じじぃの「封印された謎・美しき姫君・ダ・ヴィンチの贋作なのか?世界史の雑学」

ダヴィンチ②】最後の晩餐やモナ・リザに隠された秘密とは?【偉人伝】

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「美しき姫君」はレオナルド・ダ・ヴィンチの作品か?


美しき姫君  発見されたダ・ヴィンチの真作

マーティン・ケンプ、パスカル・コット  草思社

無名作家の作品としてオークションに出品されていた絵がダ・ヴィンチの真作と鑑定されるまでを緻密に描いたドキュメント。
描法、時代背景、モデルなど絵にまつわる事柄がひも解かれていくさまは、まさにミステリ小説!

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『失われた世界史 封印された53の謎』

歴史の謎研究会/編集 青春文庫 2018年発行

レオナルド・ダ・ヴィンチの謎――《美しき姫君》は私が描いたと言う男を、否定できない理由 より

羊皮紙にパステル、ペンとインク、淡水彩で描かれた《美しき姫君》は、クリスティーズのオークションにおいて1万9000ドルで落札されたが、ダ・ヴィンチの真筆なら1万9000ドル以上と憶測される。悪名高き贋作制作者が自分の作品であると名乗り出たが、本当のところはどうなのか。

超贋作の天才画家

2018年が没後500年にあたるレオナルド・ダ・ヴィンチは誰もが認める世界史上屈指の名画家。だが、完成作品の中で彼の作と断定されているものは13点にすぎない。ルネサンスの三傑としてくくられるミケランジェロラファエロに比べて、あまりにも少ない数字である。その最大の要因は完璧を求めてやまない彼の性格にあった。

完璧を求めるダ・ヴィンチは、人物を描くにはその内部構造まで知らなければならないとして解剖学を、建物を描くにはその建材や建築方法まで知らなければならないとして建築学や機械工学を、風景を描くには自然の摂理を知らなければならないとして動物学や植物学、光学、水力学を極めるというように、探究の対象を拡大させ続け、留まるところを知らなかった。

それだけこだわりのある人物だから、妥協という言葉を知らない。答えが見出せない、納得がいかない、気に入らない点が1つでもあれば完成させることもなく、平気で仕事を投げ出した。そのため超寡作の画家となるのだが、彼の実力は多くの人が認めるところであったために、どんなに途中放棄を連続させようと、どうしてもダ・ヴィンチに描いてもらいたいというパトロンは常に存在していた。

ダ・ヴィンチの遍歴をざっと紹介すると、生まれた場所はフィレンツェから西へ32キロほどのヴィンチ村。17歳から29歳まではフィレンツェ、30歳から47歳まではミラノ、48歳から54歳までは再びフィレンツェ、55歳から60歳まではミラノ、61歳から64歳まではローマで暮らし、65歳から亡くなる67歳まではフランスのアンチボワーズで過ごした。

完成作品の所蔵先はフランスが5点、イタリアが3点、バチカン・ドイツ・ロシア・アメリカ・ポーランドが各1点となる。個別にみるなら、パリのルーブル美術館が5点ともっとも多く、3点を有するフィレンツェウフィツィ美術館がこれに次いでいる。

ダ・ヴィンチの作品であれば習作や未定の作品でも評価が高く、美術館では客を呼ぶ目玉となり、美術品市場でも高値で取引される。未発見の真作なだが表われようなら、一大センセーショナルを引き起こすのは必定だった。

名乗り出た贋作の常習犯

そんななか、まさかの出来事が近年に起きてしまった。とある美術収集家が画廊で見つけたルネサンス風の肖像画を買い求めた。19世紀の作品という触れ込みだったが、見れば見るほど気持ちが昂る。「もしや本物のダ・ヴィンチの作品では」と考え始め、ダ・ヴィンチ研究の世界的権威に鑑定を依頼したところペンで描いた陰影はダ・ヴィンチ同様、画家が左利きであることを示している。
さらに科学的に肖像画を分析すると、絵が描かれている子牛の皮で作られた紙は15~16世紀のものと、年代もダ・ヴィンチの生きた時代と一致。肖像画のモデルが身にまとうファッションも、ルネサンス期のミラノのものであることが判明するなど、外堀がすっかり埋められたことから、以来この作品《美しき姫君》はダ・ヴィンチの真作として世に知られるようになった。

2008年には鑑定の専門家集団から「レオナルド・ダ・ヴィンチによる卓越した絵画作品」と結論付けられ、約1億5000万ドル、日本円にして約185億円の評価額を与えられていた。

ところが、2015年11月になって、イギリスでもっとも悪名高い絵画の贋作制作者のひとりショーン・グリーンハルが、《美しき姫君》は自分が描いたものと言い出した。1978年のスーパーのレジ係、サリーという名の少女をモデルにしたというのである。

最近の研究では、作品に使われているチョークの顔料が少なくとも250年前のものであることが示唆されていたが、これに対してグリーンハルは、鉄分豊富な粘土質の土を採取し、妥当な年代の有機素材を用いて、独自の顔料を作ったと主張している。

グリーンハルの主張が本当であれば、鑑定家集団は重大なミスを犯したことになるが、真相はどうなのか。素材以外の点で決め手になるような特徴はないのか。

実はダ・ヴィンチという人があくなき探求者であったがために、この点を明らかにすることは非常に困難となっている。常に新しい絵画技法に挑戦し続け、同じ方法の繰り返しを好まなかったことから、ダ・ヴィンチ作品と呼ばれるものの真贋判断はただでさえ難しかったからなのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。

レオナルド・ダ・ビンチは、左利きなんだそうです。

歯磨きをする時、利き手側の歯が結構磨きにくいということがあります。

絵の場合、髪の毛などを描く場合は左利き、右利きが影響するのでしょうか。

昔、中国に旅行に行った友人からお土産として絵をもらったことがあります。

まあ、著名画家の絵の贋作でしたが、よく出来ていました。

それでも、家の壁に飾る気にはなれませんでした。

私は、「水」を描いた作品が好きです。
モネの《睡蓮》とか、ゴッホの《ローヌ川の星月夜》とか、北斎の《富嶽三十六景》とか。

まあ、キラキラしているのに魅かれるのでしょうか。
単純なんです。