じじぃの「科学・芸術_719_世界の文書・レオナルド手稿」

Leonardo_da_Vinci,_Manuscript_D

Codex Leicester

『レオナルド・ダヴィンチにまつわる豆知識』ビル・ゲイツが30億円で購入したダヴィンチの残したモノとは? 2016-07-01 趣味時間
ダヴィンチの残した作品はどんなものでも高値がつきます。
なかでもダヴィンチが残した72ページのノートCodex Leicester(レスター手稿)にはものすごい値がつきました。
https://hobbytimes.jp/article/20160622i.html
『図説 世界を変えた100の文書(ドキュメント):易経からウィキリークスまで』 スコット・クリスチャンソン/著、松田和也/訳 創元社 2018年発行
レオナルド手稿 (1478-1519年) より
その後半生のほとんどの期間、このルネサンスの精髄とも言うべき男は自分の興味や思考を日々記録していた。入念な挿画や注釈に溢れたその手記は、彼が時代の遥か先を行っていたことを示している。それゆえに彼はその文字のほとんどを、自ら考案した暗号のような方式で記していた――まさに「ダ・ヴィンチ・コード」である。
レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・メルツィ(1452-1519)、すなわち偉大なるイタリア・ルネサンスの博識家の中の博識家。彼は無限の創造力、「抑えがたき好奇心」。「熱病のような創意空想力」に恵まれていた。その精神は子宮の中の胎児、ヘリコプターに潜水艦、植物の仕組み、その他無数の現象に対する洞察に満ち満ちていた。
自らの思想が洩れることを望まなかったダ・ヴィンチは、当時の専制的な権力の起源を損ねぬために大変な苦労を強いられた。ひとつでも権力者に不都合な手を打ったりすれば極めて難儀なことになることを知っていた彼は、自らの足跡の少なくとも一部を隠蔽しようとした。
芸術と自然科学における最新の追求の一部を記録するために膨大な手記と素描を制作しながら、ダ・ヴィンチはしばしば自らの見解を独自の逆向きの筆記体によって韜晦(とうかい)した。盗賊や異端審問官などの敵を遠ざけるために自ら発明したものである。左利きゆえに彼にとって「鏡文字」は容易であったが、侵入者を発狂させるには十分だった。
この巨匠は、自らの考えを具体化するために、まずは綴じていない紙に素早く素描することから始めるのだった。時には帯に付けていた極小の紙束を使った。その後、その夥しい手記を主題に沿って並べ、順に帳面に綴じていった。
ダ・ヴィンチの死後、長年に亘る弟子で友人であったフランチェスコ・メルツィはそのような帳面を50冊、1万3000頁分も受け取り、ミラノへ持って行った。メルツィの死後、それらの記録の多くは最終的に売り捌(さば)かれ、幾つかは散逸した。多くのものは装幀され、(ダ・ヴィンチ・コーデクス)と呼ばれるようになった(コーデクスとは、個別の頁を纒(まと)めて装幀した本を意味する)。
ダ・ヴィンチの帳面は後に世界の代表的な蔵書に収まった。例えばルーブル美術館大英図書館、そしてミラノのアンブロージアーナ図書館などである。
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科学に関係した唯一の主要な帳面である(コーデクス・レスター)は個人蔵で、1994年にビル・ゲイツが3080万ドルで購入した。1506年から1510年迄の間に72枚の亜麻紙に書かれたそれは、主として水文字(すいもんがく)を扱っている。
世界美術史上、最高の傑作を生み出した精神に関する手がかりを提供していること以外に、これらの帳面は幅広い学問領域を横断するダ・ヴィンチの天才ぶりを示す、現存する最も偉大な文書である。