じじぃの「残酷王と呼ばれたクフ王?本当はどうなんだろう」

How the Khufu Eqyptian Pyramid Was Built 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Mg9mbTbNmlk&feature=related
Khufu's Tomb 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=qga43hRfsuY
クフ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
クフ(Khufu、在位紀元前2589年-紀元前2566年)は古代エジプト古王国時代のファラオでカフラーの父。「クフ」と言う名は「クヌム神に護られしもの」を意味する「クヌム・クフ・ウイ」を簡略化した物とされ、ギリシア語ではケオプスと称される。ギーザの三大ピラミッドのうち最大の大きさを誇る、いわゆるクフ王のピラミッドを造営したことで知られる。
ヘロドトスの『歴史』によれば、国民の苦しみも顧みずに大規模な土木事業を繰り返した暴君とされるが、実際には、この事業がしばしばおこったナイル川の氾濫で一時的に職を失った農民のための失業対策であったとされる。しかし、この大事業が代々繰り返されたことで、国力は弱体化し、古王国時代は終焉を迎えることとなった。
【ラムセス2世】
ラムセス2世(Ramesses II、紀元前1314頃-紀元前1224年頃)は、古代エジプト第19王朝のファラオ(在位:紀元前1290頃-紀元前1224年頃)。
その治世において、エジプトはリビア・ヌビア・パレスチナに勢力を伸張し、繁栄した。
ラムセ2世、ラメセス2世とも表記される。ラムセスという名は、ラーによって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みである。

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スパモク !! 「教科書にのせたい!」 2010年6月24日 TBS
【司会】ウッチャンナンチャン松本志のぶ 【ゲスト】伊集院光岡江久美子オリエンタルラジオ関根麻里大東俊介知花くらら
【専門家】松井孝典吉村作治、その他
識者1000人が選定!新しいオリジナル"教科書"を目指す知的エンターティメント番組!
ウッチャンナンチャンやそれぞれの科目別に分けられた伊集院光らゲストが専門家に「なぜ?何?」とどんどん質問を投げかけていく知的バラエティーだ!
☆妻30人子ども100人のエジプトの王様
古代エジプトには、多数の著名な王がいたが、その中で、実はエジプト人に最も人気があるのが「ラムセス2世」である。エジプトの遺跡の7割をつくり、妻を30人娶り、子どもの数は100人にも及んだという。なぜ、それほどまでに破格の王だったのか?
http://www.tbs.co.jp/supamoku/supamoku20100624.html
エジプト学夜話』 酒井伝六/著 青土社 1980年発行
クフ王は人類文明史の頂点をつくった (一部抜粋しています)
大ピラミッドを建てたクフ王のついて「残酷王」のイメージをつくりあげて責任者は、ヘロドトスである。『歴史』の巻2で、彼は次のように記している(クフ王ギリシャ読みではケオプス王である)。
「ケオプスは、国民を世にも悲惨な状態に陥れた、と祭司たちは語っていた。この王は先ずすべての神殿を閉鎖し、国民が生贄を捧げることを禁じ、つづいてはエジプト全国民を強制的に自分のために働かせたという。アラビアの山中にある石切場から石をナイルまで運搬する役を負わされた者もあれば、舟で河をこえ対岸に運ばれた石を受けとり、いわゆるリビア山脈まで曳いてゆく仕事を命じられた者たちもあった。常に10万人もの人間が、3ヵ月交替で労役に服したのである」(松平千秋訳『歴史』岩波文庫による)
そして、道路建設に10年を、ピラミッド自体の建造に20年を要した、とヘロドトスは述べている。さらに、「ケオプスの悪行は限りを知らず、果ては金に窮して己の娘を娼家に出し、なにがしかの金子の調達を命ずることまで敢てしたという」と記し、このケオプスの治世が50年に及んだという祭司の話を書いている。大ピラミッドの構造について、地下深く、堀割りに周囲を囲まれた島に王の墓がある、と記したのもヘロドトスである。
しかし、彼は、記述したことすべての真実性を保証しているわけではない。「信じがたいことでも聞いたとおりに記す」というのが、『歴史』に一貫している彼の執筆態度である。また、現代のエジプト学者が読めるヒエログリフも、2500年前のヘロドトスには読めなかったということを、想起する必要がある。そこで、この150年間に著しく進歩したエジプト学の成果をとりいれて、われわれが彼の記述を批判しても不当ではないはずである。
いま「批判」ということばを使ったが、これはもちろん、ヘロドトスの記述の全体を疑問視することではない。それどころか、彼の記述の多くは考古学的に実証されているのである。たとえば、大ピラミッドの建造者名を「ケオプス」(クフ王)と彼は記したが、このことは1837年になって証明されている。
その経過はこうだ。1836年の夏、52歳のイギリスの軍人、ハワード・ヴァイズ大佐が休暇旅行でエジプトに渡り、大ピラミッドに惹かれた。彼は自らの費用で作業員を雇い、「王の間」の上野構造を調査した。「王の間」の上には、「ダヴィソンの室」と呼ばれる、用途不明の室があったからだ。この室は18世紀に、イギリスの探検家ダヴィソンによって発見されたものであった。1837年になって、ヴァイズ大佐は火薬を使う荒っぽい手段にまで訴えた結果、「ダヴィソンの室」の上に、重なって4つの室があり、その頂上部は屋根形になっていることを発見した。5つの室は、「王の間」にのしかかる重量を拡散する措置であることが明らかとなった。
これは建築上興味ある発見であったが、資料的に貴重なことは、上から1番目と2番目の室の石面に多くのヒエログリフがあり、その中にクフ王の名を記したものが発見されたということである。クフ王の名はギリシャ語ではケオプス王であり、ヘロドトスの記述の正しさが、ここで証明された。
さらに、この文字群の中に「17年」と記したものがあり、これがヘロドトスの述べる建造年数の妥当性を示した。この「17年」が「工事の17年」をあらわしていることはほとんど疑いのないところであり、この高さまで工事が終了しているなら、頂上部まであと数年で足りるであろう。ヘロドトスは「ピラミッド自体の建造に20年を要した」と記しているのである。それにまた、19世紀末のフリンダー・ビートリの調査以来、多くのエジプト学者は、大ピラミッドの建造年数を20年と算定し、労働量や工学的な面から計算して、この説を肯定している。
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どうでもいい、じじぃの日記。
ネットで「古代における世界の七不思議」をキーにして検索してみた。
●ギザの大ピラミッド
●バビロンの空中庭園
●エフェソスのアルテミス神殿
オリンピアのゼウス像
●ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
ロードス島の巨像
アレクサンドリアの大灯台
が出てきた。
クフ王の大ピラミッド」(ギザの大ピラミッド)を建てたクフ王とはどんな人物だったのだろうか。
クフ王の大ピラミッドは世界遺産にも登録されている高さ147メートル、底辺の長さ230メートル。世界最大の石造建造物である。
ヘロドトスの『歴史』によれば、クフ王とは国民の苦しみも顧みずに大規模な土木事業を繰り返した「残酷王」なのだそうだ。
平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られているピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。
酒井伝六著『エジプト学夜話』では実例をあげ、ピラミッドを関するヘロドトスの記述の正しさが証明されたと書いている。
しかし、最近の研究ではこのピラミッド建設がしばしばおこったナイル川の氾濫で一時的に職を失った農民のための失業対策であったとされるようになった。
「自由なギリシア」と「隷属するアジア」という古代社会の認識が必ずしもあてはまらないのかもしれない。
去年の6月にテレビでやっていた『スパモク !! 教科書にのせたい!』ではエジプト最強の王として「ラムセス2世」が取り上げられていた。
早稲田大学名誉教授の吉村作治先生が、妻30人、子ども100人を持ったエジプトの最強の王、ラムセス2世の事実を教科書に載せるべきと推薦した。ラムセス2世は妻30人、子ども100人を持ち、92歳まで生きたという。
平均2.5トンの石を300万個積み上げて造られたという巨大ピラミッド。
妻30人、子ども100人を持ったというエジプトの王。
想像を超えたスケールだ。スゲェなあ。