北里柴三郎 博士
Sistema Salute: Vaccini, tra fake news, realta e la Legge n.119/2017
Nel 1880, Emil Adolf von Behring, grazie alla collaborazione con il collega giapponese Shibasaburo Kitasato a Berlino, riusci ad immunizzare da tetano e difterite un animale sfruttando il siero ematico infetto di un altro animale, mettendo in essere una pratica tanto preventiva quanto curativa (quando le iniezioni avvenivano nella primissima fase sintomatica della malattia).
免疫「超」入門 「がん」「老化」「脳」のカギも握る、すごいシステム
【目次】
第1章 人類の宿命・病原体と免疫の戦い
第2章 ヒトに備わった、5つの感染防御機構
第3章 病原体との攻防
第4章 自己を攻撃する免疫――アレルギーはなぜ起こるのか
第5章 炎症とサイトカイン――さまざまな病気と免疫
第6章 免疫とがん
第7章 老化を免疫で止められるか
第8章 脳と免疫の深い関係
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
免疫「超」入門 「がん」「老化」「脳」のカギも握る、すごいシステム
パンデミックによって感染症や免疫に関する情報を目にすることが多くなり、私たちの知識も増えたように見える。ただ、そこで出てきた情報は、曖昧なものや誤った情報、感情的なものなどもあり、玉石混淆ともいえる。
本書ではあらためて、ウイルスなどの病原体がどのように感染を起こし、免疫がどのように働くのか、その複雑なしくみを、基本から正しくわかりやすく解説する。
第1章 人類の宿命・病原体と免疫の戦い より
新千円札の顔 北里柴三郎による抗体発見
2020年3月、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めたころ、俳優のトム・ハンクスさんが滞在先のオーストラリアで感染したことを公表しました。彼は回復しアメリカに戻った後、自分の血清(血液を分離したときにできる上澄の黄色い液体成分。血漿とほぼ同じ)を研究機関に提供しました。回復した患者の血清中には、ウイルスに結合してウイルスが細胞に潜り込むのを阻害する「抗体」が含まれています。ハンクスさんは、ほかの患者の治療や研究に使ってほしいと、血清を提供したのです。回復した人の血清を投与して治療する方法は「血清療法」と呼ばれています。
ここで抗体の歴史を少し振り返ってみましょう。抗体の発見には、ある日本人が大きな役割を果たしています。2024年に発行される新千円札の肖像画になる北里柴三郎博士です。(図.画像参照)。
北里博士は1853年に熊本県阿蘇郡に生まれ、1874年に東京医学校(現・東京大学医学部)入学、1883年に卒業しています。その後1886年に、近代細菌学の開祖とも呼ばれるドイツのロベルト・コッホ博士のもとに留学し、破傷風の原因となる破傷風菌の純粋培養(1種類の細菌だけを分離して培養すること)に成功するなど、細菌学者として頭角を現しました。そして1890年に世界で初めて血清療法を確立したのでした。
破傷風菌は酸素があると増えることができない嫌気性のため、普段は地中などにいて、めったに悪さをしません。しかし、農作業中などにけがをして破傷風菌が傷口から入り込むことがあります。破傷風菌に感染すると、けいれんや呼吸困難を生じ、致死率は50%に達するとされる非常に毒性の高い細菌です。
北里博士は破傷風菌の研究から、細菌そのものが人を死に至らせるのではなく、細菌がつくる毒素が人を死に至らせることに気が付きました。
そこで、毒素を含んでいる破傷風菌の培養液を少しずつ実験動物に注射していく、という実験を行いました。そして、その実験動物は致死量の毒素を与えても死なないことを見いだしました。さらに、そのようにして毒素を投与しても死ななくなった動物の血清を破傷風菌に感染した別の動物に投与すると、その動物は死なずに回復したのでした。これは極めて重要な発見です。人に対しても同様で、血清の投与によって破傷風菌に感染した患者を救うことができました。血清療法の確立です。
北里博士は、毒素を投与しても死ななくなった動物の血清中に毒素を無毒化する物質があると考え、これを「抗毒素」と名付けました。それが、今でいう「抗体」です。
北里博士はの研究は、抗体を世界で初めて発見し、同時に破傷風という致死性の高い病気の治療法を確立したのですから、ノーベル賞に値する業績といえます。ところが1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞は、なんと北里博士の同僚のエミール・ベーリング博士に贈られました。
ベーリング博士は当時ヨーロッパで猛威を振るっていたジフテリア菌による感染症に対して血清療法を確立しました。しかし、それは北里博士が指導したもので、1890年に発表した血清療法についての最初の論文も北里博士とベーリング博士の連名になっています。なぜ北里博士ではなく、ベーリング博士がノーベル賞を受賞したのでしょうか。当時のヨーロッパでは破傷風よりもジフテリアの方が脅威であったこと、第1回のノーベル賞は1つの部門に1人しか受賞できなかった(現在は3人まで)ことが理由として挙げられますが、東洋への偏見があったのではないかともいわれています。