じじぃの「カオス・地球_198_インドの正体・第1章・モディ・ヒンドゥー国家建設へ」

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https://www.youtube.com/watch?v=mvTMiUrQFt0

モディ氏率いるBJPが3州勝利へ


インド地方選、モディ氏率いるBJPが3州勝利へ-首相3期目に勢い

2023年12月3日  Bloomberg
インドで実施された地方議会選挙では、モディ首相率いるインド人民党(BJP)が重要3州での勝利を確実にした。3期目を目座す同首相に弾みをつけることになる。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-12-03/S53D4ADWRGG001

中公新書ラクレ インドの正体―「未来の大国」の虚と実

【目次】
まえがき――ほんとうに重要な国なのか?
序章 「ふらつく」インド――ロシアのウクライナ侵攻をめぐって

第1章 自由民主主義の国なのか?――「価値の共有」を問い直す

第2章 中国は脅威なのか?――「利益の共有」を問い直す
第3章 インドと距離を置く選択肢はあるか?――インドの実力を検証する
第4章 インドをどこまで取り込めるか?――考えられる3つのシナリオ
終章 「厄介な国」とどう付き合うか?
あとがき

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『インドの正体 「未来の大国」の虚と実』

伊藤融/著 中公新書ラクレ 2023年発行
「人口世界一」「IT大国」として注目され、西側と価値観を共有する「最大の民主主義国」とも礼賛されるインド。実は、事情通ほど「これほど食えない国はない」と不信感が高い。ロシアと西側との間でふらつき、カーストなど人権を侵害し、自由を弾圧する国を本当に信用していいのか? あまり報じられない陰の部分にメスを入れつつ、キレイ事抜きの実像を検証する。この「厄介な国」とどう付き合うべきか、専門家が前提から問い直す労作。

第1章 自由民主主義の国なのか?――「価値の共有」を問い直す より

世界最大の民主主義国インドへようこそ
  日本とインドは、長い交流の歴史を通じて共有してきた、自由・民主主義・人権・法の支配といった普遍的な価値で結ばれ、戦略的利益を共有する「特別戦略的グローバル・パートナー」です。
   (2022年3月19日『インディアン・エクスプレス紙(インド)への岸田総理大臣寄稿』)


我が国でインドとの関係の重要性が語られるとき、かならず登場するのが「基本的価値観の共有」という前提だろう。中国や北朝鮮、ロシアはどうみても独裁・権威主義体制だ。現在の韓国とは自由民主義体制で親和性があるとしても、歴史認識ではわが国と大きな隔たりがある。こうした国々の向こう側にある大国インドは、われわれにとって理想的なパートナーのように映る。

なぜか? まずなんといっても、インドは日本同様、第2次大戦後のアジアにおいて、一党独裁や軍事政権を経験したことのない稀有な国だからである。

ヒンドゥーナショナリズムの台頭
ところが、である。現在、「インドはほんとうに自由民主主義の国か?」という疑問が新たに問われはじめている。それは貧困や差別などの社会矛盾が解消されていないから、というわけではない。インドが誇ってきたはずの自由民主主義の「制度」そのものが、破壊されつつあり、いまや危機に瀕しているとの問題認識である。インドを長年観察してきたイギリスの研究者は、「インドはもはや自由民主主義ではない」と、2022年に、ある研究会で筆者に嘆いた。いったいどういうことなのか?

疑いをもってみられているのは、2014年に発足したナレンドラ・モディインド人民党(BJP)政権下で進む、国内政治社会の変質である。インドでは、独立以来、一部の時期を除いてジャワハルラール・ネルーや、その娘のインディラ・ガンディー、その息子のラジーヴ・ガンディーら国民会議派が長期にわたって政権を維持してきた。
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この「常識」に真っ向から挑戦した政党が、BJPである。同党は、あのマハトマ・ガンディー暗殺犯、ゴドセを生み出した過激なヒンドゥー宗教団体、民族奉仕団(RSS)を主要母体として創設された。BJPは、セキュラリズムの国民会議派に対して、ヒンドゥー教徒を中心とした強いインドをつくると主張して、1990年代以降躍進しはじめた。ちょうどインドが自由化し、グローバル経済のなかに組み込まれていった時期と符号する。グローバル化が、ナショナリズムを刺激したとみることができよう。1998年にヴァジペーイ率いる、BJPによる最初の本格政権ができると、インドはただちに核実験・核保有宣言を断行した。それでも、当時はヴァジペーイ政権の基盤が盤石とはいえず、連立パートナーの地域の地域政党の力が強かったこともあり、実際上はヒンドゥーナショナリズムの政策はそれほど明確なものにはならなかった。

しかし、連邦でBJPが政権を担っているあいだに、地方で新たな世代の指導者が台頭した。その筆頭が西部、グジャラート州首相のナレンドラ・モディであった。モディは州内に外資を呼び込み、インフラを整備して州経済を成長させたと評価される一方、筋金入りのヒンドゥーナショナリズムとしての顔もあった。その後者の側面があらわれたのが、多数のムスリムが犠牲となった2002年のグジャラート暴動である。ヒンドゥー過激派の乗った列車が砲火されたことを引き金に、州内でヒンドゥー教徒ムスリムを襲撃した事件について、州首相としてのモディが関与したのではないか、少なくとも事態を放置したのではないかと疑われてきた。実際、いまでは信じられないかもしれないが、この当時、欧米諸国はモディへのビザ発給を拒否するほどだった。それでも、モディは自分こそがヒンドゥー教徒の守護者だと印象づけて人気を博した。モディ率いるBJPは、暴動直後の州議会選挙で圧勝を果たし、その後も政権を維持しつづけた。

強まるヒンドゥー国家建設の動き
そうしたなか、2019年5月、総選挙の結果が明らかになる。モディのBJPは、苦戦との当初予測をはねのけ、前回よりさらに議席を伸ばす圧勝を収めた。

こうした一発逆転によって続投の決まったモディ政権が、その1期目と比べてヒンドゥーナショナリズム色を鮮明にするのは当然の展開であった。州首相時代からの腹心で、党総裁を任せていたアミット・シャーを内相に据えて第2期モディ政権は、露骨なまでにヒンドゥー国家の建設に乗り出す。

手始めは、ムスリムが多数を占めるジャンムー・カシミール州のインド連邦への完全統合であった。パキスタン、中国とのあいだで係争となっている同州には、これまで他の州にはない特別な地位と権限が付与されてきた。BJPはかねてより、この根拠となる憲法第370条の規定を問題視し、総選挙のマニフェストで撤廃すると宣言した。ムスリムが支配する「インドのなかの外国」の存在は許さない、というのが彼らの考え方であった。

けれども、まさかほんとうに、その公約を実行に移すとまでは、ほとんどの人が思っていなかった。ところが、2019年8月、モディ政権は、この条項の適用停止の大統領令と、ジャンムー・カシミール州を2分割して、それぞれ連邦直轄領とする案を連邦議会に提出した。なんの予告もなく、不意を突かれた野党側は足並みも乱れ、瞬く間に上下両院の通過を許すこととなった。

突如自治権を奪われたあげく、切り裂かれたジャンムー・カシミール州に暮らすムスリムが反発を強めたのはいうまでもない。モディ政権は、反対派勢力を拘束したり、メディアやインターネットを厳しく規制したりして、これをなりふり構わず封じ込める姿勢をつづけた。現地でなにが起きているのか、現地のひとびとがどのように思っているのか、という情報は、インド人にさえまったく入らなくなった。

つづいてモディ政権は、同年末、市民権法改正法案を可決・成立させた。これはパキスタンバングラデシュアフガニスタンという、インド周辺国で「宗教的迫害」を受けていた者であれば、インドにたとえ「不法入国」したとしても、インドの市民権を付与するというものだ。一見すると「人道的」なように聞こえるが、これらの対象国はいずれもムスリム社会であることが意図的である。つまりは、ムスリムによって迫害されたヒンドゥー教徒らに受け入れるという宣言なのだ。その意味でムスリムに対して差別的な改正案であり、インドが国是としてきたセキュラリズムの原則にも反するのではないか。そういう疑いの声があがった。
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このように、モディ政権は、とりわけ2019年の2期目を迎えてから、BJP元来のヒンドゥーナショナリズム路線を鮮明にしている。それはムスリムやジャンムー・カシミールなどのマイノリティーに配慮し、その声を吸い上げてきた伝統的なインド民主主義との決別といっていいだろう。代わって立ち現れてきたのは、数のうえで圧倒的に優位なヒンドゥー教徒とその価値を中心に据える「ヒンドゥー多数派主義」の政治である。

中国の影
このようにみると、インドという国がわれわれとのあいだで、自由や民主主義など「基本的価値観の共有」をしているのかは、実態としてはきわめて疑わしい。そして皮肉なことに、西側との関係強化に前向きだとみられてきた現在のモディBJP政権下で、その疑いはいっそう深まっている。それでも、西側の首脳やメディアの大半が、インドとの「基本的価値観の共有」言説にこだわるのはなぜだろうか。もはやそんなものは虚構にすぎないと一蹴する声が大きくならないのはなぜだろうか。

そこには、リベラルな国際秩序への最大の挑戦国とみなされるようになった中国の存在がある。というのも、共産党支配の、とりわけ習近平体制下の中国は、インドと比べると、経済的自由度では大差ないとしても、その他の面では明らかに非自由で、非民主主義的だからだ。この「よりひどい国」としての中国との対比のなかでこそ、「基本的価値観の共有」論は、もっともらしく聞こえる。

実態をみると怪しげな、ガラス細工のような言説を、なんとか維持しようとする根底には、われわれが中国という脅威を前にした利害をインドと共有しており、だからこそ連携し、関係を拡大深化させねばならないという発想がある。

しかし、はたして、ほんとうにそういえるのか? 次章では、利益の共有の実態について検討しよう。