshidanote/n/n114075531585

『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行

ドイツ人の政治ジョーク――ナチス旧東ドイツの「笑い」 より

頑固で勤勉、几帳面で理性的……と、わたしたち日本人が一般的に頭に描くドイツ人のイメージはとかく堅苦しい。ルターやベートーヴェン、バッハ、カントなど、学問・芸術分野で世界に知られたドイツの偉人の風貌や名前からは、およそユーモアや笑いを連想することなどできない。
ところが実際のところ、ドイツ人はかなりのジョーク好きで、リラックスした仲間内の酒席などでは、かならずといっていいほどのジョークが語られる。まるでカラオケの持ち歌のように、誰もがレパートリーとするジョークをもっていて、話し方の上手下手にもかかわらず、語られたジョークは打ち解けた笑いの場をつくり出す。
ジョークのことをドイツ語で「ヴィッツ」(Witz)というが、この言葉は本来、笑いとは何ら関係なく、理性や知識、精神力などを意味し、中世のドイツ語では「理性」や「賢さ」と同じような意味で使われていた。
その後、18世紀中期に、「文学的才能」や「明敏な連想能力」などの意味がつけ加えられ、19世紀になってようやくこの言葉に、笑いや滑稽さというニュアンスが入ってくる。この時期から、瞬時に反応し、物事の意表をついた側面を照らし出す、いわゆる「機知」としての使用法と、人を笑わせることを目的として語られる短い話、つまり現代のジョークとしての意味が併存するようになるという経緯をたどる。
民族学者のルッツ・レーリッヒは、ジョークを「現代社会において絶滅の危機に瀕していない唯一の民話のジャンル」であるとしているが、ブロンド女ジョーク、医者ジョーク、弁護士ジョーク、オッシージョーク(オッシーは東ドイツ人を揶揄した表現:筆者注)、アンゲラ・メルケルジョーク、ドナルド・トランプジョークなど、ジョークのネタにはこと欠かない。
なかでも秀逸なのは「囁きジョーク」と呼ばれるナチス時代の政治ジョークと、分断されていたころの旧東ドイツの政治ジョーク、すなわち「DDR東ドイツの正式名称の略)ジョーク」である。この章ではこれらの政治ジョークをおもに採り上げよう。
  1人の男が通りを歩いていると、向こうから友人がやってきた。見ると、鼻に包帯を巻いている。男が、いったいどうしたのかと尋ねると、友人は、歯医者にいって歯を抜いてもらったのだという。「いやね、きょうびおちおち口なんて開けられないんでね」。
ナチス体制下では極めてきびしい言論統制が敷かれ、ゲシュタポ(秘密警察)による監視、仲間による密告の不安が日常的に存在していた。日ごろの言動によって反体制的な政治ジョークを話すことが、極刑や収容所送りにつながった。このような状況下でジョークを語ることは、聞き手が信頼できる人物かどうかを見極め、「おかしさ」を共有できる境界線を探りながらおこなう極めて危険な行為であった。
それにもかかわらず、当時おびただしい数の「ナチスジョーク」が囁かれ、人びとの口から口へと伝えられていった。それらのジョークは、戦後すぐ書き留められて、現在ジョーク集となって残っているが、じつはすでにナチス時代にも亡命した人たちによって、チェコやパリで出版されていた。
卓越した政治ジョークの文化は言論の自由が制限され、民衆が抑圧された独裁体制の下で花開くといわれている。「社会主義統一党」(SED)の実質的な一党独裁、シュタージと呼ばれる国家保安省による監視体制下にあった東ドイツの市民の間でも、多くの政治ジョークが囁かれた。
  ウルブリヒト(東ドイツ国家評議会議長)とブラント(西ドイツ首相)が会った。ブラントがいった。「わたしはわたしをネタにしたジョークを集めているんだよ」。するとウルブリヒトはこう答えた。「わたしはわたしをネタにしたジョークを話した奴らを集めているのだ」。
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ジョークには著作権が存在しない。現在、ジョークはインターネットという新しい生存圏とコミュニケーションの手段を獲得して、人類の記憶力の衰えと反比例するかのように生み出され、言語やユーモアの感覚を同じくする人びとの間で共有され、核酸されていく。現在ネット上で多く共有されているジョークを紹介しよう。
  メルケルがいった。「イスラームは今やドイツの一部となっています」。するとトランプははじめて世界地図を開いてこう考えた。「いまいましい。ドイツ人め、いったいまたどこに侵攻しやがったんだ」。