じじぃの「カオス・地球_195_インドの正体・まえがき・重要な国なのか」

India - Future Global Superpower

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vOOn07Lv808


中公新書ラクレ インドの正体―「未来の大国」の虚と実

【目次】

まえがき――ほんとうに重要な国なのか?

序章 「ふらつく」インド――ロシアのウクライナ侵攻をめぐって
第1章 自由民主主義の国なのか?――「価値の共有」を問い直す
第2章 中国は脅威なのか?――「利益の共有」を問い直す
第3章 インドと距離を置く選択肢はあるか?――インドの実力を検証する
第4章 インドをどこまで取り込めるか?――考えられる3つのシナリオ
終章 「厄介な国」とどう付き合うか?
あとがき

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『インドの正体 「未来の大国」の虚と実』

伊藤融/著 中公新書ラクレ 2023年発行
「人口世界一」「IT大国」として注目され、西側と価値観を共有する「最大の民主主義国」とも礼賛されるインド。実は、事情通ほど「これほど食えない国はない」と不信感が高い。ロシアと西側との間でふらつき、カーストなど人権を侵害し、自由を弾圧する国を本当に信用していいのか? あまり報じられない陰の部分にメスを入れつつ、キレイ事抜きの実像を検証する。この「厄介な国」とどう付き合うべきか、専門家が前提から問い直す労作。

まえがき――ほんとうに重要な国なのか? より

インドは、老若男女を問わず、日本人を惹きつけてきた国だ。悠久の文明遺産、仏教発祥の地、聖なるガンジスでの祈り、オールド・デリーやコルカタの混沌と喧騒……。

非政治的なイメージへの憧憬だけではない。リベラル接力は独立の父マハトマ・ガンディーの非暴力主義や、初代首相ネルーの非同盟を模範と仰ぐ一方、右派は戦時期に日本軍と手を携えて反英・独立闘争を戦ったチャンドラ・ボース東京裁判で日本人戦犯の無罪を主張したパール判事を称賛してきた。そして台頭する中国への脅威が語られる今日、もうひとつの新興大国への期待が高まっている。折しもインドは、2023年には、中国を抜いて14億人超の人口世界一となることが見込まれ、世界主要20ヵ国・地域(G20)議長国として各国の閣僚、主脳を迎える。

この国への期待感はどこから生まれているのか?

曰く、まずなんといっても、インドは、われわれと同じように自由や民主主義の信奉者だ。中国への脅威認識もわれわれと共有している。ビジネス界からみれば、若年層の多い市場にはまだまだ伸びしろがある。最近の成長率は、いろいろと問題が露呈しはじめた中国を上回る。「チャイナリスク」を考えれば、いまこそインドへ投資先を移すべき時だ。つまり、インドはわれわれと価値と利益を共有する新たなパートナーであるはずであり、そういう関係を築くべきなのだ――。そうした主張が巷(ちまた)に溢れている。

ほんとうだろうか? インドとちょっとでも付き合ったことのある人たちは、疑問に思うだろう。

2022年の日印首脳会談で、岸田首相は、今後5年間で5兆円ものインドへの投資目標をぶちあげた。そして、民間企業にもインドへの進出を強く促した。けれども、ビジネス界の反応は鈍い。インドといえば、劣悪なインフラ環境、州ごとに異なる複雑な法制度、旧態依然たる官僚制度といった印象が強い。文化や労働意識、経済格差を背景に、労働争議や土地取得に悩まされた企業も多い。2023年に完成する予定だったマンバイーアーメダバード間の「新幹線」は、2022年になっても用地の確保さえ完了していない有様だ。「インドに投資を」と政府が旗を振っても、「インドほど食えない国はない」という実感をもつビジネス関係者は少なくない。

インドの重要性を早くから覗いた政治家が、故安倍晋三元首相であった。安倍は2006年の著書『美しい国へ』のなかで、日本にとってのインドが将来、日米同盟を超えるパートナーになりうるとまで予言した。翌年には民主主義国で構成される日米豪印(クアッド)の協議が立ち上げられ、4ヵ国にシンガポールをくわえた大規模な海上演習も実施して、台頭する中国を牽制してみせた。

ところが、安倍と「ウマの合う」ナレンドラ・モディが首相になっても、インドは日本を含め、どの西側の国とも「同盟」を結ぼうとはしない。その一方で、G7やクアッドといった西側民主主義陣営の主脳会合に出たかと思えば、BRICS上海協力機構(SCO)など中国、ロシアを含む枠組みにも相変わらずコミットをつづけている。インドはけっして西側の一員になったわけではない。

ロシアによる2022年のウクライナ侵攻は、その現実を西側に突きつけた。西側では、ロシアに対する非難と制裁の大合唱が起きているにもかかわらず、インドは国連、クアッドなどの多国間枠組みでも、日米などとの二国間協議においても、「中立」の姿勢を貫き、ロシアへの経済制裁への参加を拒絶した。そればかりかディスカウント価格が提示されたロシア産の原油輸入量を増やし、西側による制裁網への抜け穴さえ作っている。

そもそも、インドという国は、ほんとうにわれわれと価値や利益を共有しているのだろうか?

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実際にインドに暮らしたことのある人ならば、本来なら学校に通っているはずの年齢の子どもたちが、行きかう車のあいだを炎天下、裸足で物売りする姿や、手や足を失った老人が路上で物乞いをつづけるさま、警官が無力な市民に対し大声で威嚇しながら警棒(あるいはたんに木の棒やムチ)を振るう場面に出くわしたことがあるにちがいない。
「なんてひどい国だ!」と思ったことだろう。

選挙という市民の政治参加は、いったいなんのためなのか? それはひとびとの人権、暮らしと命を守るためではなかったのか? 民主主義国というには、あまりにかけ離れた現実が、この国にはある。

中国やロシアへの包囲網に後ろ向きで、なおかつよく考えれば人権侵害が横行し、モディ政権下では権威主義的な傾向すら指摘されるインド。それなのになぜ、日本をはじめ、西側諸国はインドが重要な国だと主張し、関係を深めようとしたがるのだろうか?

およそ地域研究者というのは、自分の研究対象とする地域や国が重要だと主張するものだ。振り返ってみると、筆者もその例外ではなかったかもしれない。飯のタネになるからだ。

日々の新聞やテレビ、書店に流通するインド本をみていても、インドは経済的にも、外交・安全保障においても、われわれの重要なパートナーだ、と当然のように語られている。これに対し、本書は、インドはほんとうに重要な国なのか? そもそも、われわれと価値や利益を共有しているのか? このような、これまで当然視されてきた前提自体から問い直してみたい。そのうえで、もしインドがわれわれにとって、価値や利益を共有しないところがあり、じつは「厄介な国」ならば、この国と付き合わない、という選択肢がありうるのかということにまで踏み込んで考えてみよう。