「世界最古の聖地」 ギョベクリテペ遺跡 トルコ(2022年5月撮影)
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=pUq1k_dMvq8
ギョベクリ・テペの遺跡
ギョベクリ・テペ
ウィキペディア(Wikipedia) より
ギョベクリ・テペ(トルコ語: Gobekli Tepe) は、アナトリア南東部、シャンルウルファの郊外(北東12km)の丘の上に在る新石器時代の遺跡。
遺丘の高さは15メートル、直径はおよそ300メートルに及ぶ。地名は「太鼓腹の丘」の意。標高はおよそ760メートル。ドイツの考古学チームにより発掘調査が行われた。発掘は1996年から始まり、チームの指揮を執ったクラウス・シュミットが他界する2014年まで続いた。
ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には2段階の発達が見られる。
この構造物が何に使われていたのかははっきりしていない。発掘に携わったクラウス・シュミットは初期新石器時代の神殿だと信じていた。
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
河出新書 共感革命――社交する人類の進化と未来
【目次】
序章 「共感革命」とはなにか――「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション
第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない――狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した――生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか――人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性――今西錦司と西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す――自然とつながる身体の回復
終章 人類の未来、新しい物語の始まり――「第二の遊動」時代
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
『共感革命』
山極壽一/著 河出新書 2023年発行
人類は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分かれ、独自の進化を遂げた。やがて言葉を獲得したことによって「認知革命」が起きたとされている。しかし、実はその前に、もっと大きな革命があった。それが「共感革命」だ。
第1章 「社交」する人類――踊る身体、歌うコミュニケーション より
農耕牧畜が増える本質的な失敗
格差社会となった現代では、平等を求める声が世界的に広がっている。しかし平等な社会は、狩猟採集社会の時代に、すでに実現していたのだ。
しかし、その後の農耕牧畜によって、土地による価値の違いができてしまい、領土ができてしまった。その領土も最初はなかなか定着しなかったが、技術が発展して食料が蓄積できるようになると、余剰人口を養えるようになる。余剰の人員がいれば、たとえ誰かがいなくなっても、その代わりはいくらでも見つかるわけだ。そのうち分業制になり、食料生産以外の活動に従事する人々が増えてくる。道具をつくったり、家をつくったり、あるいは服をつくったりする専門職ができる。
さらに、人口が増えれば居住する場所を確保するために、領土を拡張しなくてはならなくなる。領土を拡張しようとする中で、先に目的の土地に人が住んでいる場合は、その集団を押しのけなければならないので、武力が必要になる。そうやって農業社会は、だんだんと首長制をとるようになり、やがて君主制の国家になっていく。そしてここでも格差が生まれてしまう。所有を認める社会だから、権威者に食料や所有物が集まり、それを権威者の意向によって分配する社会が生まれる。その頃から、現代にも通じる悲劇が始まっているのだ。
共感力は、小規模な社会の場合、集団内外に関係なく、お互いが助け合い、協力し合いことに役立っていた。
ところが農耕牧畜で領土が生まれ、ずっとその中だけで暮らしていると、領土内に住む人々の間でしか共感が通じなくなる。さらに人数が増え、領土を広げようとなった際には、武力行使が必要だと考えるようになる。
第2章 「神殿」から始まった定住――死者を悼む心 より
火の周りで踊る人類
人類最初の神殿とされているのが、トルコ南東部で発掘されたギョベクリ・テペで、1万2000年前に建立されたと考えれている。
また、小麦の栽培は、およそ1万年ほど前からとされており、もしかすると人間は、農耕よりも前に神殿をつくったのではないかという説がある。巨石建造物群として、世界遺産にも登録されているギョベクリ・テペは、最初の小麦の生産地のすぐ近くでもあって、人類の文化が生まれた「ゼロ・ポイント」と呼ばれている。
神殿は神が降りてくる大切な場所だ。人びとは立派な建物をつくるため、そこに通い、時間をかけて建立した。
人類が定住を選んだ理由としては、農耕牧畜以外に、この神殿の建立という要因もあったのだろう。なにしろ、小麦の栽培が確認されているのは、神殿からわずか30キロメートルの地点なのだ。小麦は種蒔きから収穫までに時間がかかる。もし神殿の建立に時間がかかるとなれば、その時間を利用して、小麦の栽培に取り組もうとなったのかもしれない。
そう考えると、栽培によって定住が起こったと考えるよりも、むしろ神殿の建立が先だった可能性もありえる。
神という存在の誕生が、移動というこれまでの生活形態に影響を与え、人類を狩猟採集から農耕牧畜へと大きく変えていった。人類にとっては食料生産より神殿が大事だったのかもしれない。
・
宗教には火が重要で、キリスト教の前身と言われる拝火教は、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』のゾロアスター教のことだ。ゾロアスター教はドイツ語読みにすると「ツァラトゥストラ」になる。宗教は、火の周りで踊ることから始まったのかもしれない。
踊るという行為を重要視する人は少ないが、直立二足歩行を始めた頃から人類は踊っていた。先にも触れたが、踊りは重要なコミュニケーションの手段であり、共感力を高めるためのものだった。
人類が日常的に火を使いだしたのは80万年前で、火に合わせて踊ることによって、自然に対する畏敬の念をさらに高めたはずだ。これが宗教の始まりかもしれない。その中で、言葉によってパラレルワールドという虚構が具現化するときに、神殿が必要となる。
神殿は神が降りてくる場所であると共に、あの世とこの世を結ぶ入り口でもあった。エジプトのピラミッドはそのことを現代に伝えている。ピラミッドの中に安置されたミイラは、再びこの世に戻ったときに肉体を使えるようにするためだ、という説もあるほどだ。
そう考えると、最初の神殿は、パラレルワールドを言葉によって構築し、それをみんなで共有し、現実の世界とつなぐことによって生まれたはずだ。結果として、神殿をつくるためには多くの人がそこに集まらなければいけなかった。一定の期間、同じ土地に住まなければ、みんなの力によって構築物はつくれない。小麦が育つまでの間は、おそらく食料を持ち帰り、居住する場所をつくって、食料がなくなればまた集めに行く作業を繰り返したに違いない。
では小麦は何に使われたのか。
当然、食べるためだったはずだが、ここに面白い説もある。じつは食べるためではなく、ビールをつくるためだったのではないかというのである。
エジプトのピラミッドを想像してもらうとわかると思うが、大型重機などない時代のピラミッドつくりは、相当な苦役だったはずだ。だが建設された時代に奴隷制度はなかったとされている。古代エジプト王であるファラオが人びとに命じて建造物をつくらせたことは確かだが、人びとはどうやって掟に従って毎日毎日あれほどの苦役をしたのか。
そこには何らかの報酬があったはずで、それがビールだったのでは、というのである。実際、ビールを醸造する高倉が港近くにあったことがわかっている。みんな酒を飲んで苦労を分かち合い、なんとか労働をこなしたのかもしれない。