じじぃの「ギョベクリ・テペ・世界最古の宗教施設・来世への出入り口?起源図鑑」

【ゆっくり都市伝説】シュメール人と日本人の関係性&共通点の謎

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5AiGvqKVPRg

ギョベクリ・テペ遺跡

『ギョベクリ・テペとカイトサイト』 - 【神殿と狩猟】

2015/07/05 消前烈火
テレビを見ていたら、トルコで世界最古の神殿遺跡が発見されたといった内容の番組をやっていた。
興味を引かれて観てていたが、何と1万1500年前のに建造されたという。
これは神殿に限らず、最古の建造物ということになるだろう。
http://midomidotacnet.blog.fc2.com/blog-entry-190.html

『New Scientist 起源図鑑』

レアム・ロートン、ジェニファー・ダニエル/著、佐藤やえ/訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2017年発行

私たちはいつから神を崇めるようになったのか? より

トルコの丘の上の遺跡。
1990年代に発見され、世界で一番古い寺院として広く認められているギョベクリ・テペの遺跡は、直径が最大30mもある丸い土地に石囲いが並び立つ、迷宮のような場所である。中心部には高さ6mの柱が2本立、その周りを少し低めのT字形の石像が囲んでいる。中には帯と衣類の彫刻が施されたものや、ヘビ、サソリ、ハイエナなどのグロテスクな像が刻まれたものもある。
ギョベクリ・テペを発掘した考古学者たちが、その遺跡を宗教的な建築群だと解釈した理由は説明するまでもないだろう。それでも、彼らがその判断に確信をもつためには、組織的宗教の起源についての従来の解釈を疑うことが必要だった。彼らは、そうした宗教が新石器革命の産物の一つだったと考えたのだ。

信頼しあうための宗教

かいつまんで言えば、まず人類は、今から1万年ほど前に放牧生活をやめて、農村コミュニケーションの定住生活を始めた。レバント地方(新石器革命の発祥の地とされる)の人々は、今から8300年前頃には、農業、家畜、陶器、それに村での定住という新石器時代の発明のすべてを手にしていた。この人々が、すでに組織的な宗教ももっていたと想定される。もっと言えば、そうした宗教を編み出したことこそ、彼らの成功にとって不可欠だったと考えられるのだ。新石器革命が起こる前、人々は近しい血族からなる小集団で暮らしていた。ところが革命後の人々は、たいてい血縁関係のない他人の中で暮らすようになり、以前にはなかった深いレベルの信頼や協力が必要になった。
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ここに宗教が登場する余地がある。現代の宗教はたいてい協力と利他主義を奨励しているが、初期のタイプの宗教も、たぶん同じようなことをしていただろう。
そのような特徴をもつ宗教は、血縁関係のない人々が共通のコミュニケーションでつながり合うために役立ち、できたての脆弱な社会を一つにまとめる接着剤のような働きをしただろう。その集団は近隣の集団より大きくなり、資源をめぐる競争相手より優勢になる。集団が大きくなる時も、彼らは自分たちの宗教を常に備えていた。このようにして大成功を収めた宗教のどれか一つと、現代の私たちの多くが少なくとも漠然としたつながりをもっているのだ。
ただギョベクリ・テペについては、古すぎて、この説明が当てはまらないという問題がある。遺跡の最古の建物は今から1万1500年前、人々がまだ狩猟採集生活をしていた頃からのものだ。この遺跡に農業の痕跡は見つからず、何らかの定住の徴候もまったくない。それでも、ギョベクリ・テペが、大勢の労働力を集められる文明化社会の産物だったことは明らかだ。また、この社会に信仰と儀式の共通体系があったことを示唆する有力な証拠もある。彼らはそれをギョベクリ・テペに集約させて形にし、共有した。言い換えれば、ギョベクリ・テペは組織化した宗教の象徴のようなものなのだ。
ギョベクリ・テペのほかにも、同様のモニュメントのある建築群が近隣で見つかり、なかにはもっと古いものもあった。そして、それらが発見された結果として、従来の通説がひっくり返されることとなった。組織的宗教が根付きやすい状況が農業によって生まれたのではなく、その逆のようなのだ。最初に儀礼的な集会(農業ではない)に人々が引きつけられて集まり、大きな社会が形成された。そして、そのようなことが、農業を始めるきっかけになったのかもしれないのだ。
実を言えば、最近の遺伝学的研究ではこの地域の小麦の起源がギョベクリ・テペに非常に近い場所にあることが特定されている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
9月24日、テレビ東京 「ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説 2021秋」を観た。
Mr.都市伝説 関暁夫は言う。
  関が立っている長野県諏訪・稗之底村(ひえのそこむら)の跡地は日栄之底村と呼んだという。
  稗之底村にある石碑は人間が宇宙へ還ることを暗示しているという。
  関が日本を代表する縄文時代の遺跡の跡地にある諏訪・井戸尻考古館を訪れた。国の重要文化財などおよそ2000点の土器が保管されている。
  重要文化財・神像筒形土器を見て、5000年前に筒形の人類がいたと語る。壺形縄文土器は母の胎内から物を分け与えるという意味がある。進化した生命体は既に別次元へ移行したという。
  長野県諏訪とトルコ南東部にある世界最古の遺跡ギョベクリ・テペは標高が同じだ。
「ギョベクリ・テペ」とは日本でいえば、青森県の恐山のような場所ではなかっただろうか。
ギョベクリ・テペにも「イタコ」(シャーマン)がいて、死者の魂と交流していた。
そのような宗教儀式を取り仕切っていた人たちが、シュメール人と呼ばれるようになった。
信じるか信じないかはあなた次第です!
前もこんなことを書いたなあ。 (^^;;