じじぃの「カオス・地球_186_ウイルスとは何か・第1章・生物のような無生物」

最初のウイルスはどこで生まれたのか?|ウイルスの起源

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=HwkRnb-z9Zw

マルティヌス・ベイエリンク ウイルスの発見者


ウイルスという存在

微生物で満ちあふれているヒト

科学バー 文と写真 長谷川政美
●はじめに
先に拙著『共生微生物からみた新しい進化学』(1)を上梓し、そこで共生微生物がわれわれ動物の進化にとって欠かせない役割を果たしてきたことを紹介した。その中では共生微生物としてウイルスも取り上げたが、テーマの多くは細菌に関するものであった。
ヒトのゲノムにコードされている遺伝子は2万個余りだが、ヒトの体内や体表にはたくさんの細菌が共生していて、それらの細菌の遺伝子数は合わせるとヒトゲノムの数百倍にもなる。これらの細菌の遺伝子は、ヒト自身のゲノムの遺伝子だけでは実現できないさまざまな代謝を助けている。
https://kagakubar.com/virus/01.html

マルティヌス・ベイエリンク

ウィキペディアWikipedia) より
マルティヌス・ウィレム・ベイエリンク(Martinus Willem Beijerinck)は、オランダの微生物学者、植物学者。アムステルダム生まれ。デルフト工科大学で微生物学の初代教授を務めた。ウイルス学の創始者の一人として有名。

タバコモザイク病の研究をし、タバコモザイク病や口蹄疫の病原体が細菌濾過器を通過することが、ドミトリー・イワノフスキーやフリードリヒ・レフラーによって示されていたが、レフラーらがこの病原体を微小な細菌と考えていたのに対し、ベイエリンクは未知の溶液状の物体であると考え、その溶液中の分子が感染し増殖する、と考えた。
この病原体はその後ウイルスと呼ばれるようになり、1935年にウェンデル・スタンリーが、タバコモザイクウイルスの結晶化に成功したことにより、ベイエリンクの主張が正しいことが示された。なお、この業績により、ベイエリンクは1905年にレーウェンフック・メダルを受賞している。
また、生物学的窒素固定を発見したことでも知られる。

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『ウイルスとは何か―生物か無生物か、進化から捉える本当の姿』

長谷川政美/著 中公新書 2023年発行

「ウイルス」という言葉を知らない人はいないだろう。ただし、その定義は曖昧である。目に見えない極小の存在で、ほかの生物の細胞内でしか増殖できないために、通常は生命体とはみなされない。だが、独自のゲノムを有し、突然変異を繰り返す中で、より環境に適した複製子を生成するメカニズムは、生物の進化と瓜二つだ。恐ろしい病原体か、あらゆる生命の源か――。進化生物学の最前線から、その正体に迫る。

第1章 ウイルスという存在 より

1 生物のような無生物

ヒトは微生物によって生かされている
私たちと共生する微生物は動物の進化にとって欠かせない役割を果たしてきた。共生微生物としては私たちの体内にいる腸内細菌などの細菌が取り上げられることが多いが、ウイルスも共生する「微生物」として扱う本がいくつも世に出ている。

ヒトのゲノムにコード(特定の遺伝子の塩基配列によって特定のたんぱく質がつくられること)されている遺伝子は2万個余りだが、ヒトの体内や体表にはたくさんの細菌が共生していて、それらの細菌の遺伝子を合わせるとヒトゲノムの数百倍にもなる。これらの細菌の遺伝子は、ヒト自身のゲノムの遺伝子だけでは実現できないさまざまな代謝を助けている。

ヒトは社会的動物なので、他人の助けを借りずに自分の力だけでは生きられないが、生物としてのヒトもまた、細菌など微生物の力を借りなければ生きていけない。われわれは自分のことを自立した生物と考えがちであるが、「ヒトは微生物によって生かされている」と捉えることもできる。

一方、ウイルスは、生物の細胞内でしか増殖できないので、普通は生物とはみなされない。しかし、どんな生物もほかの生物の助けを借りないと生きられないのであり、生物と無生物の境界は曖昧である。

生物の特徴として、ゲノムを複製し、その際に生じる突然変異に対して自然選択が働くことによって子孫を増やすような形質が進化することが挙げられる。そのように複製しながら進化することを「複製子(replicon)」というが、ウイルスもまさに自分の子孫を増やすように進化する複製子である。

「ウイルス」という名前はオランダの微生物学者マルティヌス・ベイエリンク(1851~1931)によってつくられた。ベイエリンクは窒素固定を行う根粒菌という細菌の発見者であるとともに、ウイルスの発見者でもあった。彼は植物のタバコモザイク病の病原体としてウイルスというものを想定したのである。ベイエリンクは、この病原体が活発に細胞分裂する組織でしか増えないことを見出していた。

ウイルスを知らなかったダーウィン
ラテン語の(virus)は、「毒」という意味である。ヘビ毒などもvirusだったのである。ウイルスは中国語でも「病毒」というが、このようにウイルスは最初、病原体として捉えられていた。しかし、病原体としての関わり以外にも、さまざまな面でわれわれ動物の進化と深く関わってきたことが近年になって明らかになってきた。このことは、19世紀から20世紀を通じてもっぱら病原体とみなされてきた細菌について、21世紀に入ってから腸内細菌をはじめとした細菌叢に宿主(しゅくしゅ)が生きていく上での重要な役割が認められてきたことと似ている。

19世紀のチャールズ・ダーウィン(1809~1882)の進化論が当初なかなか認められなかった理由のひとつが、進化がヒトの一生のあいだでは確認できないほどゆっくりとしか進まないということであった。
彼にとっての進化は、地質学的な年代をかけて進行するものだった。ダーウィンの時代にはウイルスの存在は知られていなかったが、これから見ていくように、ウイルスの中には1年のうちに大きく変化(進化)していくものもある。2020年以降に世界で感染が広がったCOVID-19のウイルスは、ゲノムの解析により、リアルタイムでウイルスの進化を追跡することもできるのである。

ダーウィンは種内の変異が進化を生み出す源と考えた。種内変異の中で、子孫を残す上で有利なもの(これを「適応的」という)が選ばれることによって、種が変わっていくという「自然選択説」である。生物の進化は、種内変異の中でいちばん適応的なものが選択されるかたちで進行するが、適応の基準は環境やほかの生物との関係で決まる。

種間関係の中で重要なもののひとつが、捕食者・被捕食者の関係である。捕食者から逃れるために被捕食者は速く走れるようになり、そのような被捕食者の進化が捕食者の走る能力をさらに高めた。このような両者の進化は軍拡競争にたとえられる。

3 ウイルスの姿を追う

画期的な発見
1935年にアメリカ・ロックフェラー研究所のウェンデル・スタンリー(1904~1971)は、タバコモザイクウイルスを結晶化させることに成功した。この結晶を10億倍に薄めてもウイルスは感染症を示した。

スタンリーはペプシンと同じように結晶化するタバコモザイクウイルスをたんぱく質だと考えたのである。サイエンス誌に載った彼の論文の表題は「タバコモザイクウイルスの精子撃をもった結晶性たんぱく質の単離」となっている。

確かに、スタンリーが考えたようにこのウイルスの大部分はたんぱく質によって構成されているが、イギリス・ロザムステッド試験場のフリードリック・ボーデンらは1936年に、たんぱく質以外に5%のRNAをもつことを示した。

ただし、この時代はまだ遺伝物質としての核酸の重要性は認識されていなかった。ウイルスがRNAをもつことの重要性が明らかになるには、1944年にオズワルド・アベリーによって遺伝物質の本体がDNAであることが示され、さらに1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによって「DNAの二重らせんモデル」が提唱されるまで待たなければならなかった。

このような時代背景による制約はあったが、結晶化するウイルスが感染力をもつというスタンリーの発見の意義は大きかった。

1838年にマティアス・シュライデンが、また翌年にはテオドール・シュワンが、それぞれ植物と動物が細胞から構成されていることを明らかにして以来、細菌も含めてすべての生物は細胞からできていると考えられるようになっていた。そのような生物の定義には当てはまらないが、生物の細胞中では活発に増殖する一方、結晶にもなるというウイルスは、生物と無生物の境界を曖昧にするものであった。