じじぃの「『モナ・リザ』真贋論争!世界史の迷宮」

The Great Secrets behind Mona Lisa Art 動画 YouTube
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Mona lisa smile secret... 動画 YouTube
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This is real Mona Lisa! 画像
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モナ・リザ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
モナ・リザ』は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。深緑の衣装を着た一人の女性が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている。『モナ・リザ』は現在パリのルーヴル美術館に展示されている。
【モデル】
ドイツのハイデルベルク大学図書館は、2008年1月14日、『モナ・リザ』のモデルが、フィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻・リザであることを裏付ける文献が見つかったことを明らかにした。1477年に印刷された所蔵古書の欄外にフィレンツェの役人による「レオナルドは今、リザ・デル・ジョコンドの肖像を描いている」という書き込みがあった。この書き込みは1503年10月になされ、レオナルドが『モナ・リザ』を描いていた時期と重なり、ヴァザーリの記事が裏付けられたことになる。これにより、モデルにまつわる論争には一応終止符が打たれたという見方が有力であるが、それならばなぜすぐに依頼主に引き渡されなかったのかなど、依然として論拠の曖昧さが残る。
【その他】
・2005年3月26日に日本テレビで放送された『ビートたけしモナ・リザはもう一枚あった!』において、スイス・ジュネーブの地下金庫に眠っていたもう一枚の『モナ・リザ』が初公開された。そのもう一枚の『モナ・リザ』はX線写真監査でレオナルドの時代に描かれたことが判明し、現在さらに詳しい調査が行われている。正式発表は番組放送時から数ヵ月後にあるというが、2007年11月現在、未だにその発表は行われていない。
夏目漱石は『永日小品』に所収されている短編『モナリサ』にてこの絵を扱っている。作中での絵の扱いは「気味の悪い顔」、「縁起の悪い画」と評された。

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見破れ!トリックハンター 「世界の超能力・マジック・完全犯罪、禁断のネタばらしSP!」 (追加) 2013年9月23日 日本テレビ
【司会】内村光良ベッキー 【ゲスト】Dr.レオン、尾木直樹、スギちゃん、鈴木福瀬川瑛子、ハリセンボン、ビビる大木、LiLiCo
▽ダビンチ500年の謎! モナリザもう1枚発見
レオナルド・芸術家・写真家・デザイナー作の名画「モナ・リザ」がニセモノかもしれないという疑惑が浮上している。モナ・リザが描かれたのは約500年前。当時の書物に「モナ・リザ」に関する記録が残っているが、絵画とあまりにも違う点が多い。
1つ目の相違点は「聖母の婚礼」などの傑作を残した芸術家・写真家・デザイナーが若いころに芸術家・写真家・デザイナー作品を模写していた。芸術家・写真家・デザイナーが模写したモナ・リザには不可解な点があった。アレッサンドロ・ヴェッツォージ氏によると、芸術家・写真家・デザイナーの模写には背後に柱があるが、ルーヴルのモナ・リザには柱が描かれていない。
2つ目の相違点は、モナ・リザのモデルとなったその他一般人。当時の文献でリザは1479年生まれで、その他一般人が書いた文献によるとリザが24歳のときに肖像画のモデルをしていたことになる。しかしルーブルモナ・リザは24歳の顔には見えない。ラファエロの模写は若い女性に見える。
ダ・ヴィンチ没後30年に書かれた「美術家列伝」にモナ・リザにまつわる記述が残されている。著者のジョルジョ・ヴァザーリモナ・リザについて「唇は真っ赤に描かれまるで生きた肌のようである」と書いている。本物のモナ・リザは唇が赤いはずだがルーヴルのモナ・リザの唇の色は薄い。
しかし、ルーヴルのモナ・リザは芸術家・写真家・デザイナー作と確定している。なぜ史実と違うのかというと、芸術家・写真家・デザイナーがモナ・リザを2枚書いた可能性がある。芸術家・写真家・デザイナーは「聖アンナと聖母子」や「岩窟の聖母」など今までも同じ絵を違うバージョンで描くことがあった。
16世紀を代表する画家の1人であるジョバンニ・パオロ・ロマッツォはモナ・リザに関して「その他一般人をモデルに『ジョコンダ』と『モナ・リザ』の2枚を描いた」と記述している。「2枚目のモナ・リザ」と呼ばれる作品は世界中にあり、1枚はフランス・ニースに住むヘッキング氏が所有している。ニース版モナ・リザは唇が赤く若いが背後に柱がない。ニース版は弟子による模写の可能性が高い。プラド版モナ・リザも弟子の作品とされていて、有力候補はどれも決めてに欠けている。
ところが、“もう1枚のモナ・リザ”は1913年にヒュー・ブレーカーが偶然発見したものも有力候補。しかし第一次世界大戦の混乱の中で表舞台から姿を消した。この作品の在処を突き止めた。
http://www.ntv.co.jp/program/detail/21824265.html
『世にも恐ろしい世界史の迷宮』 桐生操/著 PHP研究所 1999年発行
謎深き世紀の名画−『モナ・リザ』真贋論争 (一部抜粋しています)
年間300万を超える人々が、パリのルーヴル美術館を訪れる。最大の楽しみは、なんといっても"永遠の美女"との対面だ。
その美女とは−−巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ作の名画、『モナ・リザ』である。世界の名画のなかでも、これほど有名な絵はない。しかし同時に、これほど謎に満ちた作品もまた、ない・・・・。
モナ・リザ』に関する一切の情報は、ヴァザーリ(1511〜1574年、イタリア・ルネサンス期の画家・建築家・美術史家)の『レオナルド・ダ・ヴィンチ伝』に由来している。以下、紹介しよう。
「レオナルドはフランチェスコ・デル・ショコンドのため、その妻モナ・リザの肖像を描くことになった。それに4年を費やしたが、結局、未完のままになった。
この作品は現在、フォンテーヌブロー城のフランス王フランソワのもとにある。
彼はまた、こんな工夫もした。
モナ・リザ』を描くあいだ、楽土や歌手をはべらせ、たえず冗談をいわせては彼女の気分をくつろがせたのだ(中略)。
その結果、レオナルドのこの作品には非常に感じのいい微笑が浮かび、見る者に人間的というより神々しい印象を与え、生きた人間に見紛うばかりの驚くべき作品と見なされた」
この記述から、モデルがジョコンド夫人(ジョコンダ)だったことはわかる。だが同時に、辻褄の合わない個所も無数にある。
まずは、モデルの女性の年齢だ。定説ではモナ・リザ(モナはマドンナの略称で、夫人の意味)こと、エリザベッタ・ディ・アントン・マリア・ディ・ノルド・ゲラルディーニは、1479年に名門ゲラルディーニ家の娘に生まれ、1495年にフィレンツェの大商人フランチェスコ・バルトロメオ・ディ・ザノービ・デル・ジョコンドに嫁いだとされている。
だとすれば、ダ・ヴィンチがこの絵を描きだしたとされる1503年ころ、彼女は24歳前後だったということになる。しかし美術評論家は『モナ・リザ』は30代〜40代前後の女性であると、口を揃えて主張しているのだ。
また、明らかに立派な完成品としか見えないこの絵を、ヴァザーリが「未完成のまま」と書いたのもおかしな話だし、絵を次のように褒めたたえているのも妙だ。
「目は生きているような輝きと潤いをもって描かれ、(中略)これは睫毛についてもいえるのだが、このうえなく微妙な絵筆の運びなくしては描きえないものである。
眉毛もまた、あるところは濃く、あるところは薄く、それが皮膚の毛孔にそって曲がり、このうえなく自然である。かたちのよい鼻孔を持った鼻は薔薇色でやわらかく、まるで生身のようだ。
唇はその両端が赤みをおびて肌の色に溶け込み、まるで絵というより、生きた肉体そのもののようだ。じっと視線をこらして眺めれば、喉のくぼみは脈打っているかのようだ」
しかし、『モナ・リザ』のは眉毛も睫毛もほとんど描かれていないし、「喉が脈打っている」とか「繊細な薔薇色の鼻孔が見える」と思う者も、まずいないだろう。
つまりヴァザーリは私たちの知っている『モナ・リザ』を実際には見ていなかったということになる。
そもそもダ・ヴィンチは、1505年にモナ・リザの夫にこの絵を預けたというが、それら40〜50年跡にヴァザーリが『イタリア画家列伝』を刊行したときには、すでに絵はフランス国王フランソワ1世の手に渡っていた。
しかも、フランソワ1世の王室コレクションの目録には、「紗のベールをかけた愛人」と記されているだけで、『モナ・リザ』や彼女の夫に関する言及は、いっさいない。
さらに不可解なのは、ロマッゾというルネサンス・イタリアの美術史家が、1584年刊行の研究所のなかで「『ジョコンダ』および『モナ・リザ』」と書いている点である。これだと、『ジョコンダ』と『モナ・リザ』は別の絵だということになってしまう・・・・。
南フランスで骨董店を営むレイモンド・ヘッキングは、1944年の春の日、ある店でほこりをかぶった古いキャンバスの山を見つけ、そのなかの『モナ・リザ』の複製画を、約8ドルで購入した。家に満ち帰って汚れを落とすと、現れた絵にヘッキングは肝をつぶした。見れば見るほど本物しか見えなかったのだ。やがて−−それは確信に変わっていった。
絵には一面、ひび割れの目が縦横に走っており、これをヘッキングは、ダ・ヴィンチの時代に特有のひび割れだと考えた。さらに、もともとは木のパネルに描かれていたが、19世紀になって虫食いがひどくなったため、キャンバスに移されたのではないかと新説を唱えるようになった。
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そのころ、ロンドンで別の候補作が名乗りをあげた。ヘンリー・F・ピューリッツァー博士が、1962年に手に入れた絵画を、これこそ本物の『モナ・リザ』だと主張したのだ。
のちに「アイルワース版」と呼ばれることのなるこの絵を手に、ピューリッツァーは「ルーヴルの絵は、これまで間違って『モナ・リザ』と呼ばれていたにすぎず、この絵こそダ・ヴィンチが彼のアトリエで描いた紛れもない本物である」と訴えた。
その論拠は次の点にあった。
まず、この絵がヴァザーリの記述とおり、まだ未完成品であることだ。
第2に、実は1504年ごろ、あのラファエロが、ダ・ヴィンチのアトリエで『モナ・リザ』を見て、それをスケッチしたという事実がある。
このラファエロのスケッチには、女性の肖像の両側に、2本のギリシャ円柱が描かれているが、ルーヴルの『モナ・リザ』には、円柱が描かれていない。それに対して、アイルワース版『モナ・リザ』には、円柱がはっきりと描かれているのである。
さらに、あのヴァザーリの描写、つまり目や眉毛、鼻、唇、喉などの『モナ・リザ』の特徴とも、この絵はぴったり一致していた。
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最後に第3の、それも、もっとも有力な対抗馬を紹介したい。
1797年、あるアメリカ人が、フランスから定期船で帰国した。彼ウイリアム・ヘンリー・ヴァーナンは、語学の勉強のためフランスに留学していたのだ。
イリアムは、フランスで華やかな貴族社会に魅せられ、短期留学のつもりが、いつのまにか20年近くになってしまい、美術品のコレクションにも手を染めていた。
こうして彼がアメリカに持ち帰ったコレクションのなかに、『尼僧−−レオナルド・ダ・ヴィンチ作品』と題された絵があった。
それは、彼がフランス王妃マリー・アントワネットから、彼女が処刑される前に、直接贈られたものだという。
しかもこの『尼僧』の絵は、あのルーヴルの『モナ・リザ』に瓜ふたつだったのである!
1929年、『尼僧』はキャンバスの張りかえのために、ハーバード大学のフォッグ美術館に移された。そのとき取られたエックス線写真は、このキャンバスが確かにダ・ヴィンチの時代のものであることを示していたという。
その後、バチカン博物館の評議員を務めた、ローマのアメリカン・アカデミーのトーマス・M・ジャドソンの手で、顕微鏡写真や赤外線写真の分析などの再調査が行われ、その結果、「私の見る限り、この絵はダ・ヴィンチの手になるものに間違いない」と断言されるにいたった。
彼はダ・ヴィンチが左利きだった事実に触れ、「この絵に一貫した筆使いは、まぎれもなく左利きのもの、エックス線写真の分析でも、彼の弟子たちとは異なる。ダ・ヴィンチ自信の技法であることが明らかになった」と述べている。
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ヴァーナンは、ルーヴルの絵が偽物だといっているわけではない。ただ『モナ・リザ』が2枚あると主張しているのである!
しかし、そんなバカなことがあるのだろうか?
1517年、フランソワ1世の宮廷にいたダ・ヴィンチアラゴン枢軸卿が訪れたとき、ダ・ヴィンチは彼に作品数点をみせている。
それらの絵は『聖ヨハネの絵』『聖母マリアと聖アンの絵』そしてメディチ家の故ジュリアーノ大公の注文で描いた『フィレンェのある夫人の肖像画』だった。
ここから伝記作家ヴァレンティンは、ジュリアーノ大公が、ダ・ヴィンチに注文したこの『フィレンェのある夫人の肖像画』こそ、ルーヴルの『モナ・リザ』ではないかと推測する。
そして作家ライトは、これらの記録をもとに、次のような興味深い仮説を組み立てるのだ。
−−ダ・ヴィンチは『モナ・リザ』を2枚描いた。2番目の『モナ・リザ』がルーヴルのもので、もう1枚の『モナ・リザ』(実はこちらが最初のもの)がヴァーナン版だと−−と!
確かに、画家が好きなテーマの絵を何枚も描くのは、けっして珍しいことではない。ダ・ヴィンチも『受胎告知』や『岩窟の聖母』をそれぞれ2枚ずつ描いている。
だとすれば、『モナ・リザ』は2枚あってはいけないという理由はまったくないのである!

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どうでもいい、じじぃの日記。
ネットで「世界一有名な絵」をキーにして検索すると『モナ・リザ』が一番に表示される。
パリのルーヴル美術館を訪れる観光客の一番のお目当ては"微笑み"の絵『モナ・リザ』だ。
桐生操著『世にも恐ろしい世界史の迷宮』に「謎深き世紀の名画−『モナ・リザ』真贋論争」が載っている。
モナ・リザ』はあの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画だ。(と言われている)
ダ・ヴィンチの活躍していた時代はミケランジェロラファエロが活躍していたイタリアの盛期ルネサンスであった。
この「謎深き世紀の名画−『モナ・リザ』真贋論争」によれば、『モナ・リザ』の絵はヴァーナン版、アイルワース版、ルーブル版の3枚が存在するのだそうだ。
名画には必ず贋作が存在する。この3枚の絵のうち、2枚は贋物なのだろうか。
約500年前に描かれた絵が本物か、どうか見分ける方法の1つにエックス線がある。あとは彼が『モナ・リザ』以外に描いた絵を比べて特徴が一致しているかだろうか。
画家の藤田嗣治はフランスにおいて最も有名な日本人画家だ。彼はルーヴル美術館ある有名な絵の修復を手掛けた。修復した絵の中に『モナ・リザ』も含まれていた。
彼は言った。「『モナ・リザ』の絵の筆は右利きのタッチで描かれたものだ」。ダ・ヴィンチは左利きだった。
「あのラファエロが、ダ・ヴィンチのアトリエで『モナ・リザ』を見て、それをスケッチしたという事実がある」
ラファエロダ・ヴィンチの『モナ・リザ』を真似て、同じような『モナ・リザ』を描いた可能性があるのだ。
もしかしたら、ルーヴル美術館にあるダ・ヴィンチの『モナ・リザ』はラファエロの『モナ・リザ』なのかもしれない。
いずれにしろ、ルーヴル美術館にある「あの絵」は天才が描いた絵であることに違いないのだが・・・・。