ギザの大ピラミッドの失われたキャップストーンの行方
動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=BzsLSo6c2A8
ピラミッドのキャップストーン
世界遺産 大ピラミッド建造の謎の解明に挑む
2008年05月01日 ネコ肉球4個分の幸せ
世界遺産で、世界七不思議の一つに数えられるエジプトの大ピラミッド。
それは、何のために、また、どうやって建造されたのか。
5.キャップストーンの設置方法の謎
最後にピラミッドの頂上に設置するのが「キャップストーン」と呼ばれる四角錘の石です。
キャップストーンの設置方法については、さまざまな推論が出されていますが、すべて根拠のないものばかりのようです。
ピラミッド建設では、上に行けば行くほど作業スペースがなくなるため、キャップストーンをどうやって設置したのかが大きな謎となっています。
大林組が実施したプロジェクトの施工計画では、ヘリコプターを使ってキャップストーンを持ち上げ設置することになっています。しかし、上述したように、砂を使えば、こんなことをしなくとも簡単に設置することができます。別に謎でもなんでもない。
http://nekocatgato.seesaa.net/article/95253430.html
『失われた世界史 封印された53の謎』
歴史の謎研究会/編集 青春文庫 2018年発行
ピラミッドの謎――建造方法、理由、内部…、5000年の謎をめぐる より
「世界七不思議」のなかで唯一現存するのがエジプトにあるギザのピラミッドである。
内部には通路や玄室、使途不明の空間などが拡がるが、建造目的も不明なら、どのようにして建てられたのかも、蒸気や電気もない時代に巨大な石材をどこからどうやって運んできたのかも未解明の部分が多い。5000年以上の歴史の謎に迫る。
何のために建造したのか
エジプトには無数のピラミッドが存在するが、やはり代表格と呼べるのは首都カイロから近いギザの地にそびえる3大ピラミッドだろう。そこにある3つのピラミッドだけ、他のものとは比較にならないほど巨大なのだから。
3大ピラミッドのなかでも1番巨大なのは、前26世紀に建造されたと推測される「クフ王のピラミッド」である。底辺が230.37メートル、本来の高さ146.59メートル、平均2.5トンの石材が270万から280万個使用されたと推測されており、何度訪れても、そこに費やされたであろう情熱と労力が思いやられ、ただただ圧倒されるばかりである。
エジプトはもちろん、世界でも屈指の観光名所でありながら、ギザの大ピラミッドには未解明な部分がたくさんある。建設目的が謎なら、建設方法も謎、建材の運搬方法も全容解明にはいたっていない。
前5世紀に生きた古代ギリシャの歴史家ヘロドトスはエジプトの神官から聞いた話として、ピラミッドをファラオ(国王)の墓としたうえ、多数の奴隷を酷使して建てられたとしているが、現在ではそのどちらとも否定されている。
前者については、数あるピラミッドのどこからもミイラが発見されていないことに拠っている。現地ガイドのなかには、盗掘者の開けた穴から動物のジャッカルが忍び込み、ミイラを食べてしまったと説明する者もいるが、さてどうだろう。ミイラが安置されていた痕跡すら皆無というのは、さすがにおかしい。
後者については、1990年に発掘された労働者用住居跡の調査から、やはり否定的な見解が優勢となった。
出土した人骨は男女半々からなり、子供の骨も多数混ざっていたことから、家族単位で生活していたことがうかがえる。首などの骨が変形していることから、激しく肉体を酷使していたのは間違いないが、骨折治療の手術痕が多数見られるなど適切な医療保障がなされて適切な医療保障がなされていたこともわかった。ビール工場やパン工場跡も発見され、食器のかけらから肉まで支給されていたこと、富裕層の独占者と思われていた美しい土器を労働者までが使用していたこともわかり、奴隷説はほぼ払拭されたとしてよかった。
建造目的としては、これまでに天文台説、防波堤説、日時計説、穀物倉庫説、モニュメント説、公共事業説などさまざまな仮説が提示されてきたが、どれも決定打にかける。
石材に関しては、大半のものは南に約300メートル入ったところから運んだものと見られているが、玄室や棺に使用された花崗岩はギザとその周辺には見当たらないことから、遠く1000キロも離れたエジプト南部のアスワンからナイル川を利用して船で運ばれてきたと考えるしかない。
どのように建てられたのか
石材の運搬方法は建造手段とも関係する。陸路を運ぶには木製のソリを使うか、丸太を並べた上をリレー式に転がす方法がとられたと思われるが、建造現場ではだんだんと高さが増すために、ソリを使うのとあわせ、砂の傾斜路がつくられたものと考えられる。
それを踏まえたうえで、具体的な建造方法として、これまでに直線傾斜路説と螺旋形斜路説、内部通路説の3つが提示されている。
直線傾斜路説ではかなり遠くから1本の砂の斜面を造り、少しずつ勾配を高くしなければならないのが難点である。だんだんと、砂の斜面も長くしなければならないのだから、石材を運ぶより、斜面づくりのほうが大変だったのではあるまいか。
螺旋形斜路説であればその問題は多少なりとも軽減するが、ピラミッド全体を砂で覆うことから、途中で測量ができないという致命的な欠陥がある。ゆえにこの説はないだろう。
最後の内部通路説は螺旋形斜路説の改良型で、螺旋をピラミッドの外側ではなく内部に設けたとする説である。下から3分の1くらいまではソリで運び、それより上は手動による原始的な滑車の原理で引き上げたというのがこの説で、実際に内部通路の跡と思しき空間も見つかっていることから、現在のところ、もっとも有力な説と言える。
けれども、それでピラミッドの謎がすべて解明となるわけではない。建造目的とも関連するが、なぜギザの3大ピラミッドだけズバ抜けて大きいのかという点も謎のままである。
クフ王以前には技術的に不可能であったことは理解できる。ギザから南へ約40キロの距離に位置するダフシュールには、ギザの大ピラミッドより前に建造された「屈折ピラミッド」と「赤のピラミッド」、そこからさらに南へ約70キロの距離にあるメイドゥームには「崩れたピラミッド」というのが現存する。同じく王国時代の第四王朝時代でありながら、メイドゥームとメイドゥームのピラミッドが建造されたのはギザのすれより1世代前になる。
ギザの3大ピラミッドの名称が建造者と目されるファラオの名を冠して呼ばれるのに対し、ダフシュールとメイドゥームのピラミッドはそれぞれの特徴が名とされている。
「崩れたピラミッド」は設計ミスから建設途中で崩れてしまったもので、「屈折ピラミッド」は途中でで設計ミスが明らかとなり、勾配の角度を変えたことによる。「赤のピラミッド」は全体に赤っぽい石で造られたことにより、断面がきれいな二等辺三角形をなすピラミッドとしてはこれが最古のものとなる。
つまり、「赤のピラミッド」の完成をバネとしてギザの3大ピラミッドが建造されたわけだが、カフラー王のピラミッドとメンカウラー王のピラミッド以降、ピラミッドの小型化が進み、ついにはまったく造られなくなった理由については謎のまま。王権の弱体化以外にも何か理由のあるように思えてならない。
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どうでもいい、じじぃの日記。
ピラミッドは何のために建造したのか?
「建造目的としては、これまでに天文台説、防波堤説、日時計説、穀物倉庫説、モニュメント説、公共事業説などさまざまな仮説が提示されてきたが、どれも決定打にかける」
ピラミッドは、どうも王のお墓ではないみたいですね。
古代人は立体の三角形に宇宙のエネルギーを集めるパワーがあると考えたのでしょうか。
「キャップストーン」は、「聖なる石」としてパワーが集まる場所だったのだとか。
ではどうやって、キャップストーンをピラミッドの頂上に載せたのか。
エジプトの古代遺跡の1つ、アビドス遺跡には「ヘリコプター」に見える壁画があるそうです。