じじぃの「カオス・地球_32_進化を超える進化・建築・ギョベクリ・テペ」

Gobekli Tepe: The World's Oldest Temple?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EhUIHsZXDCo

Gobekli Tepe


Gobekli Tepe to draw more tourists on European Cultural Route

Daily Sabah
Gobekli Tepe, an archaeological wonder from Turkey’s southeastern city of Sanliurfa, will attract more foreign visitors now with its inclusion on the European Route of Megalithic Culture, which brings together monuments of similar categories in European countries.
https://www.dailysabah.com/arts/gobeklitepe-to-draw-more-tourists-on-european-cultural-route/news

文藝春秋 進化を超える進化

【目次】
序章
創世記
第1部 火
第2部 言葉

第3部 美

第4部 時間

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『進化を超える進化――サピエンスに人類を超越させた4つの秘密』

ガイア・ヴィンス/著、野中香方子/訳 文藝春秋 2022年発行

第3部 美 より

第11章 建築――人間世界を自然界と分離させた家と巨大都市

最初の巨大建築ギョベクリ・テペ

「家」を建てるという発想は、数十万年前からあった。フランス南西部のブルニケル洞窟の奥深くで、17万6000年前のネアンデルタール人の建築物が発見されている。それは。およそ400個の折れた石筍を並べたり積み重ねたりして作った環状の低い壁で、意図的に作られた物としては最古の構造の1つだ。火が使われた形跡があるので、洞窟の中に居心地の良い住まいを作るための間仕切りだったのかもしれないし、あるいは、儀式の場だったのかもしれない。ホモ・サピエンスも、住居にするために洞窟や岩のシェルターといった自然の構造に手を加えたり、その土地で手に入る資源を使って、独自の構造を作ったりした。寒さや湿気を避けるための木製の間仕切りや屋根、小屋の屋根に使われたホラアナライオンの皮の痕跡などが発見されている。

わたしたちは、狩猟採集民は遊牧民だったと考えがちだ。確かに彼らは遊牧するが、ほとんどの部族は半永久的な集落(キャンプ)を持ち、その場所は何世代にもわたって受け継がれる。そのようなキャンプでの生活は数ヵ月続き、饗宴や宗教的儀式や祭りを行うだけでなく、そこを拠点として交易も行われていたようだ。
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わたしたちの祖先が火を囲んで語った物語には、聞き手を団結させ、生命を脅かす危機を乗り越えさせるという意図があった。超自然的な存在に関する物語もあり、それらの神話にはしばしば祖先が登場し、空、岩、湖、丘などの環境要素が、霊的な力を持つものとして語られた。今でもアニミズムの文化は印象的なランドマークを崇拝し、そこから力を得ようとする。また、キリスト教イスラム教を受け入れた社会の多くは、その後も、奇抜な形の岩、円錐形の火山、あるいはジャガーなどの美しい動物に力が宿るという古代の侵攻が保ち続けた。ひとたびこれらのシンボルが集団にとって意味を持つようになると、たとえば、エアーズロックに絵を描いたり、ジャガーの衣装をまとまったりするなど、人々はそれらに独自の装飾を施したり、儀式にそれらを取り入れたりした。

その後、人々は独自のモニュメントを作り初め、実質的に、自然界から人間(およそその文化的象徴)を切り離していった。

1万2000年前、トルコ南東部のギョベクリ・テペ(太鼓腹の丘)では、狩猟採集社会の人々が、おそらく世界初となる巨大建築を作った。

その丘の上には、彫刻を施した巨大な石(高さ5メートルほどの、上に長方形の石が乗っている)が円を描くように立ち並んでいる。これらのT字型の柱には何も描かれていないものもあるが、ハゲタカ、キツネ、ライオン、サソリなど、文化的に重要な意味があったと思われる動物の立体的な彫刻が施されているものもある。きわめて大規模な装飾的象徴であり、ここでは「美」は、所有したり取引したりする収集品としてではなく、社会を結束させるランドマークとして、あるいは死者を葬る場所の装飾として利用された。

現在このあたりは、埃っぽい不毛の地になっている。何世紀にもわたる集約農業と近年の気候変動の結果だ。しかしかつては肥沃な楽園で、レバント地方やアフリカから動物を追ってきた人々にとっては幸運な場所だった。野生の大麦や小麦が茂り、穏やかな川にガチョウや渡り鳥が群れ、木々には果物やナッツが実り、広大な草原では野生の草食動物が草を食んでいた。

ギョベクリ・テペの7トンの柱に彫刻を施し、それらを建てたり、積み上げたりしたのは、放浪者たちではない。狩猟採集民が、何世紀にもわたって前例のない規模で協力したのだ。この巨大で象徴的な作業には、何百人もの労働者と、彼らに食べ物と住居を提供する共同体が必要とされた。それが大きくなり、有名になると、その制作に参加するため、あるいは単に巡礼のために、より多くの遊牧民が集まってきた。
ギョベクリ・テペは、崇拝者、商人、そして新たな機会を求める移民たちの目的地になっていたのだろう。その地域に集落が形成され、増え続ける人口に、年間を通して、食料やその他の資源を供給した。

1万年以上前、この地に定住地が誕生したのは、美を創造したいという衝動、言い換えれば、集合意識を象徴する巨大な物体を作りたいという衝動に人々が突き動かされたからだった。定住した人々は、社会としての相互作用のあり方(言うなれば、ネットワークの形態)と、他の生態系との相互作用の力学を変更することによって、文化進化が向かう方向をシフトさせた。

定住と農業

人間が定住するようになると、地域の資源に多大な圧力がかかる。つまり、人々は簡単に手に入る食物を食べ尽くしてしまい、入手するのに手間とコストがかかる物を食べなければならなくなるのだ。この新たに誕生した「村人」たちは、多くの人を養うために野生のヒツジやヤギを飼いならし、野生の穀物や果物を集中的に植える一方、無益でおいしくない植物は排除した。ギョベクリ・テペからわずか20マイルのところで、最古の農業の証拠、すなわち、先史時代の村と、世界最古の栽培種のムギが発見された。放射性炭素分析により、ギョベクリ・テペの建設から500年後のものであることが判明した。
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およそ1万1000年前、環境条件の変化により海洋循環パターンが変わり、空気中の二酸化炭素が増えると、地球の生態系は爆発的に繁殖しはじめた。
3000年の間に、大気の二酸化炭素濃度は250ppmにで上がり、植物の生産性は驚異的に高まった。その結果、土壌に窒素や水が蓄えられるようになり、野生の穀物や果実などの有用な植物が劇的に増えた。狩猟採集民は、食料を求めて遠くまで行く必要がなくなり、動物の群れも同じ場所にとどまるようになった。こうして安定した資源を手に入れた人々は、ギョベクリ・テペのように大規模な建築プロジェクトに協力できるようになった。そのような小さな一歩から、やがて人間は市民になり、ついには帝国を築くまでになった。美は人間と世界を変えたが、そのような変化、すなわち文化進化は、環境が変化しなければ起こりえなかった。

階級社会の出現

社会がより大きくなり、格差が広がると、問題が生じてくる。なぜなら、人間は生来、世の中は公平であるべきだと考えるからだ。わたしたちが知る限り、働きバチは雄バチや女王バチになりたいとは思わないが、人間は自分の人生に美と幸福を望み、主体性さえ求める。
このような個人の自立性への欲求と集団との間には、常に緊張がある。何千年にもわたって社会は、不平等の犠牲になっている人々が暴動を起こすのをどうやって防ぐかという問題に取り組んできた。
中国の哲学者、孔子は「人生の意義を知りたい、自己表現したい」という個人の欲求を利用して、より公平で幸せな社会を作ることを目指した。彼が提案したのは家族という階級に沿って社会を運営することだ。すなわち、皇帝を神によって任命された「父」と見なし、威圧によってではなく、相互の同意、名誉、尊敬、愛を重んじる家父長制の倫理によって社会を管理するのである。人々が日々の暮らしにおいて徳を積めば、自ずと社会は良くなると孔子は説いた。このような、個人が自分の行動や社会に対して主体性を持つことを想定する実践的な哲学は、ソクラテスからイエスなで世界中の多くの偉大な教えの根幹を成している。
共通するのは、個人同士関係に焦点を絞ることによって制御不能な世界を理解しようとすることだ。他者に共感し、思いやりをもてば、自らの人間性を高めることができるというのが普遍的なメッセージである。
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人間は独自の世界を構築すると、自分たちを自然から独立した、自然を支配する存在とみなすようになり、また、自然の価値は、有用な資源を生み出すことだけにあると考えるようになった。このことが、環境と無数の種の進化の軌跡を、大きく変えることになる。