じじぃの「封印された謎・魔女狩り・嫌疑をかけられた者その後は?世界史の雑学」

The Wurzburg Witchcraft Trials (Occult History Explained)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=5qmIs62ze4U


魔女の塔 ー フルダで実際に行われた魔女狩りの記録

2021.04.13 ドイツ歴史探訪
フルダは魔女狩りが行われたことでも有名だ。町には《魔女の塔》(Hexenturm)と呼ばれる14メートルの塔が存在する。
この塔は12世紀に造られたことがわかっており、城門と北門の一部として存在していたという。フルダに残る12世紀の遺構としては、もっとも保存状態が良いのだという。もともとは監視塔として建てられたが、後に女性囚人を収監する場所として使用されたという。

フルダでは270人以上が魔女狩りの犠牲になったが、そのほとんどが女性であった。メルガ・ビエンは、魔女狩りが始まった当初にバルタザール・ヌスによって逮捕された女性の一人だった。
https://cookie-blog.com/fulda-hexe/

『失われた世界史 封印された53の謎』

歴史の謎研究会/編集 青春文庫 2018年発行

魔女狩りの謎――嫌疑をかけられた者は、その後… より

16世紀後半から17世紀半ばまでヨーロッパ全土で魔女狩りの嵐が吹き荒れたが、嫌疑をかけられ、火あぶりなどにされたのはどういう人たちだったのか。
尋問では何を聞かれ、自白を拒否した場合、どのような拷問が待ち受けていたのか。逮捕された者が無罪放免となるケースはあったのだろうか。

ひとたび告発されれば万事休す

魔女と聞いてイメージするのは、おぞましい妖術使いの老婆か、いたずら好きで可愛らしい魔法使いか。日本人の低年齢層なら後者をイメージする者が圧倒的に多そうだが、魔女伝説の本場ヨーロッパでは、どの時代を通じても両者のイメージが圧倒的だった。

魔女と魔法使い、魔王、魔術師。「魔」で始まる言葉をいくつもあり、これらを序列化して説明する本もあるが、現実には明確な区別はなく、魔女も女性だけとは限らない。いわゆる魔女狩りおよび魔女裁判では男性がターゲットとなった例が数多く見られる。

魔女狩りの歴史は古く、古代ローマ時代にも見られるが、1個の社会現象と化したのは中性末期から近世にかけてで、ドイツでは1560年代から1680年代にピークを迎えた。

中世以降の魔女狩りキリスト教の立場から行なわれたもので、1258年と1320には異端審問の範囲内での魔女訴追を正当とする教書が教皇により発せられている。1486年にはドミニコ修道会のシュプレンガーとクレーマーの共著からなる『魔女の鉄槌』が出版され、それが教皇からお墨付きを得るに及んで、逮捕から尋問、裁判、判決に至る諸手続きがマニュアル化されることにもなった。

魔女裁判魔女狩りとも呼ばれるのは、魔女の告発方法として、公の告発と密告に加え、噂話だけに基づき、裁判所独自の判断でも可能であったことに拠っている。

逮捕された被告は魔法を使って脱獄ができないようにと、全身の毛を剃るか皮膚の毛を焼かれたうえに、聖服とロザリオ(十字架付の数珠)の着用および聖水を飲むことを強要されたのち、狭くて暗く、冬場でも暖房のない独房に入れられ、手足の自由が効かないよう鎖で縛りつけられた。

それから尋問が開始されるのだが、それは自白を引き出すことを大前提としており、「どこで、誰に魔法を学んだのか」「いつ悪魔と契約を結んだのか」「どこで、いつ、どのように魔女の集会(サバト)へ出かけたのか」といったことが追究された。

名称こそ裁判ではあったが、ひとたび逮捕されれば、逃亡にでも成功しない限り、被告の運命は定まったのも同然だった。尋問に対して否認や黙秘を貫き通せば、悪魔が魔術によって自白を邪魔している。自白しないでいることが魔女の証明であるとして、「沈黙魔女」と認定されることがあった。

だが多くの場合、自白を得られなかった場合、被告の前に拷問具が並べられた。それでも自白をしなければ、いよいよ拷問の開始である。親指詰め、鞭打ち、爪はがし、天井からの吊るし、焼きゴテの5段階からなるのが普通で、途中で被告が死なないよう、適度に休憩を入れながら実行された。

自白をすれば情状酌量の余地がある。拷問で疲れ切った被告にとってこのような甘言は唯一の救いで、審問官に言われるまま供述をする者がほとんどであり、共犯者の名を挙げる者も少なくなかった。こうした構図が、魔女狩りの被害が拡大する要因ともなった。

                    • -

『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

浜本隆志、高橋憲/編著 明石書店 2020年発行

ドイツ的メンタリティの二極性――デモーニッシュとコスモポリタニズム より

トーマス・マンは「ドイツとドイツ人」(1847)のなかで、デモーニッシュとコスモポリタニズムという概念で、ドイツやドイツ人の特性を説明している。すなわちナチズムに代表される「悪魔的ドイツ」と、ゲーテに代表される「世界市民的ドイツ」が存在するが、マンは悪しきドイツ、良きドイツは別々に存在するのではないという。

  悪しきドイツと良きドイツと2つドイツがあるのではありません。ドイツは1つだけであり、その最良のものが悪魔の策略にかかって悪しきものになるのです。ですから、罪を負うた悪しきドイツを全く否認して、「私は良き、高貴なる、清廉潔白なる正しきドイツです。悪しきドイツを私は諸君が絶滅するに任せます」と宣言することは、不可能なことです。(青木順三訳)

マンがいうように、この二極性は根源的に1つであり、同根から派生したものと考えられる。事実、ドイツの宗教史、思想史、歴史学文学史を通史的に外観すれば、以上の二極性が色濃くあらわれ、明瞭に認められるからである。

たとえばネガティブな魔女狩りの歴史を振り返ってみても、典型的にデモーニッシュなドイツ的特性の系譜が見られる。魔女は神と対極の悪魔と結託した極悪人で、悪天候、死産、不幸、病気を引き起こす元凶とされた。神の世界を維持するためには、魔女を抹殺しなければならない。このような考え方に疑問をもつものは、魔女狩りの最盛期にはほとんど皆無であった。総出で魔女狩りに加担し、人びとは魔女の火あぶりを一種のショーのように見物した。

魔女狩りは中世にではなく、近代初期の16世紀から18世紀前半にかけて多発したが、魔女狩りの被害者は、統計資料が示すようにドイツがもっとも多かった。なぜこのようにドイツが突出するのであろうか。それは拷問を加えた尋問に原因があるといわれている。

魔女は本来存在しないのであるから、嫌疑をかけられたものは、全面否認するが、ドイツでは徹底的な拷問の後、95%は自白したという資料もある。イギリスとの比較があるが、それはおよそ50%程度であった。

歴史的には魔女狩りの悪夢は、ユダヤ人虐殺で繰り返された。ナチス強制収容所絶滅収容所において、徹底的にシステマティックにユダヤ人を根絶やしにしようとした。

                    • -

どうでもいい、じじぃの日記。

「魔女は本来存在しないのであるから、嫌疑をかけられたものは、全面否認するが、ドイツでは徹底的な拷問の後、95%は自白したという資料もある。イギリスとの比較があるが、それはおよそ50%程度であった」

ネットで「ドイツ人 日本人 イタリア人 たとえ話」をキーにして検索してみた。

  ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。船長はそれぞれの外国人乗客にこう言った。
  イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
  ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」
  日本人には「みんな飛び込んでますよ」
  イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」

何となく、ドイツ人と日本人の気質は似ているような感じです。
ドイツ人の方がより真面目というか、規則に対し うるさいような感じがします。

ドイツの冬はきびしくて長い。ドイツ人は冬に耐え、陽光の降り注ぐ春を待ちわびる。しかし彼らは、逃れることができない冬の季節が生み出す薄暗い日の出や日没の黄昏の雰囲気を、むしろ安らぎに似たものと受け止めてきた。薄明(Dammerung)はドイツ人が好きな言葉の1つだ。
       『現代ドイツを知るための67章【第3版】』

この数年、地球の温暖化がいわれるようになった。

ドイツ人の気質も日本人の気質も、少しずつ変化していくのでしょうか。