じじぃの「歴史・思想_290_現代ドイツ・魔女狩り」

Germany: The Early Modern Witch Burning Stronghold

Bamberg, Germany: The Early Modern Witch Burning Stronghold

11/06/2016 History... the interesting bits!
https://historytheinterestingbits.com/2016/06/11/bamberg-germany-the-early-modern-witch-burning-stronghold/

講演集 ドイツとドイツ人 他五篇 (岩波文庫) 1990/5 Amazon

トーマス・マン (著), 青木順三 (翻訳)
アメリカに亡命し、市民権を得たマンは、「私がいるところにドイツがある」と表明し、それがヒトラーの逆鱗に触れたことは有名なところ。
そしてマンは「悪しきドイツと良きドイツとふたつのドイツ。
ドイツは一つだけであり、その最良のものが悪魔の策略にかかって悪しきものになったということです。悪しきドイツ、それは道を誤った良きドイツであり、不幸と罪と破滅のうちにある良きドイツです。」
と切々と訴える。その言葉には祖国ドイツを憂う悲痛な心が感じられる。
ナチス時代に蹂躙されたドイツの良心に触れることのできる良書だと思う。
おすすめです。

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『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行

ドイツ的メンタリティの二極性――デモーニッシュとコスモポリタニズム より

トーマス・マンは「ドイツとドイツ人」(1847)のなかで、デモーニッシュとコスモポリタニズムという概念で、ドイツやドイツ人の特性を説明している。すなわちナチズムに代表される「悪魔的ドイツ」と、ゲーテに代表される「世界市民的ドイツ」が存在するが、マンは悪しきドイツ、良きドイツは別々に存在するのではないという。
  悪しきドイツと良きドイツと2つドイツがあるのではありません。ドイツは1つだけであり、その最良のものが悪魔の策略にかかって悪しきものになるのです。ですから、罪を負うた悪しきドイツを全く否認して、「私は良き、高貴なる、清廉潔白なる正しきドイツです。悪しきドイツを私は諸君が絶滅するに任せます」と宣言することは、不可能なことです。(青木順三訳)
マンがいうように、この二極性は根源的に1つであり、同根から派生したものと考えられる。事実、ドイツの宗教史、思想史、歴史学文学史を通史的に外観すれば、以上の二極性が色濃くあらわれ、明瞭に認められるからである。
たとえばネガティブな魔女狩りの歴史を振り返ってみても、典型的にデモーニッシュなドイツ的特性の系譜が見られる。魔女は神と対極の悪魔と結託した極悪人で、悪天候、死産、不幸、病気を引き起こす元凶とされた。神の世界を維持するためには、魔女を抹殺しなければならない。このような考え方に疑問をもつものは、魔女狩りの最盛期にはほとんど皆無であった。総出で魔女狩りに加担し、人びとは魔女の火あぶりを一種のショーのように見物した。
魔女狩りは中世にではなく、近代初期の16世紀から18世紀前半にかけて多発したが、魔女狩りの被害者は、統計資料が示すようにドイツがもっとも多かった。なぜこのようにドイツが突出するのであろうか。それは拷問を加えた尋問に原因があるといわれている。

魔女は本来存在しないのであるから、嫌疑をかけられたものは、全面否認するが、ドイツでは徹底的な拷問の後、95%は自白したという資料もある。イギリスとの比較があるが、それはおよそ50%程度であった。

歴史的には魔女狩りの悪夢は、ユダヤ人虐殺で繰り返された。ナチス強制収容所絶滅収容所において、徹底的にシステマティックにユダヤ人を根絶やしにしようとした。約600万人のユダヤ人、ロマ、同性愛者、「思想犯」などが虐殺されたという。これらも「アーリア民族」対「劣等民族」という人種論から、論理的に正当化された。
ところが魔女狩りが終焉を迎えたころ、カントは『永遠の平和のために』(1795)を提唱して、コスモポリタニズムの理想を説いた。ゲーテも『世界市民』を提起し、またシラーの「歓喜に寄す」(An die Freude)は、ベートーヴェンの第9を生み出した。ここでは有名な「人びとは兄弟」という崇高な理想が謳われており、現在、このメロディがEU歌になっている。
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ドイツ史のデモーニッシュな世界は、悪魔的な世界を創出したが、反面、コスモポリタニズムはヒューマニズムの世界を生み出そうとした。このような近代から現代にかけての魔女狩りからナチズムという連鎖と、対極のコスモポリタニズムの大きな揺れは、さらにドイツ精神史のなかでさまざまなバージョンをつくり出してきた。
たとえばドイツ文学史でも、18世紀後半のレッシングは、理性を中心にして旧体制を批判し、人びとを啓蒙した。次の若きゲーテ、シラーのシュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)時代は、理性ではなく、激しい感情を吐露した。しかし2人はそれを克服し、理性と感情を統一したドイツ古典主義を完成させた。続くロマン主義は感情や非現実の夢の世界を描き、リアリズムや自然主義の現実の客観描写と対照をなす。表現主義はまたもや感情を発露させ、新即物主義は冷めた目で即物的にモノを見た。文学作品の創作においても、作家は理性と感情、合理性と非合理性の両極の揺れを繰り返してきた。
さらにドイツ史でも、第一次世界大戦によって、ドイツ帝国は崩壊した。その後、1919年に成立したヴァイマル共和国憲法は、当時、もっとも民主的といわれていた。しかるに1933年に首相に就任したヒトラーは、民主主義とは対極の独裁政治を遂行した。第二次世界大戦後、その反動で東西ドイツは徹底した反ナチス教育を実施した。これも極端な現代ドイツ史の揺れを示す事例である。